1章 4話
プールを後にした私は今、黙々と廊下を進んでいる。
廊下には明かりがついているが、深い夜の闇を照らし出すにはどうにも不十分で頼りない。
おまけに、これだ。
私は窓から夜空を見上げた。真っ暗な空に浮かぶ月の色は、黄色ではなく赤。
まったく、何がどうなっているのだろう。
私は不安と心細さを押し殺し、周囲に目をやった。
さすが母校というべきか、卒業したのにまたここを歩くのは、懐かしくも違和感を感じる。
朽名高等学校はかなり古い、歴史ある学校だ。
オンボロ、ともいうが。
3階建ての木造の校舎は西と東で独立しており、中央南にある昇降口から見て逆コの字の形になっている。
へこんだ部分は中庭で、校舎を挟んで反対側に校庭が広がる。
プールはその奥だ。
私が今いるのは、3階の西。がむしゃらに走ったら、気づくとここまで来てしまっていた。
壁や床には、所々補修工事の跡が見て取れる。
昔は西校舎だけだったのが手狭になって、もうずいぶん前に東校舎を建てまししたらしい。西校舎にはそのため、別個に旧昇降口が存在する。
さらに、それに伴い1階と3階には渡り廊下が作られたのだったはずだ。
いずれも今となっては老朽化が進み、部分的に改築されたりしているのは変わりないが。
それにしても………。
足を止めずに、私は考える。
さっきのは何だったのだろうか。
あえて曰く付きの場所を選んだだけあって、プールには『緋色の水面』という怪談があるのは知っていた。
だが、あくまでもそれは『怪談』。
ただの、夏場あたりにまことしやかにカップルなどに囁かれて、
『きゃー、◯◯君こわーい!』
的な感じで周囲をイラつかせたり、後輩を怖がらせるのに用いられたりするだけだったはず。
間違っても、現実に起きるようなことではない。
しかし、あれが緋色の水面ではなかったとは、状況からして到底思えない。
まさか私が逃げないといけない相手は、管理人さんではなく幽霊だとでもいうのか。
キィー……。
キィー……。
軋む廊下を、私は進んでいく。
突き当たりに来て、私は止まった。
正面の古びたスライドドアには、理科室と書かれた黄ばんだ紙の入ったプレートがかかっていた。
中からは、黄色い明かりが漏れ出している。
怪談が実際に起きているとはさすがに信じ難いが、それなら試してみるのも良いかもしれない。
どうせなくしものを見つけるまで帰ることはできないし、帰る気もない。
都合の良いことに、理科室、というか正確には理科準備室の怪談は、そんなに害があるタイプではなかったはず。
私は怪談の内容を思い出すと、一つ頷き、理科室の扉を開けて中に足を踏み入れた。
理科室の中は、記憶通りだった。
カビが生えていそうな古さの校舎には似合わず、新しい綺麗な室内。
床や壁の材質も木ではなく、よくわからない現代風な素材だ。
向かって右には白い長机が8つ、それにさらに、各6つの椅子が設置してある。
左側は、大きな黒板。2枚を上下にスライドさせるタイプ。黒板消しと数色のチョークが下部に置いてあった。
そしてその黒板を挟んで向こう側。
通常なら固く施錠してあるはずのそこが、理科準備室だ。
実験に使う薬品や、器具、標本などが並べて保管してある、のだが……。
なんだか白いその扉から、禍々しいオーラを感じるような気がするのは、気のせいであってほしい。
まさにその扉の向こうが、2番目の七不思議の舞台なのだから。
私は理科室を見渡す。漏れがあってはならない。移動して、机や大型の器具の影までじっくりと覗き込む。
しかし、どうやらさがしものは、ここにはないようだ。
とすると、後は……。
私は再び、嫌な気配を放っているドアを見た。
……やはり入らないとか。
私はそこが、在学中から苦手だった。怪談があるというのもそうだが、色々グロいものが置いてあるから。
近づいていき、溜息をつくと銀色のノブに手をかけた。
ゆっくりと回す。
案の定、鍵はかかっていない。
ドアノブをしっかりと握りしめて、私は半ばヤケになりながら扉を押し開けていった。