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朽名奇譚  作者: いちい
#2 理科準備室のホルマリン生首
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次の約束

 




 汗まみれの手で扉を開くと、中央の机に瑞樹がいた。

 彼は少し眉を上げて、開口一番私に問いかける。


「どうしたんですか? ひどい顔ですよ」

「そ、そう、かなぁ?」

「ええ。とても不細工です」


 瑞樹は、不細工、に力を込めて言った。


 私は扉を後ろ手に閉めて、机の脇に置いてある椅子に腰を下ろす。


「ちょっと、不気味なものを見たから」

「へえ、どんなものですか? どうせ君に隠し事なんてできないんですから、さっさと吐いてその不細工な顔をどうにかして下さい」


 辛辣に、瑞樹は言い放った。


 分かりにくい。

 分かりにくいけれど、これは多分、話くらいは聞くと慰めてくれているような気がする。

 とうとう私もおかしくなってしまったのだろうか。錯覚だと言われればそれで終わりだけれど。


 私は図書室での出来事を話そうと口を開いたが、すぐにそれを閉じる。


 正直にあったことを話すと、瑞樹に図書室で見た彼の記録のことまで言ってしまいそうだ。予期せぬこととはいっても、彼のプライバシーを侵害したことには変わりない。

 かと言って、そこをはしょると勘の良い瑞樹には疚しいことをしたと、気づかれるかもしれない。


 瑞樹は苛ついたように眉を寄せている。


「どうしたんです? 早く吐いて下さい」


 瑞樹の『吐いて下さい』、が『吐け』に聞こえる。

 もう、こうなったら誤魔化そう。

 不気味なものを見たと言った以上、そこから離れることはできない。

 何か、最近あった不気味なこと……。


「あっ、あのね。変な夢を見たのが気になって」

「夢ですか?」

「そうそう、夢だよ、夢。朽名祭で不良にナンパされたところを、誰かが助けてくれたの。もうすっごくかっこよかったんだから」

「……ふうん、そうですか」


 瑞樹は途端に気のない返事をして、不機嫌な顔になった。


 瑞樹に気付かれてしまったのだろうか。

 例えそうだとしても、こうなったらごり押しするしか道はない。


「そう、あんたなんかよりずうっと優しくて、かっこよかったよ!」


 誇張しすぎただろうか。

 内心冷や汗を流しながら、意識していつもより明るい口調で言い切る私を、瑞樹は冷笑で迎え撃った。


「君の表現力が小学生並みに貧しいということはよく分かりました。……そのかっこいい人は、君の知り合いなんですか?」


 ちょっと無理があったものの、うまく話に乗せられてくれたようだ。

 私も話を合わせる。


「それが、顔がよく見えなかったんだ。懐かしい感じがしたから、知り合いだとは思うんだけど」

「まあ君の言うことですから、たかが知れているとは思っていましたが。気にして損をしましたよ」


 彼は深く溜息をつき、目を閉じる。

 自分で尋ねておいてその態度はひどい。


 けれど、いつもの瑞樹と話して少しほっとしている私がいる。

 自分に覚えのない契約書。

 思い出せない願い事、探し物の正体。

 それらは過去の私と現在の私を(わか)つ確固とした差だ。

 過去の自分は何をしたかったのか。


 過去というのは、個人を形作る重要なピースなのだと、以前本で読んだ覚えがある。過去が分からないというのはつまり、自分自身も見失っているということ。


 私はまるで宙ぶらりんになってしまったかのような不安に苛まれて、怖かったのだ。

 自分が知らない自分がいる。

 そのことは、自分の中に怪物が潜んでいるような、漠然とした不安を招いた。


 それでも、瑞樹はいつも変わらない態度でここにいる。

 それだけで、現在の私はここにいるのだと、これが今の私なのだと安心できた。


「……そうだね。心配してくれてありがとう」


 私は沈黙を破り、瑞樹に礼を言った。


 反応がない可能性もあるけれど、なぜか瑞樹から反応が帰ってくることを疑いもしなかった。

 ややあって、瑞樹は言った。


「ふうん? まあ僕は心配なんてしてはいませんでしたが、君がそう思いたいならそう思っていればいいんじゃないですか?」


 瑞樹が薄笑いで答えるのが、ホルマリン越しに見える。

 私と目が合うと彼は口を引き結び、くるりと首を回して後ろ向きになってしまった。


「素直な君なんて気持ち悪いですよ。今日はもう寝て、明日また来なさい」


 無理やり抑揚を抑えたような声色が微笑ましくて、彼に見えないのを良いことに、私は笑う。


「ありがとう。また、明日」


 返事はもうなかったけれど、それでも良かった。

 瑞樹が次の約束をするのは、これが初めてだったから。


 私は嬉しさから口の端が上がったまま、理科準備室を後にした。




◇◆◇◆◇



 秊はまだ気付かない。

 いや、気付けるはずもなかった。

 彼女はアカシックレコードを最後まで読まなかったのだから。


 彼女が去った図書室。

 そこに納められた彼女のレコードには、誰の目にも触れることなく、最終ページにある一文が存在していた。

 ひっそりと。

 けれど、消えることなく黒いインクは文字を描き出している。


『セカンドファクト進行中。』という、無機質な文字を。











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