アカシックレコード1
「なんなの、これ……」
扉を開くと、そこはとんでもないことになっていた。開いた口が塞がらない。
私が今いるのは、図書室。
11月に入っても進展がなく、暇を持て余してきたので本でも読もうかと足を運んだのだ。
2階の西端に位置するここは、参考書から小説まで様々なジャンルの本が所狭しと置かれていて、試験前にもなると人がごった返すほどの人気なのだが……。
なぜ本が宙を舞っているのだろう。
図書室は他の教室と違い、明らかな変容を遂げていた。
宇宙空間のように重力を感じさせず、本棚が好き勝手に空中に、支えもなく浮かんでいる。
いつからここの本棚は飛○石製になったんだ。
適当な本を手に取ると、そこには人名が書いてあった。
伝記だろうか。
聞いたことのない名前だ。
マイナーな人物なのだろう。
ここの蔵書は古い学校だけに多く、伝記というジャンルだけでも膨大な量を収めている。
興味を失い、本を元の場所に戻した。
それにしても、これでは高いところの本が取れない。
浮かぶ本棚を見上げて戸惑っていると、私が見ていた方にある本棚が滑空して私の目の前まで移動してきた。
……ええと。便利だなぁ?
なんとなく目を向けただけで読みたい本がそこにあったわけではなかったため動かずにいると、自動的に本棚は元の位置に戻り、浮かんだ状態で静止する。
暇つぶしに本でも読もうかと思ってここに来たのに、こんな状態じゃどうしようかな。
ぶらぶらと浮遊する本の間をうろついて悩んでいると、なんとなく奥の方の古びた本棚が気になり、私はそちらへ足を向けた。
その棚の本はかなり古びているらしく、古い本特有の乾いた匂いが鼻をつく。
在学中でも私は本を読む方だったが、こんな本棚があったとは気付かなかった。
目立つところには大判のこれまた年季が入った黒い皮表紙の本が、全部で8冊並んでいる。
どんな本だろうかと何の気なしに手を伸ばした一冊。そのタイトルは、『岩代 瑞樹』だった。
「……えっ?」
伸ばした手が、本の背の手前で止まった。
『瑞樹』と言えば、あの理科準備室の瑞樹しか思い浮かばないけれど……。瑞樹の本? そんなもの、誰に需要があるのだろうか。
出版元が気になって、本を手にとって裏返したりするが、出版社どころか著者名すら書いていない。
そんなことあり得るのだろうか。──自費出版、とか?
自費出版の本なんて見たことがないけれど、それならイメージ的に書いていなくても不自然ではなさそうだ。
同じ場所に並んでいる他の本も確認したが、同様だった。
内容を見ようとしても、たまにある鍵付きの日記張のような造りになっていて開けない。どの本にも、表紙から裏表紙にかけて帯状の皮が取り付けられ、表紙側に小さな鍵穴がついている。
配架されているのに読めないなんて、意味がないのではなかろうか。
瑞樹の本にもやはり鍵がついていたが、少し緩んでいるらしく、隙間から一部だけなら覗き見られそうだ。
鍵がかけられているものを覗き見るのは、良くないこと。分かってはいても、音楽室の彼女の声が頭の中で蘇る。
『あんた、あいつの弱みでも握ってるの?』
弱みを握る……。
そうすれば、瑞樹のことを知ることができるだろうか。
いや、そうじゃなくても情報をゆすれるかもしれないし。
自分で自分に言い訳するみたいな思考だけれど、私は本の隙間を覗き込んだ。
ページに触れると歴史を感じさせる、黄ばみ乾燥した紙のざらついた手触りを感じる。
もっとよく中を見たくて、指で隙間を押し広げ、顔を近づけた。
文庫本のものと同じくらいのサイズの黒い文字が整然と並んでいるのを目にしたのだが、次第にぼうっとしてきてしまう。
異常に気付いたときにはもう遅く、本に吸い込まれるように、私の意識は遠くなっていった。
ここは……理科準備室?
私の目に映ったのは、私が毎日のように通過していく見覚えのある室内だった。
備品の位置は同じなのだが、私が知っている理科準備室よりも真新しい。床も壁も、まだ灰色に薄汚れていなくて真っ白だ。
本を開いたはずなのに、どうしてこんなところにいるのだろう。
まさか、あの本も不思議アイテムだったとかだろうか。
ここに来てからしばらくが経つ。非現実的な体験にも、免疫がついてきた頃だ。
私は理科準備室を斜め上から見ている形だ。部屋の真新しさから考えると、これは過去のことなのかもしれない。
眼下では、椅子に座った美しい白衣の女性が、机に載せたホルマリン漬けの瓶をうっとりと眺めている。
なんとも猟奇的な一幕。
ホルマリン漬けの瓶をよく見ると、そこには瑞樹がいた。
瑞樹は今からは考えられないような虚ろな表情で、眉一つ動かさず、本物の死人のようにたゆたっている。
瞳は開けれていたが、ぼんやりと開かれたそれは、意志の輝きなどないガラス玉のよう。
いつもの様子からは考えられない不気味さがある。瑞樹はたいていいつも、胡散臭く微笑んでいるかいじめっ子顔だから。
女性は、ホルマリン容器に手を伸ばし、恍惚と呟いた。
それは、蕩けるような声色だった。
「ねえ、貴方。私は、貴方さえいればずっと生きていけるの……。貴方は、私の、私だけのものなのよ。それは、決められた運命なのだもの……」
睦言のように、ただただ甘い、告白のような言葉。けれど、それは蜘蛛の糸のように瑞樹に絡みつき、縛りつけようとしているみたいだった。
女性は瑞樹入りのホルマリンの容器をかき抱く。
恋する乙女の瞳で。
それしかない空虚な狂った瞳で。
彼女のゆるく纏めたセミロングの黒髪がするりと容器にかかって、瑞樹の姿は見えなくなった。
「愛しているのよ……」
美しいだけに凄絶な彼女がただ愛を繰り返す様は、壊れた人形を思わせる。
明らかに狂っている彼女から、私は目を離すことができなかった。
10/26日、11月にーという描写を追加しました。
あと、うっかり10月の記憶の旅〜と11月のアカシックレコード〜の間に入れるつもりの一話を忘れるという大ポカに気付いたので、月曜に最新話と追加で、計2話更新します。




