学園祭4
一通り校内を巡ると、空は早くも群青に染まり、星々が頭上で瞬き始めていた。
学園祭も終わりが近い。
屋台などは順に店をたたみ始め、昼間とはまた違った種類の喧騒が校舎に満ちている。
私は瑞樹の入ったホルマリンの瓶を両手で抱えて座りながら、屋上からそれを眺めている。
過ぎていく、無言の時間。
ぱんっ、という音に空を見上げると、大輪の花火が夜空に咲いた。
なんだか無言の時間がいたたまれず、私はぽつりと呟いた。
「綺麗だね」
暗闇のキャンバスに、次々と鮮やかな色が現れては消えていく。
赤い色、青い色。黄色、緑、橙……。
また一つ、大輪の花が打ち上がった。
「……僕は花火なんて嫌いです」
か細い声がして、驚く。
さっきのは間をもたせるための独り言のようなもので、返事など期待していなかったから。
瑞樹は淡々と言う。
「花火なんて、所詮ただの化学反応で人工的に作られた火花です。一瞬で壊れてしまう、脆弱な脆いもの。後には何も残らない」
「夢がないなぁ。すぐに消えちゃっても、綺麗なんだから良いでしょ」
瑞樹は笑った。
それはしかし、いつもの瑞樹らしい人を小馬鹿にした笑みではない。
淡く滲んでいるのは、寂寥感だろうか。
思ってもいない反応に、慄く。
「あれを見ていると、イライラするんですよ」
「イライラって、なんでそんなこと言うの」
私が目線で促しても、瑞樹は続きを語ろうとはしない。
長い沈黙が、コンクリートの狭い屋上を満たしていく。
静寂を破るのは、花火が打ち上がる断続的な音だけだ。
暑気が立ち込めるような夜だと、そう思った。
やがて、彼は小さく言う。
「僕にも、あるいは同じ末路が待っているからかも、しれませんね」
「どういうこと? あんたはここにいるのに」
瑞樹はそれ以上語らず、花火をじっと見つめる。
この時の瑞樹は、今にも花火のように空に溶けて消えてしまいそうに見えた。
まさかこいつに限ってそれはないと普段なら思うところだが、そう思わずにはいられなかった。
いつも通り──もう腕の中が定位置になってしまった瑞樹を、ぎゅっと抱き締める。
「……前が見えませんよ」
私の腕で視界を遮られてしまったらしい瑞樹が文句を言う。
いつもの威勢はどこに行ってしまったのだろうかと首を傾げたくなるほどに、力無い声色で。
「うるさいなぁ。花火が嫌いなら、見えなくても良いでしょ」
「そう……そうです、ね」
私は腕に力を込めた。
消えてしまいやしないと、ここに本当にいるのだと感じたくて。
腕に伝わった感触は、暖かくもなく、柔らかくもない。冷たく、硬い、ホルマリンの瓶の人工的な硬質さ。
それが、無性に悲しいものに思えた。
ヒトとは、私たちとはチガウのだと主張されているように感じたからなのかもしれない。
瑞樹は何を思っているのだろう。
そっと上からホルマリン容器を見下ろすと、彼は見えもしない、彼が嫌いだと言った花火の方に顔を向けていた。
何かを堪えているような表情だ。
彼は泣いているのではないかと、何となく思う。
ただ、それを確認したくても、流れたかもしれない涙はガラス容器の中で、瓶に満ちたホルマリンに同化してしまっている。
私も空を見上げた。
あんなに美しかった花火が、無性に寂しいものに感じられた。
それなのに、鮮やかな散り様は、私の目を奪って離さない。
悲しいくらい艶やかに、空に咲いた花が咲いては散って行く。
後には、何も残らない。
時間は過ぎて行き、気がつけばもう深夜になっていた。
私は瑞樹を理科準備室に送り届けて、保健室に帰った。
そう、『帰った』のだ。
私は意識してはいなかったが、すっかりここに馴染んでしまったらしい。
保健室に『行く』のではなく『帰る』ということは、私がそこを帰るべき場所として認識しているということ。
私はそれに気付くと少し笑って、保健室に『帰る』。
おかえりと言うアリスに、自然にただいまを言って、靴を適当に脱いでからベッドにダイブする。
白い天井を、ぼんやりと眺めた。
そう、だからきっと……。
何かを堪えていた瑞樹に対して一瞬よぎった感情も、きっとただの慣れからくる親愛だ。
……そうでなくては、ならない。
瑞樹のあの表情を見て、一つだけ思い出せたこと。
私がどうしてあんなにもアレを探すことにこだわったのか、という、理由。
『アレ』を探すこと。
それは、私の贖罪なのだから。
私は芽生えかけた、まだ名前すらつけられない感情を黙殺し、目を閉じた。




