学園祭2
私が彼のエンジェルスマイルに負けそうになったその時、私の手に衝撃が走った。
瑞樹だ。
自分の入っている容器を勢いよく揺らしたらしい。
「うわっ!?」
不意打ちに近い形だったので、取り落としそうになり、慌てて両腕に力を込めた。
私がやっとの思いで態勢を整えると、瑞樹はすごく嫌そうな顔で彼に言った。
「鶫、彼女は今、ダイエット中なんですよ。クッキーは食べません」
憮然とした声だ。
なんとなく想像がつくが、瑞樹は彼と相性が悪いのだろう。
というか誰がダイエット中だ。
私は瑞樹にそんなことは一言も言っていない。
いやそれよりも、こちらでは食事の必要がないのに、太るということがあるのかが疑問だ。
鶫はしゅんとして、表情を曇らせる。
「そっか……ごめんね。女の子だもん、色々あるよね……」
いや、色々あったとしても、瑞樹が知ってるはずないけどね?
まあ被害を縮小できるから、何も言わないでおこう。
……すごく突っ込みたいけど。
「ふう。ところで鶫、さっき彼女が訝しそうにしていましたが、もしかして名乗っていなかったんですか?」
名乗る名乗らない以前の問題だ。
お前がいきなり、私がダイエット中だとか言い出すからぎょっとしただけだよ。
ああ、突っ込みたい。
でも突っ込めない……。
それを聞いて彼はしばらく記憶を探るようにして、ああっ、と叫んだ。
「そう言えば忘れてた。改めて、ボク、二科 鶫っていうんだ。よろしくね」
私の方に歩み寄って、右手を差し出してきた。
私も握手するため右手を出そうとしたが……。
瑞樹のホルマリンの瓶は割と大きいので両手で持たないと落としそうで怖い。
うっかりしたら、瓶が地面に落下して、ホルマリンと正体を考えたくない何やらが飛び散り、レッツスプラッタという感じになりそうだ。
ひとまず瓶を手近なクッキー販売台の上に載せ、右手を差し出して握手する。
再び輝くような笑みを浮かべた彼に、私は思い切って尋ねる。
「ねえ、仁科君はどうしてクッキーを追加してるの?」
「調理部の人たちが忙しそうだから、手伝ってあげてるんだよ。なかなか上手でしょう?」
仁科君は誇らしげに胸をそらした。
小さな親切大きなお世話、というやつか。
善意でやっている分強く出られず、始末が悪い。どう言いくるめればこの無自覚な危険行為をやめさせられるのだろう。
思い悩んでいると、瑞樹が言う。
「鶫、それは違います」
「えっ?」
鶫君は驚いている。
私も声は出さないものの、驚いていた。
瑞樹が人のためになることをするなんて……!
絶対にこいつこそ、裏があるに違いない。
瑞樹は企み顔で続けた。
黒いオーラが瑞樹のホルマリン容器を取り巻き、体がついていれば、拳でも握っていそうな勢いだ。
「彼女たちは、己の力で彼女たちなりに、学園祭を楽しんでいるんです。苦労や忙しさも、また醍醐味。君の手伝いはいわば、その汗の結晶に混入された不純物にしかすぎません。しかも、万一君の混ぜたクッキーに問題があったら、責任は調理部がとらなくてはならないんですよ。分を弁えなさい」
カッと、それを聞いた仁科君の表情が変化する。そういうことを今まで考えてきていなかったのか、愕然とした様子だ。
「そ、そうか……。ボクがやってたことって、大きなお世話だったんだ……」
ようやく気付いたか。
そして、この時私も瑞樹を横目で見て、気付いた。
やはりこいつには、発生するであろうトンデモクッキーの被害者を助けるなんてつもりはさらさらなかったのだ。
結果的にそうなったのは、利害の一致でしかない。
こいつは……こいつは……、ただ鶫君をやり込めて反応をみたかったのと、突っ込むに突っ込めない私の煩悶を特等席から眺めて楽しみたかっただけだったのだ。
その証拠に、さっき目線があったとき、すごく嫌な笑顔で鶫だけじゃなく私の顔も窺っていた。
自分のリアクションを笑われて嬉しいのなんて、お笑い芸人くらいだろう。偏見かもしれないけど、あれはそういう職業だし。
私が静かに怒りを滾らせているうちに、しゅんとした彼は茫然自失でどこかへ去って行った。
かなり気落ちしていたようだったので気にはなるが、そう親しいというわけでもないし放っておいても良いか。
こんなところだけ瑞樹の影響を受けて、薄情になってしまったのだろうか。
まあとにかく、これで犠牲者は救われた。
私は安堵の息を吐く。
密かに心の中では、仕返しに移動の時、偶然を装って容器を揺らして瑞樹を酔わせてやろうと思っている。
「さて、そろそろ移動しましょう。次はどこに行くんです?」
そう言ったのは瑞樹だ。
「うん、次に行くのはもう決まってるの。次は……」




