学園祭1
学園祭当日。
最近はめっきり瑞樹に合わせて夜型生活を送っていたので心配だったが、約束の時間に余裕で間に合う時間には起きられたので一安心だ。
「っ、せいぜい気を付けることね! あんなのと一緒に朽名祭に行くなんて、自殺行為にしか思えないけど。……いちおう保健室に駆け込んで来れば、助けてあげなくはないわよ」
そう言って、うろうろと視線を彷徨わせながら、アリスは私を送り出した。
瑞樹、お前は今まで何をやってきたんだ……。
ここまで警戒されるなんで、相当だ。
何をすれば、ここまで評判を落とせるのだろう。むしろ一種の才能の域に達している。
……いやいや、そんな才能いらないって。
セルフ突っ込みを入れてしまう。
気を取り直して、学園祭当日ということで賑わう校内を抜けて理科準備室に入る。
いつもの隠し棚に目を向けると、今日は珍しく瑞樹が目を開いていた。
「おはよう、瑞樹。もう行く?」
「ええ、行きましょうか。どこか行きたい所はありますか?」
今日のこいつはどうしてしまったのだろう。瑞樹が私に気を使うような発言をするなんて。
悪い物でも食べたのだろうか。
それとも、お隣でやっている科学部の実験を実演するコーナーで、妙な効果の気体でも発生して、吸い込んでしまったのだろうか。
私が信じられない思いで目を丸くして瑞樹を見ると、彼は微笑を浮かべながら言う。
「君は今ここから出られませんが、こんな日なら知り合いの一人や二人、見つけられるかもしれませんよ? 行きたい所がなくても、会いたい人くらいいるんじゃないですか?」
「まあいる、けど……」
「なら決まりですね。どこに行きましょうか」
彼が気を使ってくれるなんて、くすぐったい。
なんだかどことなく黒い気配を感じなくはないが……。
いや、良くないよね、他人を疑うなんて。
とにかくお礼くらいは言っておこう。
「その……ありがとう」
「いいえ、気にしないで下さい。ただ、親しかったであろう人に会っても話もできずにもやもやしている君をみたいだけですので」
彼の歯が爽やかに輝いた。
「私の感動を返せ」
「ふう、君に付き合ってもそのくらいしかメリットがないんですから、楽しませて下さいよ。それで、どこに行くんです?」
瑞樹のこれは、そろそろ諦めた方が良いのだろうか。
「もう……。そうだねえ、まずは……」
敷き詰められた、青々とした芝生。
底無しに青い空。
時折爽やかな風が、緑の木立を揺らしていく。
私はホルマリンの瓶を抱えて、中庭に出ていた。
学園祭中、この中庭や校庭には出店が立ち並び、賑やかな喧騒が辺りを包む。
私はぶらぶらと店を覗いては歩き続けている。
ふと妙なものを見つけて、立ち止まった。
「ねえ、瑞樹。あそこで売ってるクッキーって、気のせいじゃなければ見覚えのあるラッピングのが混じってるんだけど……」
私が足を止めたのは、調理部の出店の前。
うず高く、様々な味とトッピングのクッキーが小袋に入って積まれている。
そして、安っぽい紙製の包装に混じってさりげなく顔を覗かせる、可愛らしくセンスの良い、桃色のラッピング。それは当然のように堂々と、白日の下に姿を現している。
私の言葉を受けて瑞樹はそちらに目を向けると、納得したように頷いた。
「ええ、そうですね。毎年、彼にも困ったものです。手伝いと称して、あの危険物を品物に混入するんですよ……」
「え、危険物って?」
危険物という物騒な響きに、違和感を感じた。
ただのクッキーではないのか。
瑞樹がにっこりと笑う。
「ああ、それはですね、彼のお菓子は食べた人を強制的にこちらに引きずりこむ効果があるんです。気に入った人にしか渡さないですし、貰っても適当な理由をつけて食べなければ問題ないんですけど」
「……私、貰ったことあるんだけど」
背筋を冷たい汗が、たらりと流れ落ちる。
あの時はてけてけにクッキーアタックしたが、それで命拾いしたということか。
危なかった。
この学校は私にいくつ死亡フラグを立てれば気が済むのだろう。
瑞樹はそれを聞くと、目を輝かせた。
全身から好奇心が漏れ出している。
「食べましたか、食べたんですか!?」
なんでこんなに楽しそうなんだ。
うんざりしてしまう。
いつものことではあるが、人の不幸をここまでエンジョイするのはどうなのだろう。
「食べてません。……とにかくこのままじゃまずい。こっそり処分しておかなきゃ」
私は人には姿が見えないのをいいことに、大胆にクッキーに近付いた。
そこに油断があったのだろう、あと一歩で手が届くというところで、背後から誰かに肩を叩かれる。
後ろ暗いことをしようとしていただけに、びくっ、と背が跳ねた。
このタイミングで、まさか……。
錆び付いたブリキの人形のようにぎこちない動きで振り向くと、目に飛び込んできたのは素晴らしいエンジェルスマイル。
……あかん、奴が……奴が来てもうた。
動揺のあまり、なぜか心の中でよくわからない訛りが出てしまう。
「ひ、久し振りだね!」
何とか誤魔化そうと、とりあえず挨拶をしてみた。
隠しきれない動揺で、声は裏返って震えているし、笑顔も痙攣しているように引きつっている。
彼は、にっこりとしたまま挨拶を返した。
「うん、久し振りだね。こんなところでどうしたの? クッキー食べる?」
「えーっと」
NOと言いたい。
とても言いたい。
けれど……。
私は逸らしていた目線を、前を向けた。
キラキラ。
目に飛び込んでくる、エンジェルスマイル。
これを前にして、誰が断れようか、いや断れまい。
この、否定されるなんて夢にも思っていないような笑顔の輝き。
目が……あと心が痛い……。
断るなんてできない。
くっ、どうすれば……!




