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朽名奇譚  作者: いちい
#3 焼却炉の探索者
202/205

火葬

前話から間が少し空いてしまって申し訳ないです。多忙に加えて熱が出てしまって。

もう復活しましたので、ポツポツ書いて投稿するです。

 室内の静寂を、外からの賑わう声が乱している。卒業式を終えたばかりの生徒たちが、別れを惜しみ、最後の思い出を作っているのだろう。


 ────また、一年度が終わった。


 校長室の柔らかな椅子に座り、私はしばしその声に耳を澄ませた。

 こうしてここに座って、もう何度卒業式を迎えただろう。いつしか私の体は老い、手もこんな枯れ木のように頼りなく乾いてしまった。


 軽く苦笑して顔を上げ、対面の壁に寄りかかる彼に目を向ける。

 私はこんなにも変わってしまったけれど、彼は何一つ変わらない。


「克己」

「…………何だ」


 ぶっきらぼうな態度も、あの頃と同じ。

 こういう風に懐かしく思うのも私が老いた証なのかもしれない。以前はそのことを悲しく思うときもあった。

 私だけが、彼に置いていかれてしまったのだと。ずっと一緒にあちら側にいたかったと。


 しかし、克己は私がどんなに変わろうとも一緒にいてくれた。私が教師になるまではじっと待ち、そしてここに戻ってきてからはいつも傍に彼がいた。

 たとえ、彼の姿が他の誰にも見えなかったとしても。


 見た目の年齢はどんどん、並んでいても祖母と孫にしか見えないほどにかけ離れてしまっている。だが、この気持ちはいつまでも変わらなかった。

 彼のことは、今もこんなにも愛おしい。

 私はしわくちゃになった顔に、微笑を浮かべた。


 橙色の夕日に目を細めながら、克己は不意に問う。


「……あの時のこと、恨んでるのか」


 ──もう50年以上昔の事だ。

 私はこの学校と重なり合って存在する裏側の学校に忍び込んで、1年の歳月を過ごした。弟を探すという目的のため校舎を探し歩く日々。その途中で私は彼と出会い、そして恋をした。


 帰らずに、そこでずっと生きていこうと思っていた。だが、それは叶わなかった。彼が私を騙して、こちらに一人で帰したのだ。

 あの時の悲しみとも絶望ともつかない記憶は、今でも心に焼き付いている。


「…………いいえ。昔は恨めしく思うこともありましたけれど、今はそんなことは思いませんよ。辛いことも楽しいことも、今までたくさんありました。どれも、こちらにいるからこそできた経験です」


 私は息を吐き、小さく微笑む。


「あなたに、置いていかれたと思っていました。ですが私もまた、あなたを置いて。もう、おばあちゃんになってしまいました」


 帰ってきてから、私は必死で克己と再会する方法を探り続けた。そして、進路も教師に定め、教育実習でこの学校に帰ってきた時。私は疎遠になっていた幼馴染──颯太に会った。


 颯太。

 彼が私にとって何なのか、説明する事は難しい。

 大切な弟分だった。だが、思い返す彼との思い出はとても幸福で、それと同じ分だけの苦さも含んでいる。大切さと同じくらいに、彼の存在は重荷だったのだ。


 彼は私に、蛇の絵が刺繍された御守りをくれた。それを持っていれば、見えないはずのものが見えると彼は言った。


 御守りを握り締めて、真っ先に駆け込んだ夜の校舎。そこで私が一番に目にしたのは、あの日と同じ微笑だった。


 そうして時は過ぎ、私は理事の方々や岡崎先生の後押しもあって、校長になった。

 長い間、この椅子に座ってきた。良い校長先生だったのか自分では分からないけれど、毎日を必死に走り抜いてここまで来た。

 振り返った日々に色があるとしたら、それはきっと夕焼けと同じ色。燃え盛る炎にも似た、郷愁の色だろう。


 ずっと一緒にいたかった。

 叶わなかった願いを引きずっていた頃もあったけれど、それ以上に幸せだった。家族とも和解できて、友人もいて、仕事にもやりがいを持てて。いずれもこちらに戻ったからこその幸福だったが、幸せであればあるほど克己のことが頭を占めた。

 置いて行かれたんじゃない。置いていったのは私だったのだ。

 もう────もう、彼を置いては、どこにも行きたくない。

 柄にもない感傷的な思考だが、強く思う。


 目が霞む。目の前の彼の姿が、夕陽に滲んでぼやけていく。


「……ごめんなさい、少し疲れてしまったみたいです。……起きたら、また側にいてくれますか?」

「ああ」


 ゆっくりと(みのり)の頭が倒れ、彼女はそのまま動かなくなった。

 革張りの立派な椅子に沈み込むようなその体は、とても小さい。


 秊は病を患っていた。

 克己を除けば数人しか知らないが、末期の病気で治る見込みはなかった。それでも入院せずにここにいるのは、残り少ない余命を最後まで学校で過ごしたいという、彼女のたっての願いからだった。

 もう置いて行きたくない人が、いるのだと。


 克己はゆっくりと秊に歩み寄った。


「ずっと、お前のことを見守ってきたけど。やっぱりさ、生きてる奴とは距離が広がってくばっかりだったな」


 赤い夕陽に照らされた校長室で、影が動く。

 本来なら、生きているうちに言うべきことだったのかもしれない。だが、これでいいのだ。

 誰も聞く者がいないからこそ語れる真意というものも、あるのだから。


「ホントはよ。秊もそのうちオレのこと忘れるんだって思ってた。でもそれと同じくらい……忘れないでほしかったんだ」


 克己の(まなじり)から涙が零れた。


「ありがとう」


 奥の窓から橙色の夕陽が差し込み、室内は黄混じりの明るい炎に包まれたようにも見える。


 外の世界に戻った彼女が自分を忘れて幸せになるなら、克己はそれでもよかった。それなのに、こんなに老いるまで想い続けてくれた。

 椅子で事切れた彼女の、品のいいスーツの胸元には不似合いな古ぼけた銀の指輪──あの日の願いが、まだ鈍く輝いている。


「今まで、ありがとう。オレを忘れないでいてくれて。オレを────」


 愛してくれて。


 元の世界に帰って、家族と和解した(みのり)。自分がなくしたものを秊が取り戻すことで、オレもまた救われていた。


 校門に立ったあの時には、正しさなんて分からなかった。最善なんて、後から振り返ってみて初めてわかるものだ。

 だからこそ今、自信を持って言える。


 あの選択は正しかったんだと。


 ずっと追い求めていた幸せが、確かに今、この胸にはあった。


 高校生のままのオレ。

 年を重ねた秊。

 開き続けたその距離も今、零になる。


 オレは秊の遺骸に歩み寄り、屈んでその小さな体を抱き締めた。枯れ木みてえに乾いた体は、ひどく軽い。

 感情を昂りのままに解放すれば、ゆっくりと周囲に火の粉が舞い始める。小さな火種は酸素を呑み込んで燃え盛り、赤い炎が床を這って、天井や壁を舐め上げる。


 校舎が燃えている。しかし、そこにいる誰もが火事に気付きはしない。それどころか、木造の校舎には焦げ跡一つ見受けられない。

 夕陽と同じ色の炎は瞬く間に燃え広がり、ただ重なり合うもう一つの世界とその住人だけを、全て焼き尽くしていった。


 校舎全てが火の海に包まれ、やがて幻のように一瞬で炎は消えた。

 裏側は失われ、世界は一つになった。

 表側の校長室。無人になったそこには、誰も腰掛けていない革張りの椅子が一つ、取り残されていた。




 ◆◇◆◇◆



 #7 消えた校長




 井垣さん、そっちの掃除はどうですか? こっちはもう済んだんですけど。────ああ、あの写真の枚数が気になるんですか?


 ええ、あれは歴代の校長の写真です。一枚少ないの、知ってる人はほとんどいませんよね。普通はわざわざ数えませんし。


 一枚足りない理由?

 私は先輩に聞いたんですけど。あっ、その先輩は、お父さんの友人の知人から聞いたそうです。

 それで、何代か前の校長、校長室で失踪したらしくて。変ですよね。夜逃げにしても、こんな部屋でいきなりいなくなるの。


 失踪自体は、昔は珍しくなかったんですよ?

 この学校、数年に一人くらいのペースで人がいなくなるので、一部では有名だったんです。でも噂だと、その校長が消えてから失踪者もぱたりといなくなったそうですよ。


 しかも不思議なことに…………その校長が消えた瞬間、その人の名前や姿を誰も思い出せなくなっちゃったんです。写真もなくなってしまったらしくて。それで一枚足りないんですよ。


 実は校長は何百年も生きた妖怪で、生徒の失踪も全部いなくなった校長の仕業だった、とか。失踪事件の犯人を突き止めたけど、犯人に口封じされてしまった、とか。いろいろ噂はあるみたい。ちょっと面白いですよね。


 真実を知る当人はもうどこにもいませんから、確認は無理ですけど。でも、そんなわけで一部の人からは、昔からある七不思議の最後、『次はお前だ!』みたいなのを差し替えて、7つ目の七不思議、『消えた校長』なんて言ってる人もいるみたいですよ。

 他にも、『白い死神』なんて噂が7つ目に入ったりもするみたいですけどね。


 ────ああ、そっちも終わりましたね。それでは担当の先生に確認していただいて、帰りましょうか。





これにて克己の物語のエンディングも終わりです。

例のごとく、IFエンド二つとサブキャラの幕間で締めようと思ってます。

長かったなあ……。でも、楽しかった。

もう少し読者の皆様とお付き合いできると嬉しいです。

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