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朽名奇譚  作者: いちい
#3 焼却炉の探索者
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鎮火

 その時、オレの肩に小さな振動が届いた。

 ああ、うざったい。何なんだよ。

 邪魔すんなよな、いいところなんだから。


 背中に背負った何かを廊下に放り捨てようとして、すんでのところでオレは動きを止める。

 あれ……そういやあ、オレ。

 オレは、一体何を背負っていた?


 白濁していた視界が急速に明晰になる。そこに映るのは、地獄のような赤と黒の光景。何かが焼けた残骸が、黒い炭になって所々に落ちている。廊下や壁には煤が飛び、未だ何かの破片らしきものが、ぶすぶすと黒煙を吐きながら真っ赤な火の中で燃えていく。


 階段の上から見下ろす、そんな悪い冗談みてえなのは、だけど紛れもない現実で。灰と血の臭いが、ふわりと鼻を掠めた。

 そして、思い出す。オレはどうしてここにいるのか。何をしないといけなかったのか。

 視界に映る背に背負った誰かの右腕は、火に巻かれたのか幾つも赤く水膨れができ、血を流していた。


 これは……誰の。


「こ……九重?」


 名前を呼ぶが、返事はない。背中に背負った九重の意識はまだ戻っていないのか、それとも。


「オレが、……そん、な。バカなこと」


 目の前のこれは、まさかオレがやったのか?

 酷え冗談だと笑い飛ばしてみようとするが、口元が僅かに引きつっただけに終わる。

『嘘だろ』。

 そう思うのに、口からその言葉は出てこなかった。


 オレはこの裏側とかいう場所に来た時の記憶も、ここで過ごしていた記憶もない。だから、誰にオレがどんなことをやってきたのか告げられても、苛立つばかりだった。

 だが、今回は。

 ちゃんと覚えてる。喉すら一瞬で炙られて、悲鳴もなくのたうち消し炭に変わっていく化け物たち。それを階段の上から見下ろして狂ったように嗤うのは、紛れもなくオレ自身だった。

 体にかかる九重のずっしりとした重みが、まるでオレを責めているみたいに感じられる。


 九重…………こいつが死んでいたら、それはオレのせいで……それに。

 オレはまた、置いていかれるのか?

 この、狂った学校(セカイ)に。

 一人っきりで。


 胸の中を、ぐちゃぐちゃしたものが渦を巻く。心拍数が跳ね上がり、呼吸が浅く早くなっていく。

 さっきまでの興奮はとっくに冷めていた。

 うなじを伝うのは冷や汗だろうか。

 オレはなるべく背負った九重を揺らさないように、それでいて極限まで急いで保健室に駆け込んだ。

 自分の喘鳴(ぜいめい)がいやに大きく聞こえ、耳についた。

 扉を乱暴に開け放ち、前置きもなしに叫ぶ。


「──おい、人形! アリス、いるんだろ!?」

「あんたに人形呼ばわりされる覚えなんかないけど。何よ」


 切羽詰まったオレの声に、保健室の人形は机の上から不機嫌そうに振り返った。


「頼む、早くこいつを診てやってくれ! 九重が……オレの、オレのせいなんだ……!」


 事情が飲み込めない様子の人形だったが、オレが大股に保健室に入り込み、ベッドの上におぶっていた九重を降ろすと、その白磁の顔色が変わる。


「…………これ、……あんたが…………?」


 ベッドサイドに浮遊しながら蒼白な表情で見上げる人形に、オレは何も言えなかった。ただ九重から目を背けることもできずに、拳をきつく握りしめる。


 何も答えないオレの態度を肯定と受け取ったのだろう。人形はオレに軽蔑の目を向けると、洗面器に水を溜め、清潔なタオルを用意しだした。

 火傷を水で冷やすつもりらしい。


 せいぜい30センチ程度の人形の質量と重量では明らかに運べないそれを軽々と持ったまま、人形は空中を浮遊して移動し、ベッドに戻ってきた。

 そして人形が九重の腕をとって、洗面器の水に浸す。

 所々水膨れができて、血の滲む右腕。落ち着いてよく見ればそれだけでなく、腕は周囲まで痛々しく赤く腫れている。


 痕……やっぱり、残るんだろうか。

 傷をじっと見ていると、焦れたように人形が叫んだ。


「ああもう! ちょっとあんた、そんな顔するくらいなら手伝いなさいよね!」


 無理やり手に、ベッドサイドに置いてあった水の入った洗面器が押し付けられる。

 オレは人形がやっていたのの見よう見まねで、九重の右腕を洗面器につけた。そして、水嵩が患部を冷やすのに少し足りない分、水を手で掬って赤く腫れた部分や水膨れにかけていく。

 本人に意識があれば洗面所で腕を漬けられただろうが、この状況ではこれが精一杯なんだろう。


 あの教室には九重以外オレしかいなかったし、普通なら貧血か何かを疑うところだ。だが、それは今回に限っては好意的に過ぎる予測だろう。実際に遭遇してみると、オレを恨んでいる化け物は相当数いるようだった。そしてその恨み辛みもまた、予想以上に深いらしい。

 九重はオレの巻き添えになったのか?

 もしこいつがこのまま目覚めなかったら……。


「だ か ら! 辛気臭い顔してる暇があるなら手を動かしなさい!」


 悪い予想を断ち切ったのは、けたたましい人形の怒鳴り声だった。思考に引き摺られて手が止まっていたらしい。


「っ、悪い」

「謝るなら、目が覚めた(みのり)に謝りなさいよね。あんたバカじゃないの? せっかく手伝ってくれる人間を傷つけるなんて」

「ああ…………」


 言い返す言葉もない。

 多分、オレが覚えてねえ間もあんな風に暴れていたんだろう。人も物も構わずに。

 恨まれるのも当然だ。

 自己嫌悪に陥りながら、九重の腕を冷やす作業に戻る。

 怪我をするのもさせるのも、慣れっこだ。だが、こういう風に誰かの看病をするのは初めてで、自分で言うのもなんだが相当手際は悪い。シーツの上に、かけ損ねて零れた水の飛沫が散った。


 人形の呆れたような視線を受けながら、居心地悪い思いでひたすら作業を続行していく。

 洗面器の水音が保健室に、いやに大きく響く。遠くからは微かに生徒の声が聞こえる。そろそろ登校時間になるのかもしれない。

 水が温くなってきた頃、人形が言った。


「……冷やすのはそろそろよさそうね。今度は包帯巻くわよ」


 声とともに、包帯とハサミ、タオルを手渡された。

 オレはタオルで九重の腕を拭うと、ぎこちないながらも包帯を巻こうとするが、どうにも包帯がうまく安定せずにずれる。

 もたついているうちに、人形に包帯を奪われた。人形は九重の右腕に綺麗に包帯を巻くと、鼻で笑う。


「下手くそ」

「…………!!」


 反論できないが、心底人をバカにしきった顔に、頭に血が昇る。思わず手が出そうになるのを瞬時に自制した。

 元はと言えば、九重が怪我をしたのはオレのせいだ。態度はムカついても、代わって手当てしてくれたのに殴るのは、流石にない。

 舌打ち一つで苛立ちを紛らわせ、オレは腕を組むと壁に寄りかかった。


「何よ、もしかして目が覚めるまで待ってるつもり?」


 かけられた意外そうな声。答えるのも面倒で無視していると、人形は感心したように続ける。


「あんた、思ったより人間らしいわね」

「……は?」


 ここに来てから散々化け物だと言われ続けてきたが、人間らしいと言われたのは初めてだ。

 思わず声が漏れた。


「アタシ、あんたは完全に頭がおかしい殺人狂だと思ってたわ。でも、そうでもないみたいね。ねえ、何があったのよ」

「何がって」


 人形の青いガラス玉の目が、オレを見上げる。


「何かがあったんでしょ? (みのり)が怪我するような何かが」

「……そんな大層なもんじゃねえよ」


 大層なことは何もねえ。

 ただオレがいつもの通りに自制心を失って、こいつを傷つけた。……ただ、それだけだ。

 腹の辺りで凝るこの重い気持ちは、罪悪感か。


「ふうん。何にせよ、秊が目覚めたら謝っておくことね」


 仔細を語らないオレに興味をなくしたんだろう、人形は机の上に移動して動かなくなった。


 やっと静かになったと、ベッドの隅に腰を下ろして、眠り続ける九重を見る。

 ──そういえば、こいつが倒れた場所。

 教室のロッカーは、左上から順番に出席番号順に並んでたはずだ。あの場所は真ん中より少し後ろくらいだったか。順番通りなら、だいたい『た』の後半から『は』で始まる名前の辺りだ。

 もしかしてあのロッカーは、中津のロッカーだったのか?

 まさか、そんな偶然があるはずねえ。だけど、偶然じゃないとしたら? もし中津がオレみたいに、こっちに来てたとしたら。

 オレの覚えてない間のことを、人形は確か……怪異と男子生徒を一人焼いたって言ってなかったか?


 それが仮に中津だったなら……中津はオレを。


「…………っ」


 恨んでいないはずがない。それでも恨んでいると断定してしまえば。オレが階段で焼いた連中の中に中津がいたかもしれないということを、肯定してしまいそうだった。



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