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朽名奇譚  作者: いちい
#3 焼却炉の探索者
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理科準備室の悪魔2

「えっと、開けたことに問題はないけど開け方に問題があるっていうか……」


 扉が人に当たる可能性は十分理解できていただろうにもかかわらず、不敵すぎるホルマリン漬けの彼の言葉。

 それに言い淀みながら答えて、私は克己を窺い見た。今までのパターンだと激昂してもおかしくはないのに、やけに静かだ。真っ先に文句か喧嘩を売りそうだというのは偏見だろうか。

 克己はドアを避けた体勢のまま、口をパクパクさせて固まっている。どうやら怒りよりも、悪い意味でユニークすぎる理科準備室のホルマリン生首の出で立ちへの衝撃が勝ったらしい。


 今のうちに話を進めてしまおう。

 ホルマリン漬けの少年の生首なんて笑えない存在に向き直り、愛想笑いを浮かべる。


「こんにちは、えっと……生首君?」

「生首ではなく瑞樹です」

「あ、うん。瑞樹君。私たち探し物してるの。もしかしたらここに隠されてるかもしれないと思って来たんだけど。銀の指輪を知らないかな?」

「ふうん。隠されてる、ですか。面白そうなことになっているようですね。察するに、そちらの焼却炉の探索者の持ち物ですか」


 まだほとんど何も説明していないのに、察しが良すぎる。

 瑞樹君は無関心そうに続ける。


「僕は凡庸な人間になど興味ありませんが。残念ながら、そんな物を隠すような愉快な人間はいませんでしたね」

「……そう。ありがとう」


 そう簡単に見つかるとは思っていなかったが、それでもやはり落胆は禁じえない。

 はぁ、とため息をついたのは、私ではなく瑞樹君だった。落胆と失望を隠そうともせず、彼は言う。


「それにしても残念です。彼は僕と同じ類のニンゲンかと思っていましたが、どうやら思い違いだったようですね」

「…………? 彼って克己のこと?」

「他に『彼』と呼称されるべきニンゲンが見えるとしたら、君の目は節穴未満です」


 呼吸をするように毒を吐く瑞樹君の目が、克己に向く。

 克己はまだ衝撃から回復しきらないのか、たじろいだ。


「な、なんだよ」

「僕はねえ、君は僕と同じで、罪をそうと知りながら犯す人種かと思っていたんですよ。非常に残念です。君がそんなつまらないニンゲンだったとは」


 そう言ってまた深いため息をつき、私にも克己にも口を挟ませず。ねっとりと絡みつくように、目の前の七不思議は悪意を紡ぐ。

 ホルマリン漬けの生首の語るそれはひどく非現実的で、人が目を背けてきた醜悪な部分をあえて凝縮していた。

 一瞬にして、空気が変わる。埃っぽい空気を朝日が照らす理科準備室から……もっと粘ついた悪意が充満して。

 七不思議の、領域へ。


「君は現実を見ていない。圧倒的に現実感が足りていません。君は、どこかでこう思っているでしょう。自分は『巻き込まれただけの被害者』だと」


 瑞樹君はホルマリンの海の向こうで、意味深に唇を歪める。細められた切れ長の目は、机の上から克己を粘度の高い視線で見上げていた。


「……否定できますか?」

「……ッ、うるせえ。黙れよ!」


 克己の態度は、明確な肯定だった。

 怒るということは、彼の言葉を内心で認めているということだ。もしそうでないなら、揺さぶられることはないのだから。


 私も薄々感じてはいた。

 克己からは、その過去に反して罪悪感が感じられないのだ。人を焼き、怪異を殺めた苦しみも悲しみも、一摘みほども感じられない。

 私が彼の名前を呼んだ日を境目に、過去の彼と現在の彼は大きく乖離している。姿だけでなく、きっと目に見えないあらゆるものまでもが。

 克己は自分の過去を忘れて、今も受け入れないままでいるのだろう。


 歌うように、愉しげに。瑞樹君は、目を細めながら言葉を連ねる。


「君がどう思っていようと、君は加害者であり罪人です。その事実は果たして、忘れたからという安易な言葉で投げ出していいものなんでしょうか。──君はどう思いますか?」

「知らねえって言ってんだろうが! 大体、罪人って何だよ!」


 瑞樹君の黒い瞳は、荒い語気でいきりたつ克己を通り越した。意味ありげな視線を受けるのは、私。

 ホルマリンとガラスの向こうで彼の口が動き、異様にはっきりとその声なき言葉が頭の中に浮かび上がる。


『焼死した男子生徒のことを、彼に伝えていませんね?』


 意図せずに、肩が跳ねる。それは、瑞樹君の指摘が正しかったからで。


 アリスによれば、克己はだいぶ怪異を焼き殺して、今も怨まれているらしい。でも、それだけじゃないのだ。3番目の七不思議は、克己が指輪を隠した中津という生徒をも殺したと語っている。


 アリスは『生徒を一人焼いた』とは言ったが、その被害者が『中津君』で、しかも正確には克己が『焼き殺した』ということまでは触れていない。

 それを伝えるべきだと、瑞樹君は暗にほのめかしていた。

 今まで伝えずにいたことに、大した意味も後悔もない。だって、伝えたところでどうにもならない。覚えていないなら、追求したって何もできない。

 だったら……何も、言わないでいても良いでしょう?


 それに……私は少しだけ、ほんの少しだけ怖い。人を殺して、怪異も殺して。居場所なんかなくて、帰る場所も未来もない。そんな状況の彼を自分の目的のために正気にさせたのが私だなんて。

 私は克己に絶望しか与えないのに。

 それでも、彼を利用するの。


 まだ、彼が罪に気付かないでいられるなら。

 まだ、傷つかないで。


 瑞樹君は静かに笑みを深めた。


「…………まあいいでしょう。いずれ時は訪れます。その時君はどう苦悩し、どう選択するんでしょうねえ」


 思考を読んだかのようなタイミングで言った彼。彼にはいったい、どこまでがわかっているのだろう。

 ともかく、瑞樹君は少なくとも、今のところはっきりと克己にあのことを教えるつもりはないようだ。だからといって、安心はとてもできないけれど。


「ここにはマトモな人間はいないのかよ。……クソ、こっちまで頭がおかしくなりそうだ」


 そう吐き捨てて理科準備室から足を踏み出した克己の背中を、楽しそうな瑞樹君の声が追いかける。


「おや、おかしなことを言いますね」


 勿体つけるような間の後、彼はたっぷりの毒を含ませて言った。


「君ももう、人間ではないでしょう?」


 バタンとドアが閉まった。私は克己を追いかけるため、続いて退室する。

 ドアを閉める前に少しだけ振り返れば、細い隙間からは、空に浮かぶ三日月のようなにやにや笑いが見えた。それはまるで、玩具を見つけた猫のようで…………。

 いや、猫なんかじゃない。アレはもっと邪悪な。

 ────悪魔だ。

 私は喉までせり上がる何かを締め出したくて、乱暴にドアを押した。


一月ぶりくらいだった前回の更新の日、すごいいっぱいアクセス数が計上されていて驚きました。

読んでくださって、ありがとうございます!

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