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朽名奇譚  作者: いちい
#6 もう一つの校長室
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過去の欠片

 


 どうして、とか、いつ、とか。

 そういうのはわからないけれど、私はどうやら眠ってしまったようだ。

 今見ているのが夢だということが、漠然と理解できる。


 これは夢。

 夢であり、過去であり……私の中で蘇った、過去の記憶だ。


 褪せた写真のようなセピア色をした映像。無音のそれが、流れるように移り変わっていく。

 私の部屋に稔が来て、朽名祭に誘われて。

 祭で危ない不良に絡まれて。

 そして私は稔に連れられて、その場から逃げ出した。


 早回しだった夢が時間を取り戻したようにゆるやかになって、過去にあったこと……私の事実をなぞる。

 遠い喧騒と、蝉の声が聞こえ始めた。


 掻き入れどきと言わんばかりに明かりの灯る商店街から一本外れた道。街灯もまばらなコンクリートの道を、浴衣姿の私は稔に手を引かれながら走っていた。

 慣れない下駄を履いた足を、縺れさせそうにしながらも必死で動かす。

 夜に()かった見慣れた街並みが、どんどん後ろに流れていく。


「稔、ちょっと! どこに向かってるの?」

「学校だ」


 鉄紺色の甚平の背中が、振り向きもせずにぶっきらぼうに答えた。


「学校? 何で?」

「学校なら祭の日に詰めてる先生がいる」


 裏道を抜けると、学校の正門が見えてきた。だが、その奥に見える空がおかしい。月が……赤い。


「え、な、なんかおかしいよ!?」

「いいんだよ!」


 引き摺られるように門を潜り、校中に入る。稔は手を離さず、迷いのない歩みで私を大鏡のある踊り場に連れて来た。

 繋がれていた手が離され、汗ばんだ掌を夜気が冷やす。

 蛍光灯のぼんやりした白い光が暗闇を照らす踊り場。


 先生に助けを求めるために逃げ込んできたのに、どうしてこんなところで足を止めたのだろう。それに、あの赤い月。お祭りの時に見た月は、いつも通りの色だったのに。

 こんな状況で奇妙に冷静な顔をしている稔に、私は尋ねずにはいられなかった。


「ねえ、どういうことなの? 説明してよ。何か、こんなところに連れて来るような理由でもあるの?」

「……不良から逃げるっていうのは口実なんだ。あれは多分、おれの友達の仕込み。まさか嗟嘆蘇愛琉(サタンソウル)(つて)があるとは思わなかったけど」

「そうなんだ」


 不良グループに付き合いがある子と友達なんてと思ったが、私は曖昧な笑みで受け流した。

 引っかかることがあっても、黙って相槌を打って合わせていれば良い。そうすれば、そのうちに嵐は去る。わざわざ波風を立てる必要はない。


 だが、稔は私の思考を見透かすように冷たく言う。


「またそれだ。姉ちゃんさ、八方美人もいい加減にしろよ」

「え…………?」


 予想もしていなかった切り返しに、私は声を漏らした。

 稔は淡々と告げていく。


「おれがここに姉ちゃんを連れて来たのは、姉ちゃんと二人で、誰にも聞かれずに話したかったからだ。もう一つの学校なんてオカルトじみた話は嘘だと思ってたけど、おあつらえ向きだった」


 稔の声と言葉は温度がなく、平坦だ。だからこそ、その裏で(たぎ)る押し殺された感情が滲み出るようだった。


「姉ちゃんは、おれのこととか家族のこととか。それだけじゃなくて、人間関係なんかどうでもいいんだろ? その場さえ波風立てずに快適に過ごせればさ」


 その感情は、憎悪? 嫌悪? 憤怒?

 その時の私には、わからなかった。


「……もっとちゃんと、人を見てくれよ。いつもそんな曖昧な態度だから!」


 ────わからなかったの。

 だけど私には、それはひどく眩しいもののように見えて。


 稔は声を荒げ、私を灼けるような目で見据えた。甚平の袖から見える手は、緊張のためなのか汗ばみ、固く握られている。

 そうして、稔が何かを叫んで。


「────    !          !」


 私が目を閉じたのか、それとも記憶が完全ではないのか。

 蛍光灯に照らされていたはずの視界が暗転する。そして、ちらつくあの映像。

 赤い月の光が照らす薄暗い踊り場。深緑の大蛇の真っ赤な口の中。二本の牙の間に、稔が落ちていく。伸びきった私と稔の手。


 誰かが叫んでいる。

 これは私? 稔?

 どちらだろう。……どっちでも良いか。

 わるいのは、わたし。それが私の事実。


 夢は終わり、瞼一枚隔てたところに陽光を感じて目を開く。

 白を基調とした無機質な印象の保健室。カーテンの開け放たれた窓から射し込む、気怠い晩秋の陽射し。

 いつもと同じ風景。

 それでも……悪夢から覚めても、悪夢のような現実から抜け出せない。


 乾いた笑みが、喉を震わせる。


「あは、あはは。全部、私がわるい……悪いのは、私だった」


 悲しいはずなのに、貼りついた笑みが剥がれてくれない。いや、私は本当に悲しんでいるのだろうか。それすらももう、自分ではわからない。

 頬を伝う涙さえ、汚らわしいような気がした。




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