1章 13話
現在私がいるのは、校長室前。
礼儀としてノックをすると、中から「どうぞ」という声がする。
意外と常識的な対応だ。
私は大きく深呼吸して、扉を開いた。
入るのはこれが初めてだが、校長室は正面に高そうな机と椅子が1組あるだけの、こぢんまりとした部屋だった。
赤紫色の絨毯が床を覆い、隅に観葉植物の鉢植えが置いてある。
壁には歴代校長の写真が掛けられているイメージがあるが、裏の校長室には見当たらない。
私を待ち受けていたのは、2人の人物。
まず、机についているのは巫女装束の美女。
凛とした顔立ちの中にも色気を感じさせる、艶やかな麗人が座っていた。なぜか白い色をした髪を、後ろで緩く束ねている。
紅い瞳は流れたばかりの血のように輝いていて、少し不気味だ。
もう一人は……。
…………。
私は無言で扉をぱたん、と閉めた。
あれは……。
きっと気のせいだろう。
気のせいに違いない。
目に手を当てる。
きっと、ついに私は信じられないような体験を短期間に何度も経験したから、幻を見たんだ。
うん、きっと、いや絶対そうだ。
気を落ち着けてから、再びドアを開く。
先程と寸分変わらぬ光景が繰り広げられていた。
どうやらそれは幻覚ではなく、現実だったようだ。
私はどう反応すべきかと停止していると、麗人がその朱唇を開く。
「さて、どういたしました、お客人? いつまでも立っていずに、入っていらっしゃいな」
絡みつくような声でそう言うと、私を手で招いた。
傍に控えるリーゼントが私をぎろりと睨み、目線で言う通りにしろと語りかけている。
そう、リーゼント。リーゼントが、だ。
なぜかその人物は、暗緑色の髪をリーゼントにしていた。
年齢は20代半ばくらいだろうか。
その歳でリーゼントは、見ているこっちが痛い。しかも、彼は机の斜め後方で、黒いスーツ姿の長身をひざまづかせていた。
一目見ただけで睨まれていると錯覚しそうな三白眼をさらに吊り上げて、こちらにガンつけてくる。
銀色の眼鏡の縁が、きらりと光った。
巫女装束の美女にひざまづく、スーツ着用のリーゼント。
彼らはどこを目指しているのだろうか。
というかそもそもこれは、ツッコミをいれて良いの、悪いの?
美女は全てをスルーして、私に語りかける。
えっ? スルー? しちゃうの!?
状況についていけない。
「さて、わたくしに用があるのでしょう? わざわざ、怪異に追いかけられてまでこんなところに来たのですもの」
巫女装束の彼女は、艶然と微笑んだ。位置からしてもそうだが、どうやら彼女が校長と呼ばれる人物らしい。
私は慌てて中に入ると居住まいを正した。
そうだった、用件を伝えないと。
「はい、えっと。学校には、去年なくしたものを探しにきたんです。そしたら裏側?に迷い込んだみたいで。生首君に勧められて、ここまで来ました」
……自分で言っておいてなんだが、支離滅裂だ。客観的に聞いたら意味がわからないだろう。
しかし、彼女にはきちんと通じたらしい。
「あらあらあら〜? なるほどねぇ。これは確かに珍妙なケース」
彼女は堪えきれない様子で、にやにやと嫌らしく含み笑いをしている。
「……? え、何がおかしいんですか?」
一応言うべきことはきちんと伝えたし、そう変な挙動もしていないと思う。
おかしな敬語でも使ってしまったのだろうか。
彼女は机に頬杖をついて、上目遣いにこちらを見上げた。
「だって、おかしすぎるもの。まず、見ていた限り、アナタはこの学校に躊躇いなく入ったようだけれど、その時点からおかしい。門の外からでも、裏側の異常は見て取れたはずよ? それに、あえて1年前の『なくしもの』を今頃になって探してるんだもの。アナタは、自ら、故意に、この裏側の朽名高等学校に入ったのね。忘れてしまっただけで」
彼女は『殊更』、『自ら』と、『故意に』を強調した。
意味が分からない。
だって、私はただ探しに来ただけで……。
「……何を、言っているんですか?」
渇いた喉を、飲み込んだ唾が滑り落ちていく。
ごくりという音が聞こえた。
彼女は、歌うように語る。
「異界へと境界を超える時に、ヒトは往々にして忘れるわ。イロイロなコトを。ねえ、危険な裏側にまで入って、アナタが探したかったモノ。アナタ、何なのか思い出せるかしら?」
……えっ?
だって、それは……。
とても大切な物な物なの。
ずうっと、このときを待っていた。
だから、探さなきゃいけない。
××××を。
意識が遠くなる。
まるで全てが白に侵食されていくよう。
だが次の彼女の一声で、目が覚めた。
「かなり重症のようね。どこまでアナタの記憶はあるのかしら。名前や年は思い出せる?」
「……名前、は。九重 秊。大学一年生だから……19歳です」
「そう。最低限のことはわかるのね」
私にとっては大事件なのに、彼女はいたって冷静だった。
「まあ、詳しい説明は聞いてるんでしょう? どうせ出られるまで1年かかるのだから、この校舎を探せば良いじゃない。……ゆっくり、じっくり、舐めるように隅々まで。気の済むように、ね」
「皐月様、よろしいのですか?」
リーゼントが物凄く嫌そうな声で口を挟んだ。
彼女の名前は、皐月と言うらしい。
「うるさいわよ、常盤。気の利かない男ねえ。女の子が弱ってる時に水をさすなんて。弱った女の子は虐めるものじゃないわ。付け入るものよ」
なにかいま すごくききずてならない ふてきせつな はつげんが あったような。
リーゼントは、はッ、と言って畏まった。
彼女は再び私に視線を合わせると、獲物を見つけた猫のような目で唇をひとなめする。
「でも、そのままじゃいけないわね。怪談の餌食になっちゃうもの。……そうね、力の強い怪異の元に身を寄せるのが良いわ」
「えっ!?いや、命が惜しいのでお断りs…」
「私はその方が目障りな輩が早死にしてくれて嬉しいが、皐月様のご好意を無駄にすることは許さんぞ」
リーゼント、もとい常盤が威圧する。
助け舟を出してくれたのは、皐月様だ。
「常盤、黙りなさい。それより、いいの? アナタの探し物、多分ヒントを持ってるのは七不思議たちよ?」
なん……だと。
助けるふりしてさらに突き落としてくる。
助け舟は、泥船だった。
彼女は続ける。
「わたくし、アナタが何を探しているか見当はついているわ。でも教えてあげない。アレは、それじゃあ無意味なモノだから。でもヒントはあげられる。七不思議を調べなさい。全ては9つ目の事実が教えてくれるはずよ……」
彼女の赤い目が、私をじっと見つめた。
「アナタの前にある6つの選択肢のうち、すべてが真実につながっているわ。けれど同時に、どの道にも同じくらい困難がある。選ぶのは、アナタよ」




