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朽名奇譚  作者: いちい
#4 黄泉の家庭科室
110/205

終わりのない始まり

長めです。

あと、いろんな意味でR15です。激しめの残酷流血シーンがあるのでグロが苦手な方は注意してください。

 



 薄暗い電気のついていない室内を、暖色のカーテン越しに窓から差し込む光が照らしている。

 大きな調理台と、併設された流し場やコンロ、オーブン。その下に押し込められた安っぽい丸椅子。隅の、綺麗に片付けられた食器棚。誰も前に立っていない黒板。

 とても、見覚えのある風景。

 私は家庭科室の隅に立っていた。


 人の手で一部だけ捲られたカーテンの向こう側では窓の外の夕陽が沈みかけ、赤味のやや強い橙色(とうしょく)の光が、窓を透過して差し込んでくる。

 そして、それを睨むように半眼に見上げる、窓際の鶫君(つぐみくん)


 私、どうして家庭科室にいるの? 図書室で本を読んでたはず、なのに。


「鶫君、これ、一体……」

「多分、これはボクが七不思議になった時の記録だよ」


 困惑した呟きに答えたのは、私の横にいた人物だった。目を向けると、そこにはもう一人鶫君の姿がある。

 ……同じ人物が、二人?


「どっ、ドッペルゲンガー!?」

「……? えっと、違うと思うよ。あれは昔のボクじゃないかな」


 鶫君は少し困ったようにそう言い、窓際に立つ方の鶫君を見た。


「こんな風に呼び出されるのは珍しいことじゃなかったんだよ。女の子からなら、特に。この日もそうだったんだと思うな」

「それって……告白?」

「うん」


 鶫君は、客観的に見て綺麗な容姿をしている。色素の薄い、栗色がかった髪と目。穏やかで優しそうな顔立ちは、彫りが深く中性的だ。そういうことが珍しくなかったのも頷ける。

 だが、窓際にあるそれとほぼ同一の顔に浮かぶ表情は、苛立ち混じりの無表情だった。


 これから過去とはいっても鶫君が告白される場面を見ないといけないとわかり、私も少しばかり憂鬱になる。


 扉から、一人の女生徒が入ってきた。彼女はそばかすの散った頬を赤く染めて辺りを見回し、鶫君の方に申し訳なさそうな、どこか嬉しそうな顔で小走りに寄っていく。


「渕沢君、お待たせして、すいません」


 君付けだから、女生徒は同級生か上級生なのだろう。

 鶫君は彼女を見て、苛立たしそうな表情を消すと微笑んだ。


「ううん、そんなに待ってないですよ」


 女生徒はほっとしたように緊張を緩め、躊躇いがちに口を開く。


「あの、その」


 彼女はもじもじと俯き、鞄の持ち手を弄び始めた。過去の鶫君の表情に再び苛立ちが混じって、口元がひくりとするが、彼女は気付かない。私もイラッとはしたが、過去の鶫君の表情の変化でかえって落ち着けた。

 そうしているうちに、女生徒は意を決したように耳まで紅潮しきった顔を上げた。


「渕沢君。……私と、お、お付き合いしてください!」


 過去の鶫君は、微笑を崩さず答える。


「ごめんなさい」

「え?」


 驚きで目を見開く女生徒。


「な、なんで、なんでですか渕沢君!」


 女生徒は過去の鶫君に一歩、詰め寄った。ふらりと、体を傾がせるような足取りだ。

 彼女は信じられないとでもいうような顔をしていたが、すぐに気を取り直して、その口から自分に都合の良い言葉を紡ぎ出す。


「あっ、わかりました、照れてるんですよね! 大丈夫ですよここにはわたししかいませんし!」


 極度にプラス思考な、典型的に勘違いした人の言い分。惨めで見苦しい女生徒の脇を素通りして、過去の鶫君は出口へ向かう。

 過去の鶫君の目に、彼女はもう映らない。


「渕沢君!」


 女生徒の声に、過去の鶫君が面倒臭そうに振り返った。

 たたたっと上履きの音を響かせて、女生徒は紺色のプリーツスカートをはためかせ、過去の鶫君に向かってくる。その手には……いつしか、手芸用の大きな裁ち(ばさみ)が握られていた。黒い金属の噛み合わせが不吉な音を立てて(あぎと)を開く。


「…………!!」


 私は声もなく叫んで、二人の間に割り入った。

 鬼気迫る形相の女生徒が私に鋏ごと突っ込み、そして……私の体を通過した。


「え?」


 すぐ後ろで、濡れた音が聞こえた。そこには、振り向きざまにお腹の真ん中を裁ち鋏で突かれた過去の鶫君が。


「あ……あ、そんな」


 (あえ)ぐような意味をなさない声が、自分の喉から絞り出される。


「無駄だよ(みのり)ちゃん」


 鶫君の声が、背中の向こうから聞こえた。


「これは記録だって言われたから。ボクたちは見てるだけで、何もできないよ」


 家庭科室の隅から動かない鶫君は、奇妙に冷静だ。この先を、知っているからかもしれない。

 私の体と重なるようにして裁ち鋏を突き出す女生徒。彼女の手が鋏から離れ、過去の鶫君が小豆色のジャージをなお鮮明な赤に染めながら、床の上に崩れ落ちる。彼の背は扉に寄りかかるような形になり、手は鋏を押さえていた。


 床の上に赤い小規模な血だまりが広がり、女生徒は一歩、後ずさった。鋏が栓になっているのか出血はさほど多くないが、血飛沫が壁や女生徒の桜色のカーディガンに散っている。


「うふふ」


 女生徒は頬に、血の付いた手を当てて笑った。


「こ、これで、渕沢君は私だけのモノですよね。私を選ばなくても、もう他の誰にも、素敵な微笑みは向けられない。私、私、とっても嬉しかったんですよ? 教室のみんなが私を無視してバケツの汚水をかけて、物を盗んでも。渕沢君だけは、いつだって私に微笑みかけてくれた! 私、だけに!」


 動きの鈍い頭が言葉の意味を認識するのに、いつもの倍近い時間がかかった。

 つまりはこういうストーリーなのだろう。

 同級生にいじめられていた女生徒は、誰にも話しかけてもらえず無視されていた。だが、それを知らなかったか何かした鶫君の微笑を向けられて、それを自分だけにあてられた特別なものだと勘違いしたのだ。


 正真正銘、彼女は勘違いした人だった。

 見ているしかない私の前で、女生徒は狂おしく笑う。愛憎が濃縮された、幽鬼のような凄まじい笑み。


「悲しまないでください、私もすぐに逝きますから」


 彼女は過去の鶫君を見下ろしそう言い放つと、鋏を彼の腹部から引き抜いた。そして、目一杯刃を広げて自らの喉にあてがい、微塵の躊躇いもない動作でそれを押し込んだ。

 ごぼっという音。女生徒の喉から血が噴き出し、傾いだように首が倒れる。

 最期まで笑みを絶やさなかった彼女に、正気はもう残っていなかっただろう。


 幻影のような私の体が、血を被る。しかしそれもまるで嘘のように透過していくだけで、私には染みひとつ残さない。


 記録にしかすぎないはずなのに、ひどく生々しい鉄錆の臭いが密室に充満する。

 静寂に包まれる家庭科室。いや、完全な静寂とはいえない。

 過去の鶫君は、まだ生きていた。弱く今にも消えそうな呼吸音が、微かに聞こえてくる。


 不意に、葉擦れの音にも掻き消されそうな、誰かの押し殺した悲鳴が聞こえた。

 電気もついていない薄暗い家庭科室の床に侵入(はい)る、一筋の明かりの先。奇しくも過去の鶫君がカーテンを捲っていたことで、外からガラス越しに家庭科室を覗ける細い隙間ができていたのだ。


 そこには、長い髪の少女──長沼さんが、恐怖で目を見開いて立っていた。

 過去の鶫君の頭が、ひくりと動く。

 長沼さんは飛び退くように窓を離れて……走り去っていった。


「そうだ、この時は。……長沼さんが、助けを呼んできてくれるって、信じてたのに」


 鶫君の言葉は、そうでなかったことを暗示していた。

 彼女は、逃げたのだ。


 真っ赤な家庭科室。女生徒の喉から噴き出した血で、家庭科室の一角はまるで獲物を食いちぎった獣の口の中のような有様だ。

 無音の室内。迫り来る夜。弱くなっていく、過去の鶫君の呼吸。

 かつん、と。いやにはっきりと、靴音が聞こえた。


 振り向くと、そこには学生服姿のツインテールの女の子。鶫君と同年代の高校生くらいに見えるその子はニヤリと大きく口を歪め、革靴(ローファー)の足音を立てて、血だまりへと歩み入る。

 からからと、飴玉が歯に当たる音を響かせて。


「ねえねえ! キミ、死にたくないでしょ」


 この異様な赤い空間では異質に明るい、甲高い声。

 明らかにまともではない女の子に、過去の鶫君は弱々しく首肯した。

 少女は飴玉を口の中で転がしながら、無言で彼の前にしゃがみ込んだ。噛みつくように唇を合わせ、何かを瀕死の彼の口に舌で押し込む。


「……終わりない始まりへと、ようこそ!」


 ツインテールを揺らして(おど)けたように言った彼女は、哄笑を残して闇に溶けて消えた。

 喉の裂けた女生徒の亡骸はいつの間にか消え去り、後には腹部の傷が跡形もなく塞がった過去の鶫君が、扉にもたれていた。



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