1章 11話
◆◇◆◇◆
#5 喪奏のスコア
それじゃあ最後に案内することになりましたが、ここが先生の担当する音楽の授業で使う、音楽室です。
あっ、いけません!
いえいえ、そのピアノに触っちゃ駄目とかじゃなくてですね……。うーん、説明しづらいなぁ。
先生はこの学校のこと、どれくらいご存知です?
あちゃあ、外部組ですか……。困ったなあ。
えっとですねえ。
まずこの学校ではたまに失踪者や変死者が出るんですが、それが七不思議に関する場所なんかで多くて。
それで、この音楽室にもあるんですよ、1つね。
え? 私をからかわないでください?
いやいや、冗談でも笑い事でもありゃしませんよ。
一応頭にいれといて下さい、早死にしたくなければ。
ここに出るのは女の子の幽霊で、ピアノに取り憑いてるって言われてます。
なんでも発表会目前で事故死したとかなんとか。
それで、ちょうど今頃……夕方の4時丁度くらいにですね、そのピアノを弾くと廃人になるとか発狂するとか言われてるんです。
時間がなんで決まってるか?
さあ、死んだのがそのへんの時間だったんじゃないですか?
とにかくぼかぁ言うだけは言いましたよ。
それから、その時間に弾くのでも、暗譜じゃなくて楽譜を見ながら弾いた場合は無事みたいですね。
なんででしょう、って?
そりゃあまあ、幽霊の勝手でしょ。
◆◇◆◇◆
私は首尾よく音楽室に滑り込むと、そのままドアを背にして座り込んだ。
胸に手をやると、どくどくと激しい鼓動が伝わってくる。
今はそのことにすら、安堵を感じられた。
あと少しで、この鼓動が終わってしまったかもしれなかったと思うと、どうにも落ち着かない。
息が鎮まるのを待ち、辺りを見回した。
部屋のすぐ奥には、楽器の保管室へと続く扉。壁は防音仕様だったはずだ。
部屋の淡い色をしたカーテンのかかった大きな窓沿いにはたくさんの椅子が並べられ、右奥に高価そうなグランドピアノが置かれている。
因みに、壁に音楽家の肖像画がずらりと並び、夜な夜な目が光る……なんてことはない。
実は私も在学中に全ての不思議を聞いたわけではなく、場所くらいしか知らないものもあったが、ここの怪談はそのうちの一つだった。
もっとも他に知らないのは、家庭科室の怪談くらいだが。
それにしても、あの声の主はどこにいるのだろう。
それらしき姿がない。
どうしたものかと思案していると、ピアノから声がした。
ピアノの向こうから、ではない。
ピアノから、だ。
その証拠に、ピアノの脚の間からは向こうにいるはずの人間の足が見えないし、上の方から頭がのぞくこともない。
「こちらへ。あぁ、ピアノの椅子に座って下されば分かります。ワタシから貴女に危害を加えるつもりはありません」
澄んだ少女のソプラノが響く。
何かするつもりならそもそも私を助けなかったはずだし、少なくとも今は信頼して良さそうだ。
そう判断し、私は部屋を横切って鮮烈な存在感を放つピアノの前の椅子に座る。
彼女の言ったことの意味は、すぐに理解できた。
座った状態で前を向くと、探すまでもなく彼女はそこにいた。
今は蓋の閉じられたピアノの鍵盤の上、ボディの部分に、髪を一つに縛った大人しそうな少女が映っている。
彼女が口を開くと、頭の中に声が響いた。
「先程は急に失礼しました。しかしどうもお困りのようでしたので、声をかけさせていただいたのですけれど」
彼女はゆっくりと腰を折った。
幽霊(?)にしては、随分と腰が低い。
「ううん、気にしてないから良いよ! むしろ助けてもらったのは私の方だし」
恩人に謝られては落ち着かない。私がそう言うと、彼女は頭を上げて、それならば重畳です、と答える。
「それにしても、無謀な方ですね。6時を境に怪談たちは鎮まりますし、それをお待ちになれば良いものを……」
「6時?」
彼女は目をぱちくりとさせ、私を見つめた。
「ご存知ありませんか? ここは裏だというのを」
それは知っている。生首少年が教えてくれた。
そのことを告げると、彼女は眉をひそめつつ頬に左手をあてる。
「はぁ、まったく。その説明は少々大雑把です。彼も困ったものですね、そんないい加減な説明をして。僭越ながら少々補足いたしますと、裏と表の入れ替わるのは、6時と18時。そして表の時間は怪談たちは光を厭い、大概は闇に潜みます」
「大概ってことは、そうじゃないのもいるんだ」
「その通りです。しかし、最も強い怪異である七不思議くらいですね、例外は。それでさえ、表の時間に自分の裏の領域を出すことや干渉することは困難です」
あれ。でも私は表の人間だけど、今は裏にいる。どういう扱いになるのだろう。
「私はどっちに分類されるの?」
「貴女はこちらへ入り込んでしまっているようですので、どちらかといえば裏の存在です。今は、ですけれど」
「そう……」
なんとなく自覚してはいたが、改めて言われると複雑だ。
彼女は一度、目の前のボディから姿を消して、すぐにまた戻って来る。
「現在時刻は、5時15分前後。今の内に校長室に行くことをお勧めします。あの人に会うのが難しくなってしまいますから、6時を過ぎては」
どうやら彼女は一度ピアノの表面を移動し、わざわざ時計を見てきてくれたようだ。
小さな優しさに、口元がほころんだ。
「ありがとう。じゃあ私、行くね」
立ち上がった私に、彼女は言う。
「あら、折角ですもの。一曲くらいは弾いていかれません?」
これは、ピアノに取り憑く幽霊なりの好意なのだろうか。
だが、残念ながら私はピアノが弾けない。
「ごめん。私、弾けないんだ」
「そうですか……」
彼女はあっさりと納得して引き下がる。
振り向いた時に見えたその顔は、どこか残念そうであると同時に安心しているように見えた。
気のせい、だろうか。
いずれにせよ、早く行かないと。
背を向けた私に、後ろから声がかけられる。
「ああ、お待ち下さい」
振り向くと、彼女が神妙な表情でこちらを見つめている。彼女は左手の人差し指を、私の腰のあたりに向けて言った。
「また妙な輩に遭遇したくないのでしたら、そのポケットから覗いているお菓子の袋を手に持っていくと良いですよ。周りから見えるように、しっかりと」
「え? あ、うん」
「怪異も馬鹿ではありません。手は出さないはずです、自分より上位のモノの獲物だと分かれば」
意味の分からない忠告だが、彼女がそう言うからにはそうなのだろう。
怪訝に思いながらも、ポケットから袋を取り出して手に握りしめる。
「ありがとう?」
疑問形になってしまったが、最後にそう言い残して私は音楽室を去った。
だから、私には見えなかった。
残された彼女の表情が、一切の感情を排除したような無表情だったのが。




