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朽名奇譚  作者: いちい
#4 黄泉の家庭科室
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家族の糸1




 早く、早く、彼に会いたい。


 一歩を踏み出したところで、視界の隅に何かが(よぎ)った。

 それを追って、ぼんやりと顔を動かす。廊下の窓ガラスは暗い夜の闇を透かし、蛍光灯に反射する私の顔が、表面に投影されている。


 そして黒いキャンバスに、私の虚像に重なるようにしてもう一つの異物──白く巨大な蛇が、真っ赤な瞳で私を見ていた。爛々と底光りする赤い瞳に、意識が吸い寄せられる。

 縦に割れた無機質な瞳孔が、私を射抜く。……責めているのだと、思った。

 だって赤い瞳と目が合った瞬間、頭に声が響いたから。


 思い出せ。思い出せ。思い出せ。

 ────思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せおもいだせおもイだセ。


 オマエが、ここに来た意味を。思い出せ、と。

 そう、告げるのだ。


 ……やっぱり。私は何か、重要なことを、忘れている。


 窓ガラスに手を当てる。

 冷えたガラスは、指先から私の温度を吸い取っていく。


 早く、鶫君に会いたい。


 そう思っているのに、歩みを再開することはできない。白蛇から目を逸らすことができないのだ。

 まるで、罪を突きつけられているかのように。


 いつ割れるかわからない薄氷の上を、気付かずに歩いているような。致命的なことを見失っているような気がする。

 ──この蛇はきっと、それが何か知っているのだ。


 白蛇は長大な体躯をくねらせて移動していく。だが、その先の廊下には何もいない。等間隔に並ぶ蛍光灯の微かな灯が、じりじりと無人の廊下を照らす。

 白蛇は、窓ガラスの中の世界だけに存在している。


 ────追いかけないと。

 私は小走りに、私を待つように速度を落とした白い軌跡を追って、上階へと移動した。


 行き着いたのは、階段の踊り場だ。

 この世ならざるモノが映るという噂の、大鏡。私は誘われるように、その前に立った。

 覗いた鏡の向こうで待っているのは、この世ならざる異形でも、私の鏡像でもない。

 そこには、(みのる)がいた。


 自分が切り捨てたはずの、諦めたはずの弟が、目の前にいる。

 どうして良いのかわからない。

 何を言えば良いのかも、わからない。

 ただ棒立ちになる私に、稔は微笑みかけた。


「姉ちゃん」

「みの、る……」


 動くことすらできず、私は弟の名前を呼んだ。


「姉ちゃん、久しぶりだな」

「久しぶりって……そんな。どうして、そんなところに」


 稔がいるのは大鏡の前ではない。中だ。

 鏡の中。もっと言えば、鏡に映る鏡像の世界に、弟はいた。

 鏡像の弟は、(おのの )きながら鏡面に触れた私を見て苦笑していた。


「まあ、ちょっとな」

「ちょっとって、そんな軽く流せるようなことじゃないでしょ!」

「いいんだよ。そんなことより……なあ、姉ちゃん。姉ちゃんは今、幸せなのか? 大切なもの、見つかったか?」

「大切なもの……?」


 強引な話題の転換についていけず、私は稔の言葉を馬鹿みたいに繰り返した。


「そうだ。いつだって、何もかもどうでもいいって顔してただろ? それぐらいはわかる。それで、どうなんだ?」


 言われてみれば、そうだったかもしれない。

 私は誰に対しても、相手の望む言葉を言い、相手の望む態度をとるようにしていた。けれど、それは相手のことが大切だったわけではない。逆に、どうでもよかったからこそ発言に無責任でいられた。

 そして、鶫君を。大切なものを、傷つけた。


 ここに来てから経験したことはそう多くはないかもしれないが、私にとっては濃い日々だった。私は変わった。もう、かつてのようにその場凌ぎの言葉を言うことはできない。

 私は目を伏せ、たどたどしい言葉で近況を纏めていく。


「私ね。稔を探すために、ここに来たんだ。だけど、今は違う。ここにいるのは、稔のためじゃない。私……好きな人が、大切なヒトができたの。だから……私は、ここで生きていく。もう稔を探すのもやめる」

「…………そうか」


 自分で言っておいて、最悪だと思う。いたたまれない気持ちになり、私は顔を背けた。

 稔は噛みしめるように、そうか、と再び言った。


「なあ、一応訊くが、その大切なものっていうのは、颯太じゃないよな?」

「…………え?」


 どうしてここで颯太が出てくるのだろう。颯太はただの幼馴染み、私の弟分なのに。


「……万一姉ちゃんが見つけた大切なものが颯太だったとしたら、あいつだけは考え直すんだ。颯太はヤバい」


 唾でも吐くように、稔は言った。いやに真剣な面持ちをしている。実際に颯太がここにいれば、そのくらいはやってのけそうな様子だ。


「何言ってるの、颯太は幼馴染でしょ」

「幼馴染だってこととあいつがヤバいっていうのは別問題だ。姉ちゃん、今まで何も気付かなかったのか? 颯太は明らかにおかしい。本当は薄々感づいてるだろ?」


 忠告というには必死すぎる様子で、稔は強調するように繰り返す。


「颯太はマジでヤバいんだ。なるべく近付くのは避けるべきだ」


 私は、曖昧に頷くことしかできなかった。


 生徒会室での一件が、頭の中で再生される。颯太は昔から優秀で、面倒見がよくて……だけど、少し怖いところがある子だったと思う。

 しかし、だからといって近づきもしないのは過剰だ。颯太がどうであれ、今までで過ごしてきた時間が否定されはしない。

 私にとって、親しい弟分であるのは同じ。


 稔は私の困惑を読み取ったのか、ちょっと表情を緩め、軽く纏める。


「まあ違うならいいんだ。けど、あいつにだけは気をつけろよ」


 そう言うと、稔は頭を掻きながら続ける。

 私を気遣って、無理に話題を変えてくれたのかもしれない。


「あー、そうだ。姉ちゃん、一つだけ訊いときたいことがあるんだ。いいか?」





初めて『死の青い画面』経験しました。

まさか、小説編集中に画面が5回以上落ちるとは……。


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