08
「よし、これで大丈夫」
ひとまず、宿の自分の部屋へと戻り、少年の怪我の手当てをした。
「骨に異常はないようだし……腫れは三日ほどで治るよ」
「よかったね」
「……ありがとうございます」
少年は小さな声だがお礼を言った。
「いいって、とくに僕は何もしていないから」
手当てをしたのはティンクスだった。最初シュッダがしていたのだが、見るに見かねてティンクスが代わったのだ。
「お前、料理や裁縫は得意なのに、なぜ怪我の手当ては出来ないんだ?」
ティンクスにはそれが不思議だった。はさみの扱いは上手なはずなのに、いざ湿布を切ろうとしたら、なぜか切れない。ある意味、一種の才能だろう。
「いいんだ。ようは怪我さえしなければいいのだから」
平然とシュッダは言った。
(そういう問題か?)
全く納得できなかったティンクスだが、ひとまずその話題はおいておくことにした。
「家に帰れるか?」
「うん」
「よし、いい子だ」
ティンクスは少年のやわらかい茶色の髪をくしゃっとかきまわした。
「じゃあ、僕が送ってあげるよ」
勢いよく立ち上がり、シュッダは言った。
「でも……」
「いいって、ね、一緒に帰ろう」
「うん」
二人は仲良く部屋を出て行った。
ティンクスは二人を見送ったあと、後片付けをしていた。
一息つき、剣の手当てでもしようかな、と思ったとき、すさまじい足音が聞こえてきた。
「ティンクス!! マルタがねっ、ティンクスの探しているみたいな人、見たって!!」
ドアを蹴倒して、開口一番にシュッダは言った。
普段なら、廊下をそんなに速く走るなとか、ドアは手で開けるものだ、と説教の一つでも言うティンクスだが、シュッダが持ち帰った情報はいつものティンクスの行動に移させなかった。
「……本当か?」
「らしいよ。マルタの家、すぐそこなんだけどね、五日前ほどに同じように助けてくれたんだって」
全身で呼吸をして、シュッダはティンクスの手を引っ張った。
「早く早くっ!」
そうして二人はマルタ――先ほど助けた少年だが――の家へと向かった。
マルタの家は宿の裏手の二件先に、こじんまりと建っていた。
「あ、シュッダさん」
マルタが手をひらひらさせながら、二人を出迎えた。
「マルタ、さっきの話、もう一回、この人に話してあげて」
シュッダはティンクスをマルタの目の前に押し出した。
「うん。ぼくね、五日前ほどに、同じように水夫の人に絡まれたの。でも、その時はぼくからぶつかっちゃったからね、ぼくが悪いんだけど。それでね……」
『おい、邪魔するんじゃねぇよ』
今にも殴りかかろうとしている水夫の手をつかんでいるのは、見目のよい青年だ。
『子供を殴るのは、感心しないな』
青年は緑の瞳できっと睨みつけた。
その眼光に少したじろいだ男は、しかし、気を取り直して言い返した。
『そのガキがぶつかってきたんだ。おかげで依頼主のところに運んでいくはずだった品物が、この通り! 俺への依頼料もぱあだっ!』
水夫は地面に落ちて粉々になった陶器の残骸を指差して言った。
『八つ当たりはよくないな。俺はさっき、お前を見ていたぜ? 積荷を降ろすとき、それと似たようなのを落としていたのをね』
青年の言葉に、水夫は明らかに動揺した。
『な……根も葉もねぇこと言ってんじゃねえ!』
『お前、さっき入港したラグマエル家の船の水夫だろう?』
『……!』
『なら、間違いない。それはお前が割ったんだ。それを子供がぶつかってきたのをいいことに、責任をなすりつけようとしたんだ』
青年が言っていることはどうやら本当のようだ。水夫は見る見るうちに顔色が悪くなっていく。
『自分の失態を、他人に押し付けるな。わかったら、さっさと行け』
有無を言わせぬ態度で、青年は水夫を睨みつけた。
水夫はぎこちない動きでその場から立ち去った。
水夫の姿が見えなくなると、青年はおびえきったマルタに声をかけた。
『少年、あまり周りを見ずに走るのは良くないことだ』
マルタはただ震えて青年を見ていた。
『水夫の中には、ああいう気の荒いやつが多くいる。しかも、やっと地上に足をつけることが出来て喜んでいるのがほとんどだ。羽目をはずすバカもいる』
青年はしゃがみこんで、少年と目線の高さを一緒にした。
『いいか、自分の身を守ることが、生きていくうえで必要なことだ。そうでなければ、大切な人を守ることも出来ない』
『……ごめ……さい。時間までに届けないと……お金、くれないから』
しゃくりあげながらマルタは言った。
青年はマルタが抱いていたものを見た。なかには、洗い立ての衣服が入っていた。この小さな少年には少々多すぎる量だ。
『……なら、余計に辺りに目を向けることだ。今回みたいに、いらない時間をくうことになるぞ』
そう言って青年はマルタの身体も持ち上げた。
マルタを肩に乗せて、尋ねた。
『さあ、どこに届けに行くんだ?』
『あ…・・あっち』
マルタがさした方向を確認して、青年は駆け出した。マルタは荷物と、青年の頭にしがみついた。
あっという間に目指していた家にたどり着いた。
その家のおばさんは時間に遅れたことにひどく腹を立てていたが、青年の弁護によって、逆に気をよくして、いつもより、少し多めにお金を払ってくれた。
『こういった処世術も学ばなければいけない』
そう言って、青年はマルタの髪をくしゃくしゃにかき回してから立ち去った。
「……」
マルタの話を聞いて、ティンクスは確信した。
「間違いない。やつだな」
「やっぱり? 髪の色も銀色だし、瞳も若葉の色だから」
シュッダも心持、興奮しているようだ。長い間かけらも手に入らなかった情報が、それもとびきりのものが、手に入ったのだ。
「それでっ! そいつはどこかに行くって言ってなかったか?」
マルタは首を左右に振った。
「何も言っていなかったよ」
「そうか」
がっくし、と肩を下ろすティンクス。
「でも、五日前にはこの町にいたんだよ。多分、このあたりにいるんだって」
元気付けるために、シュッダは明るい声で言った。
「そうだな」
その励ましに、ティンクスは気を取り戻した。
「ありがとう、マルタ」
ティンクスはマルタの頭をぽんぽん、と軽く叩いた。
二人はマルタの家を後にした。
宿に戻るまでの道のりで、シュッダは口を開いた。
「マルタね、ティンクスに頭をほら、かき乱されたときにね、その人の事をとっさに連想したんだって」
「ふうん」
「ティンクスとその人は、近しい人なの?」
「う~ん、血縁的にはまったく、赤の他人だ。まあ、幼馴染ってやつだな」
「へえ。じゃあ性格も似てるんだ」
「……俺はあんな性格じゃない」
必死の形相で、ティンクスは自分と、諸悪の根源である皇子との性格の違いについて力説した。
「あはは、よーくわかったよ。もちつもたれつ、だね」
「だからあ!」
ティンクスの力説もむなしく、二人は宿に帰ってきた。
(20111023)