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ディパーンに戻ると、広場がなにやらざわついていた。
もともと人の出入りの激しい港町なので、にぎやかなのは当たり前なのだが、どうやらそれとは様子が違うようだ。
「どうしたんだろう?」
シュッダはティンクスに聞いてみた。
「さあ……」
二人は興味津々、といった状態で、その中心に向かっていった。
「まったく……ザウナン家の次男坊も懲りないわねえ」
「ホントに」
二人の主婦らしき女性が話しているのが、シュッダの耳に聞こえた。
ティンクスには悪いと思ったが、シュッダはその小柄を生かして、器用に人の間をすり抜けて前列までたどり着いた。ティンクスはその長身のせいか、なかなか前にやってこれないようだ。
「あなたのその瞳は神聖な森のようで、あなたのその流れるような髪は、まるで輝く星を内包した夜空のよう……」
その言葉を聴いて、シュッダは全身に鳥肌がたった。もちろん、その言葉に感動したからではない。
(な……なんてバカな野郎だ。公衆の面前で堂々と女性を口説いているとは……)
シュッダはさらに言い続けている男の顔をみた。先ほどの女性達の言葉を信じるなら、どうやら有力な家の次男坊らしい。顔には甘さが表れており、なかなか整った顔立ちをしているので、女性には受けがよさそうだ。しかし、今回のようなことは度々あるのだろう。興味津々に見ているのは、この街に来るのが初めてそうな人である。街の人は呆れ顔で、しかししっかりと結末だけは知っておこうという顔で見ている。
続いてシュッダは口説かれている女性のほうを見た。
二人組みの女性で、一人は十代後半の貴族のような女性で、もう一人はその人よりも二、三歳若い、侍女のような女の子であった。口説かれているのは貴族のような女性で、確かに黒髪と青緑の瞳が美しい女性だった。
「あーのーですねー、主人はあなたとは話すことはないってさっきから言っているでしょ! いい加減邪魔しないで下さいっ!」
「そんなはずはない。現に彼女が僕を見る目は明らかに好意があった。僕の顔を見るのはそんなにも恥ずかしいことではないよ」
これは本物のバカだろう。
シュッダは瞬時に判断した。どう見ても、女性は困惑と、侮蔑の色を表している。
侍女らしき女の子は懸命に言い諭そうとしている。
「焼け石に水だろう、バカな頭には……」
シュッダはそうつぶやいた。しかし、どっかで聞いたことのあるような組み合わせの女性だなと思った。
「よっと……追いついた。どうしたんだ?」
何とかシュッダのいる最前列までやってきたティンクスは、何が起こっているのかシュッダに尋ねた。
「どうやら、バカ男がさるご令嬢を口説いているようだ」
シュッダは淡々と答えた。
「へえ。勇気のある男だな」
ティンクスはそう言って話題になっている三人を見た。
「……」
ティンクスはぽかんと口を開けてある一点を見つめていた。
シュッダはティンクスの視線の先を見た。
そこには口説かれている女性がいた。
「ティンクス……、僕、なんだかあの女性を知っているような気がするんだけど……」
「……ラリナ」
ティンクスの口から出た言葉を、シュッダは頭の中で反芻させた。
「……あっ! ティンクスの婚約者さんっ!」
「そうだ」
「ええっ! なんでその人がここにいるの!」
「わからない」
ティンクスは呆然と答えた。目はしっかりと黒髪の女性──ラリナを捕らえている。
「確かに、ラリナさんなんだね?」
「間違いない。俺が彼女を見間違えるはずはない」
きっぱりと言い切るティンクスに、シュッダは思わず笑ってしまった。
幾分顔を赤くして、ティンクスはわざとらしく咳払いをした。
「ごめん。じゃあ、こんなところでぼけーっと観ていたら駄目じゃないか」
「しかし……」
「しかしもへったくれもないっ! 大好きなラリナさんでしょ。愛しの婚約者でしょ」
そう言ってシュッダはティンクスの背中を思いっきり強く蹴った。
「わっ!」
ティンクスはシュッダの不意打ちで思いっきり前に、つまり、注目の的になっている三人の側へと向かうこととなった。
「なんだ?」
口説いていた男は、突然の乱入者に「邪魔をするなっ」という目線を向けた。
「あっ」
男を言い諭そうとしていた女の子が、ティンクスを見て声をあげた。
「ティンクス様っ!」
「やあ、久しぶりだね、ネル」
ティンクスは女の子──ネルに微笑んだ。
男と、周りの見物人は、突如登場したティンクスに好奇の視線を送った。
ティンクスはこうなったら自棄だ、という意気込みで、ラリナのほうへと歩み寄った。
「ティンクス様……」
ラリナは頬を朱色に染め、ティンクスを見つめた。
「ラリナ殿……。妙齢の女性が、ネルがいるとしても、こんな遠方までいらっしゃるのは、よくないことですよ」
「あら、なぜ私とネルだけだとお思いになられたのですか?」
「あなたのその表情をみればわかります。……何年あなたを見ていたとお思いですか」
ティンクスの言葉に、ラリナはさらに頬を赤くした。
「私は、あなた様に会いたかったのです。……何も出来ない女ですが、あなた様の役に立ちたいと一番思っているのが、私です」
ラリナは真摯な瞳をティンクスに向けた。
「私は、あなた様と十日後に婚礼を挙げたいのです」
ティンクスは驚いた。
この女性は伯爵家の娘として何不自由なく、大切に育てられてきた花だった。それが、しっかりとした自分の意思を持ち、それをやり遂げる力を持っているとは、ティンクスは思ってもいなかった。今の彼女を例える言葉は、花ではなく華が似合う。
ティンクスは柄にもなく、顔を赤くしてラリナの耳元で囁いた。
「今のあなたは、とても魅力的です。……惚れ直します」
「ティンクス様……」
すっかり二人の世界に入ってしまった。
ネルはそんな二人を感激の面持ちで見ているし、見事に忘れ去られている男はただ唖然としている。
周りで観ていた観衆はなにやら拍手をしていたり、涙ぐんでいたり、うなずいていたりしている。
シュッダはこのままにしておこうかと半ば本気で思っていたが、われに返ったらきっと二人は恥ずかしさにいたたまれなくなるだろうと思ったので、行動に移した。
「こういうわけで、残念だけどあんたに勝ち目はないの。わかった?」
シュッダは男にそう言った。
「……」
男は無言でうなずき、その場から立ち去っていった。
「もしもーし、お熱いところで悪いけど、いったん宿に戻らない?」
シュッダのその言葉に意識を外へと向けたティンクスは、ますます顔を赤くしてうなずいた。
「とりあえず、俺達が取っている宿へといきましょう」
ティンクスはラリナとネルにそう言って、宿へと向かった。
シュッダは観衆に「お騒がせ、しましたー」と声を掛けて、三人を追いかけていった。
(20111027)