今日で魔王辞める!
重苦しい空気だった。
「い、今何と?」
その部屋には二人の男がいた。一人は今声を出した禿頭で薄い目の老人。背中にはこうもりの羽に似たものが大小五つ生えていた。
もう一人はとても豪勢な椅子に座っている男。黒々とした髪は艶やかに波打ち、その髪の間からは三日月形の立派な角が二本、伸びていた。顔立ちは彫が深く、髪と同じ黒い瞳とあいまって見る者全てを惹き込む。そして何と言ってもその存在感は、他者を圧倒する。
男はわずかに眉を動かした。そんなわずかな動きでさえ、魅惑的であった。
「そんな! お考え直しください! 魔王様」
老人は一人声を荒げた。男――魔王は首を横に振って立ち上がる。魔王の前には赤黒く光る落書きのようなものが浮かんでいた。それは上級魔族だけが使う文字である。
その文字が変化していくたびに、老人の顔が蒼白になっていく。
「お願いです魔王様。どうか今まで同様我々をお導きくだされ」
どこかへと歩き出そうとしている魔王に老人はすがる。魔王がいなくなれば、この魔界はどうなるのか。想像しただけで身が震えた。
しかし魔王は無言で足を進める。老人の抵抗など関係ないといわんばかりだ。老人も分かっていた。魔王にしてみればその程度の抵抗など無意味であると。それでも老人は魔王を引きとめようと必死だった。
「どうしてなのですか。どうして、突然」
「アベスタ」
扉の前まで来た時、魔王が初めて口を開いた。
声は低く、太く、性別種族関係なく聞きほれてしまいそうな声だった。が、老人――アベスタはビクリと魔王から素早く離れた。顔色は先ほどよりも悪い。何とも気持ち悪そうだった。
魔王はアベスタの反応に慣れているのか。気にした様子なく、言った。言ってしまった。
「あちし、勇者に惚れたのよ」
勇者の運命や如何にっ?
うーん。まだまだ押しが弱い。コメディーは本当に難しい。
アベスタが気持ち悪そうにしているのは、口調がアレだからです。良い声だと余計にダメージすごそうですし。