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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ドラマチストは殺された

作者: のむヲ
掲載日:2026/03/08

ドラマチストと呼ばれた男がいた。

劇的に生きた人、みんなのヒーローだった人。

大勢が彼を知っているし、大勢が彼に救われたことがある。

日本全国で、困った人がいれば問題の大小を問わず救っていた。

世界すらも救ったという噂が、与太ではなく事実として語られている。

幸運な事に彼と同じ高校だった、それだけが平凡な私の人生で唯一の自慢だった。

きっと彼はこの世界の主人公だったのだろう。

人生の主人公は自分だと言う人もいるが、彼を知っている人たちは皆首を横に振る。

彼こそが世界の中心だった。


ドラマチストは殺された。

高校を卒業して五年、卒業式の時と同じように桜が綺麗に咲いていた、よく晴れた春の日に。

葬式はとても盛大に執り行われた。

壮大で、不可思議で、波乱万丈な人生を劇的に生きていた彼は、呆気なく殺されてしまった。


多くの人々が犯人への復讐へ燃える中、これまた呆気なく犯人が捕まってしまった。

挙句の果てには、意味不明な供述をしているらしい。

「あれは何一つ救っていない」

犯人はうわ言のようにそう呟いていると報道されていた。

あれ、とは彼のドラマチストを指しているのだろうか。

何一つ救っていないとはどういう意味なのだろうか。

ドラマチストは間違いなく多くを救っていた。

イカれた逆恨みでしかないだろう。

皆が落ち込んで、社会全体が薄暗くなったような錯覚すら感じられる日々が一ヶ月過ぎた。

人々が少しずつドラマチストのいない現実を受け止め始めた頃に、彼を殺した犯人の初公判が行われた。

傍聴席はいっぱいになり、あろうことか公判が全国中継される異例の事態になっていた。

無論のこと殺人罪として有罪判決になるだろうと、誰もが思っていた。

ともすれば死刑であれと願う人が大勢だっただろう。

そんな期待とは裏腹に、裁判の結果は無罪判決だった。

理由は容疑者が放ったひとつの発言にある。

「誰か一人でも、あれの名前を知っているか」

それを聞いた裁判官達と傍聴席の何名かは、面食らい、なにかに気づき、奥歯で苦虫を噛み潰していた。

裁判長に至っては凄まじい量の脂汗をかいて小さく震えていた。

かくいう私も気づいたことがあった。

あれだけ多くの人を救い、誰しもが知っていたドラマチスト、その名前を一度も聞いたことがない。

あまりに異常な事実だった。

今の世の中であれだけ顔が知られていれば誰かが特定しているはずだろう。

ここまで思考してもう一つの事実に気づく。

確かに彼に救われて、同じクラスに在籍していたはずなのに、彼の顔を私は知らないのだ。

朗らかな笑顔を、勇気に満ちた凛々しい顔を、どこか寂しそうに夕焼けを見つめる横顔を、見たことがあるはずなのに、彼の色々な表情を見た記憶はあるのに、どんな顔なのかいくら思い返しても分からない。

確かに彼の名前も顔も思い出せはしないけれど、何故殺人を犯した犯人が無罪になったのだろうか。

脳裏にこの思考が過ぎった時に公判中継が突如として途切れる。

判決に納得のいかない人々により暴動が起こった為中継が止まったようだ。

数時間後の報道により判明したが、この暴動は無罪判決を受けた容疑者と判決を下した裁判長が殺害されたことで収束したらしい。


ドラマチストは殺された。

手をかけた犯人すらも殺された。

あれからいくら思い返しても、いくら昔の写真を漁っても、いくらドラマチストについて調べても、ついぞ彼の名前と顔を見つけることは出来なかった。

確かに救われた記憶はある、それに事実として彼は殺されている。

なのに、何故彼に関することをこんなにも覚えていないのだろう。

考えてもあまり意味は無いと自分に言い聞かせて、疑問を見ないフリをして日常をこなす。


あの裁判から三ヶ月が過ぎた。

それでも胸の中に残る強烈な違和感はちっとも薄れないままだった。

見ないフリをしたままではいられない。

自分の人生を生きるために受け入れなくては行けないことは山程あるが、まずはこの違和感を排除しなければ私は現実を正しく受け入れられない気がする。

思い出を辿ってみよう。

彼と出会って救われた、私にとって何よりも大切な思い出の地へ行こう。


彼と初めて出会ったのは高校二年生の三月末、近所にある何の変哲もない公園だった。

俗に言う一軍グループから陰湿なイジメを受けていた私は、四月からの新学年が憂鬱過ぎて夜更けに公園のブランコで俯いていた。

そこにたまたま通りかかった彼が、私の表情があまりにも暗かったからと声をかけてくれたのだ。

誰にも吐き出せずにいた悩みを、彼になら難なく吐露することが出来た。

聞くに耐えなかったであろう私の独白を、嫌な顔ひとつせずに最後まで聞いた彼は、微笑みながら私を励ましてくれた。

四月から私と同じ高校に転校することになっていたらしく、「四月からは俺が君を守るから」と言って笑っていた。

そして、その日別れる前に私と彼は、誓いとして近くにある石柱に名前を刻み入れた。

その日から私は、自分の人生を楽しいと思えるようになった。

あの公園が残ってさえいれば、彼の名前が書かれているはずだ。

ほんの少しの恐怖を感じながらもあの公園に向かう。

工事されることもなく、災害に巻き込まれることもなく、何一つ変わらないままであの公園が残っていた。

ここまであの頃のままであるのなら、まず間違いなくあの日刻んだ名前も残っている。

少しの恐怖が少しの希望に塗り替えられていくのを感じながら石柱に辿り着く。

やっと胸にかかったもやを取り除ける。

どうしてか、彼の名前を思い出せないが、ここに刻まれているのだからこれで解決だ。


石柱に目を落とす。

私の名前が刻まれている。

私の名前だけが、ご丁寧にフルネームで。

縦に書けばちょうど二人分の名前が入りそうな細い柱に、私の名前だけが、横に一人分の名前が入りそうな空白を携えて。

彼の名前はどこにも刻まれていなかった。

修復されたような跡もなく、変わらない質感の石柱に私の名前だけが刻まれている。

血眼になって探した。

私の記憶が間違えているだけで、どこか別の場所に彼の名前があるのではないかと。

手足が土まみれになるまで探したけれど、何一つ彼の痕跡は見つからなかった。

気づけば私は帰路に着いていた。

どんな道を通ってあの公園から今いる場所まで歩いてきたのか何も覚えていない。

覚えていられるだけの余裕が、今の私の頭には残っていない。

彼の痕跡を見つけられ無かった後から、ずっと脳が思考を続けている。

彼を殺した犯人の言動、不可解な無罪判決、あるはずなのに見つからない彼の痕跡。

たかがこの程度の情報でなぜこの結論に至ったのかは分からないが、私の脳は導き出した。


ドラマチストなど最初から存在しないのでは?


これこそが私が感じていた強烈な違和感の正体な気がする。

支離滅裂な疑問だと理性では思っている。

それでも本能はこの疑問を手放そうとしない。

高校の卒業アルバムが実家に置いてあったはずだ。

彼は私と同じ高校を同じクラスで卒業した。

であれば顔も名前もアルバムに載ってある。

今頭の中を支配している疑問が、混乱した私が生み出した妄言だと自身で証明しなくてはいけない。

跳ねる心臓をそのままに、そう遠くない実家へ走り出す。

急に帰ってきた娘を見て、父も母も大層驚いていた。

一言二言会話はしたが、それどころではない。

階段を駆け上がり、元私の部屋に転がり込む。

丁寧に保管してくれていたアルバムを開いて見た後に残ったのは、より酷い焦燥と絶望だった。

誰の写真と名前を見ても、その人とのエピソードを鮮明に思い出せる。

思い出せてしまう。

このアルバムに映る誰一人として、ドラマチストとの記憶に該当しない。

一人分の写真と同じサイズの、不自然な空白が存在感を放っている。

共に卒業式で涙を流した彼が居ない。

朦朧としだした意識は、心配そうな父の声に引き留められてかろうじて繋がった。


おぼつかない足取りで家に帰る。

手に取った記憶はなかったが、記憶と違うアルバムを握りしめていた。

もう何を信じればいいのか分からない。

私以外の彼を知っている人達は、気づいているのだろうか。

自分が狂っているのか、世界が狂っているのかの判別がつかない。

今何を考えても無駄だと思い、生きる為に必要なことを済ませて床に就く。

心身共に疲れていたからか、気づけば朝になっていた。

時期は盆に差し掛かっている。

無遠慮に照りつけてくる夏の日差しは外出を引き留めようとしているようだった。

例えこの日差しが私を焼き焦がすとしても。

例え四肢が凍え砕ける北風が吹き付けても。

それでも私は知りたい。

知らなければいけない。

彼の非実在を決定付ける何かを見つけなければいけない。

そうしなければ前に進めない気がする。


ドラマチストを知っているではずの同級生に片端から連絡をとる。

最初に話せたのは、彼の死に未だ深く落ち込んでいる人だった。

話せはしたが、会話は出来なかった。

ドラマチストが存在しない可能性があることを何度か伝えてみたが、彼との思い出を語り、まるで私がそれに同情し共に悲しんでいるかのように話を続けてくる。

会話を諦めて適当に切り上げたあと、他にも数人の同じような人と話してみたが、同じく会話は出来なかった。

どうにも彼の実在を疑っていない人と、実在を疑っている私では認識に相違が出るらしい。

全員と会話が成立しないものだから、段々と自分の正気に自信が無くなってくる。

やはりドラマチストは実在していて、私の頭がおかしくなっただけなのだろうか。

会話が成立しないのは私がイカれているからなのだろうか。

電話をかける手が止まりかけるが、ここで辞める訳にもいかない。

次に話せたのは、私と同じくドラマチストの不在に気づき始めた人だった。

嬉しいことに今回はちゃんと会話が成立した。

安堵の息が漏れる。

仮に私が狂っているのだとして、私だけではないことが最低限分かったことに安心した。

どうやら向こうも同じ不安を抱えていたようで、自分だけじゃなかったんだ、と安堵の声が聞こえてきた。

話を聞けば、私と同じように彼との痕跡を辿ってみたらしい。

複数個思い当たるものがあったらしいが、ドラマチストの痕跡は何一つ見つけられなかったとの事だった。

これ以上の進展はなく、お互いを鼓舞し合って通話を終えた。

電話に出てくれた子は忙しさと不気味さからドラマチストについては調べないらしい。

依然一人で調べなければならないが、自分一人だけの考えじゃないと分かっただけでも堪らなく嬉しかった。

最後に一人、電話をかける。

数回のコール音の後に繋がったのは、完全にドラマチストを忘却している人だった。

話してみれば、どうやらドラマチストという言葉に辟易しているようだった。

誰も彼も、意味の分からない存在が同級生にいた前提で話してくることに疲れ切ってしまったらしい。

嫌な思いをさせるのも悪いと思い、早めに切り上げようとしたところ、最後に言い残された言葉が酷く脳にこびりついてしまう。

「そもそもドラマチストは劇作家という意味だろう。何故みんな劇的に生きたヒーローの代名詞として使うんだ。」

呆れたように吐き捨てられたその言葉に、適当な相槌を打つことしか出来なかった。

通話を終えた携帯電話を見つめていると、徐々に実感が湧いてくる。

いくら劇的に生きたとて、彼をドラマチストと呼ぶのは確かにおかしい。

英雄や救世主の意味合いで呼ばれるならまだ分かるが、何故彼は劇作家の意味を冠していたのだろう。

解明に向かって進んでいたはずが、疑問が増えてしまった。

一通り知っている連絡先への連絡を終えて、何も判然としないままSNSを眺める。

タイムライン上に、インプレッションは極端に少ないが、ドラマチストは存在しないのでは無いかと疑う投稿がいくつか散見された。

やはり私以外にも彼が実在しないことに気づいている人がいる。

きっとこれらの投稿も、ドラマチストの存在を疑っていない人間には見えない、もしくは全く別な文字列に見えるのだろう。


今日得られたのは、ドラマチストが実在しなかったという私の中での確信だけで、なんの証拠も見つからなかった。

言わば悪魔の証明を行おうとしているのだから証拠が無いのも無理もない。

次は何をすれば良いのか分からなくなり、気づけば持ち帰っていたアルバムを何となく開く。

つい昨日まではこのアルバムにドラマチストが載っていると思っていたのに、不可思議なことがあるものだと眺めていると、昨日は気づかなかった異常が見つかった。

ドラマチストが写っていると思っていたはずの空白となっていたアルバムの写真の枠には、見知らぬ誰かの写真があった。

野上大志、写真の下にある名前を見てやっと思い出す。

この名前、この顔の同級生が私には確かにいたはずだ。

気弱だが誰にでも分け隔てなく接していた優しい男だった。

自分の記憶をひっくり返してみると、ドラマチストと出会った春休みより前の記憶には野上がいる。

だが、あの春休み以降の記憶のどこにも野上がいない。

今日連絡のついた人達に慌ててLINEをする。

野上大志を覚えているか、そう送って少し待てば大半の人から返信が返ってきた。

覚えていたのはドラマチストを忘却していた人と、疑いを持っていたうちの何人かだけで、その他は何の話だがわかっていないようだった。

昨日の私は何故気づかなかったのだろうか。

ドラマチストの不在に確信を持っていなかったから認識が歪んでいたんだろうか。

そもそも何故ドラマチストを認識している間は野上を忘却してしまっていたのだろうか。

野上とドラマチストに深い関連があるからだろうか。

グルグルと脳内を巡ったいくつかの疑問と思考の先に、一つの結論が残っていた。


野上大志はドラマチストだ。

恐らく、劇作家としての意味で。


理屈も道理も動機も分からないが、あのヒーローは、野上を元に生み出された「何か」なのだと思う。

本来は存在しなかったはずだった人物だったから、殺された後は記憶や世界が元あるべき姿に戻っているのではないだろうか。

野上自身がそう成ったのか、野上とは別個で産み出されたのかは分からない。

イカれたオカルト思考だが、ここまで大規模かつ鮮明で、終いには記憶から綺麗さっぱり抜け落ちる集団幻覚なんて、オカルトにでも頼らなければ説明が出来ない。

ドラマチストの正体という最大の疑問に対して、自分の中で腑に落ちる回答を見つけられた。

確かに存在していたけれど死んだあとは存在ごと痕跡が無かったことになっていくなんて、あまりに突飛で現実味の無い回答だが、妙に納得してしまっている。

野上が、何故、どのようにしてドラマチストを生み出して、野上自身がどうなっているのかは皆目見当も付かないが、それを調べたり考えたりするだけの気力はもう残っていない。


ドラマチストは殺された。

死んでしまった世界の主人公は、少しずつ皆の記憶から消えて、いずれ忘れ去られる。

人生の主人公が自分だという、当たり前で受け入れ難い現実を、受け止めなければいけない時が来てしまったんだ。


ドラマチストを殺した男は、何かの拍子に気づいてしまったんだろう。

彼が世界の主人公になって、何もかもドラマチストがいれば解決してしまって、皆が主体性を失って、どうしようも無くなる可能性に。

一つ腑に落ちてから、自分の中にあった他の小さな疑問達も、納得のいく答えが見つかっていく。

少し横になって、色々なことをずっと考えていると、気づけば朝になっていた。


タイマー設定していたエアコンが切れていて、家の中だと言うのに嫌気がさす程の熱気が籠っている。

これまでの人生で一番スッキリしていて爽やかで、モヤモヤとして気分の晴れない朝だった。

一晩眠ったところで大して気力は快復していないけれど、やはり野上がどうしてあんなものを生み出したのかを知りたい。

もちろん私の推察が当たっている確証は無い。

もしかすれば全くの見当違いな考えをしているのかもしれない。

それでも、知りたい。

知らなければいけないと思う気持ちがずっと心の底で騒ぎ立てている。

とはいえ、何をすれば良いか分からない。

私に出来る範囲のことは全てやったと思う。

こんな猛暑の中で考え続けたって疲れるだけだろうし、アイスでも買いに行こう。

冷房を付けて買いに出れば、帰る頃には部屋も過ごしやすい温度になっているだろう。

少し先のアスファルトの上に蜃気楼が現れる程の熱気が、コンビニまでの道のりをやけに長く感じさせる。

なんのアイスを買おうかなんて、当たり障りのないことを考えて歩いていた。

やけにうるさい蝉の声と、薄く揺れる蜃気楼の中に、こちらをじっと見つめる人を見つける。


虚ろな瞳と血の気の無い顔色で、野上大志がこちらを見つめている。


私の意識が見せている幻覚か、蜃気楼のせいで生じた幻影だろうか。

野上が生きていたとして、こんな都合のいいタイミングで私の前に現れるわけがない。

分かってはいるが、目の前に見える探していた存在をどうしても無視できず近寄ってしまう。

近づいていって声をかけても反応はなく、あと一歩で触れられる距離まで近づくと目の前から消えてしまった。

辺りを見渡すと、少し遠くの曲がり角に立っているのを見つけた。

もう一度近づいたらまた消えて、少し遠くで蜃気楼を携えながら立っている。

どこかに誘われているのだろうか。

嫌な予感がし続けているが、今更足を止める気にもならずひたすらに追いかける。

真夏に準備もせずに歩くべきではない距離を追いかけ続けた。

全身から滝のように汗が流れて、少し意識が朦朧としかけた時に、野上の幻影が消える。

消えた場所は、ありきたりなアパートの部屋の前だった。

この中に、答えがあるのだろうか。

無意識のうちに私の手はドアノブにかかっている。

もし鍵が掛かっていなくて、中に誰かがいても、間違えましたと言って逃げよう。

そう自分に言い聞かせて、ドアノブを捻る。

幸か不幸か施錠されておらず、すんなりとドアが開く。

まず飛び込んできたのは、ゴールに辿り着いたファンファーレではなく、悍ましい程の腐臭だった。

覆う手が間に合わず、からっぽの胃から酸っぱい液体をぶちまけてしまう。

口元を拭って顔をあげると、ボロボロの白骨死体が天井からぶら下がっている。

この腐臭は、ぶら下がっている死体の肉が腐ってしまった臭いなのだろう。

恐怖のあまり、声はひとつも出なかった。

呼吸を整えようにも、腐臭が邪魔をして、何一つ心が休まらない。

恐怖の源から目を逸らすため辺りを見渡してみれば、床一面に様々な書類と手書きで何かが書き殴られているコピー用紙が散乱している。

沢山の文字が散らばっている中で、一つの文字列が視界に飛び込んでくる。

「野上大志さま宛」

他の書類たちも宛名の箇所には一様に同じ名前が書いてあった。

どの書類も数年前、私たちが高校二年生だった時の年の物だ。

この家は野上の家で、高校二年生の時に首を括って死んだのだろうか。

風化した白骨と書類の日付が私の思考を肯定するように物語っている。

書類を見るついでに確認したコピー用紙達には、野上が書いたであろう妄想らしきストーリーがびっしりと敷き詰められていた。

どれも困っている誰かがいて、それを救うヒーローのことが書かれている。

ディテールは異なるが、いじめやパワハラにあっている人や夢を諦めてしまった人、ただ無気力に生きている人の話が大半だった。

その中のひとつに、酷く見覚えのある話がある。


いじめに悩んでいる人が、何の気なしに立ち寄った公園でヒーローに出会う。

助けてくれる約束をしたヒーローと公園の隅に名前を刻み込んで、それを心の支えにする。

そして、ヒーローがいじめっ子を懲らしめて、楽しく笑えるようになる話。

私のことだ。

私とドラマチストの思い出だ。

困惑した私の思考がまとまる前に、他のコピー用紙と比べて異質な、一枚の便箋を見つけた。

野上が書いたであろう遺書だった。


この国はあまりにも多くの人が未来に対して絶望と諦めを抱えすぎている。

人生に絶望している人の助けになりたい。

少しでも多くの人が笑って過ごせるように何かをしたい。

けれどそんな勇気は出ない僕にできることは、くだらない妄想を書き溜めることだけだ。

もし僕の命一つで誰でも救える理想のヒーローが産まれたらどれだけ幸せだろう。

ヒーローが全てを解決する世界はきっと間違ってる。

でも僕にはそれしか思いつけない。

僕が無くなってしまうのは少し寂しいけれど、誰かが一人でも救われることを祈って。


最初から最後まで、全て震えた文字だった。

誰にでも優しかった男は、他者を重んじたあまりに、狂った自己犠牲を実行したらしい。

疑問を感じることはなく、納得できた。

あのヒーローは野上の怨念とも思える祈りが成した奇跡で、枚数を数える気すら失せる膨大なこのコピー用紙は、野上という劇作家が書き上げたヒーローの為の、喜劇の台本だ。

劇作家を指すドラマチストと名付けられたのは、台本を書き上げた野上の死にゆく寂しさを少しでも紛らわす為、この喜劇を書き上げた存在がいることを示すためだったのだろう。

確証は無いが、確信はある。


洪水のように浴びせられた情報をゆっくりと飲み込んでいく。

野上の遺体に私がしてあげられることはきっと何もない。

これだけの異臭を放っているのに放置されているのなら、ドラマチストに疑念を抱いていない人達はこの部屋を認識することすら出来ないのだろう。

公的な機関に通報したとして、認識の相違からパニックをもたらしかねない。

皆が、世界がドラマチストを忘却した時にやっと弔ってもらえるだろう。

きっと皆忘れていく。

私がそうだったように、いつか疑念を抱いて、気づいた頃には何も覚えていないだろう。

かくいう私も、いつからかドラマチストとの思い出をろくに思い出せなくなっている。

さっき見た野上の台本をみて思い出した程だ。

ドラマチストの誕生に直結している野上の死も、この三日間で探し集めた答えも、私はきっと手放してしまう。

それがきっと正しいんだ。

私は事の顛末を知ってしまった。

けれど知っただけでどうすることも出来ない。

私はヒーローじゃないから。

遺体に手を合わせて部屋を後にする。

大して長居していないと思ったけれど、もう夕暮れ時だった。

エアコンをつけっぱなしなことを思い出して、少しゾッとする。

アイスは諦めてさっさと帰ろう。

タクシーに乗りながら着く帰路の中、いくつか思うことがあった。


ヒーローが全てを解決するのは間違っている。

創り上げた本人がそう思っていたのであれば、ドラマチストが殺さたのも既定路線だったんだろうか。

であれば、ドラマチストを殺した男が不憫でならない。

知りもしない台本に踊らされ、何も知らない民衆に殺されたのだから。

自分の人生を諦めてヒーローに縋るだけの生き方も、無責任に誰かを救おうとするのも、やはり間違えている。

人は自分自身を救って、こじつけであっても人生を肯定して生きるしかない。

如何に野上がおかしくなっていたとはいえ、もう同じような悲劇と犠牲を産まないためにも。


ドラマチストは殺された。

人々が自分の人生に感じていた、諦めと絶望の集積が彼を死に追いやった。

私達が、殺したんだ。

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