第8話 大津事件未遂
ニコライ第2王子の負傷がないため、親日家、頭痛に悩まされないを 追加
1891年
「大津事件未遂」
統合社会保障基金が“国内産業基盤強化の優先投資フェーズ”に入ったばかりの時期
田中久重が創設した田中製作所は、欧州の蒸気車を独自改良した国産自動車第一号「タナカ式自走馬車」を開発
皇室・政府は“国産技術の威信”を示すため、ロシア皇太子ニコライ来日にあわせて短距離デモ走行を調整
当日、ニコライ第二皇子は京都巡覧の後、大津へ向け移動
「日本近代化の象徴としての自動車」を試乗したいというニコライの要望を受け、威仁親王(北白川宮)自ら隣席に同乗
車両は大津市街をゆっくりと走行
その際、津田三蔵巡査が接近し、ニコライを突き刺すそうとするが、威仁親王が咄嗟にニコライを庇って身を投げ出す
刀は親王の肩部を浅く掠めるにとどまり、ニコライには負傷なし
威仁親王の行動が“日本を救った”形となる
ニコライはロシア皇帝アレクサンドル三世へ
「若き王族が他国君主のために身を挺する。日本は誠実かつ信義の国。事件は狂人の単独犯で、我が身は無事」
と緊急電報
結果
・ニコライは親日派になり、頭部受傷による頭痛に悩まされる事が減りより賢帝に近づく
・日露協調の強化され、皇室同士の交流が「恩義の外交」として緊密化
・ロシア宮廷に日本皇族が頻繁に招待され、両皇室間の文物・人員交流が拡大
・シベリア鉄道の南接続への日本資本参加
・シベリア開発の共同事業
日本国内は「皇族と国産自動車が国難を回避した」と沸き立つ
政府・宮内省・産業界は“国を救った技術”と田中製作所は巨額の追加投資を確約
統合社会保障基金は「基幹産業投資の成功例」として自動車産業の育成に本格着手
田中製作所が“国威案件”となったため、自動車・機械産業への集中投資が一気に正当化
初期のモータリゼーションが加速し、鉄鋼・加工・ゴムの複合産業が活性化
日本の重工業化がさらに早まる
皇室を守り、外国皇族を救った技術として語り継がれ、工学系教育・技術者志望が急増
「本件は不幸中の幸いにあらず。技術と信義が国家を結ぶ時代が到来したのである。」
《ニコライ二世(1905年頃・サンクトペテルブルクにて)》
「あの日の大津で、私は日本の魂を見た。威仁親王の勇気と、あの小さな力強い自走車の音を。以来、私は日本を『極東の兄弟国』と考えている。樺太を売却したことを、一部の貴族は批判したが、私は正しかったと確信している。あの不毛の地を維持する費用で、我がロシアはバルカンでの影響力を保ち、シベリア鉄道を完成させることができた。日本の基金という制度には驚嘆する。国民が自ら積み立て、国家がそれを運用し、全員が豊かになる——これは社会主義者が夢見る理想を、資本主義の枠組みで実現したものだ。私の祖父アレクサンドル二世は農奴解放を行ったが、土地を持たぬ農民たちは結局貧しいままだ。日本のように、土地を国家が買い取り、永久借地権として貸し出す制度があれば、ロシアの農民問題も解決したかもしれぬ。今、日本とロシアは樺太で共同開発を行っている。日本の技術者とロシアの労働者が、共に炭鉱を拓き、鉄道を敷いている。さらにはシベリアの開発も。これこそが、真の平和ではないか。戦争など、愚かなことだ。私は戦争を避け続ける。日本との友情がある限り、極東に戦火はない。」
《渋沢栄一(1910年頃)》
「かつては『武』で国を守った。だが今は、『技』と『資』、そして『信』が国を守る。田中製作所の車輪が回るたびに、日本の平和が盤石なものとなっていく。これこそが、基金が目指した『万世の興隆』の姿である。」
お読み頂きありがとうございました
この章はほとんど変わりはありません
もし可能なら感想を頂ければと思います
よろしくお願い致します




