第1話 村を焼いた日-1-
クレオリアの領土と隣国との境界、その殆どが森や山、水辺に囲まれている。
中心の王都から離れた辺境地であるこの林もその境界の一つだった。
林の中にぽつりとある集落。
ネハラ村という孤立した場所には、二百人余りの人々が暮らしている――らしい。
近隣の町へは林を抜けるのを含めて徒歩でおよそ二時間。
馬車を使えば四十分程だが、買い出しとして毎回林の中を行き来するには骨が折れる場所にあるせいで、ほぼ周囲の町や村とは交流は無い。
地方なため戦火も浴びず、百数年は孤立して独自に暮らしていた人々。以前はそれなりに人口も居たが、『徐々に人が集落から出ていき』今も人数は減少している……とのことだ。
……交通に悩む地方から賑わう領土中心部へと暮らしを移す人々はどの地域を比較しても少なくはない。
このネハラ村の人口減少傾向もまか不思議ではないはず、なのだが。
『孤立すればするほどその中が正義だと固まっていく。考え方が凝縮されているんだ』
『目が覚めるまでに何年もかかったよ。世界は広くて優しいと気付いたのさ』
ネハラから離れ郊外の町へ移住してきた人はそんなことを口にしていた――
ガタンと馬車が揺れ、男は顔を上げる。
「熱心に読んでるじゃないか、そんなに面白い資料だったか?」
馬車の中、白衣の男達が三人。
資料を読んでいた黒髪の男。その向かいに座っていた金髪の青年が笑って訊ねた。
「あぁ……調べる遺跡の、傍の集落のことを読んでいた」
「あーそれ、人口が減ってて村の生計としてかなり危ういんだろう? それでも半自給自足って、よくやってけるよなぁ」
「そこって大昔に賢者様が居た恩恵があるとかないとかですよね。夢があるけど、今の時代もう廃れてそうだなぁ」
明るい茶の髪に眼鏡をかけた青年も口を開く。
「流石にそうだろ。賢者の元住処もとっくに遺跡扱いだし」
「ていうかその状態って絶対因習村ですよ、ちょっと前に流行った! お主あの祠を壊したのか……!? ってヤツ!」
「いやなにそれ……つか因習村に流行り廃れとかあんの……?」
ガタガタと揺れる馬車。
「しかしこの揺れで文字なんか見てよく酔わないよなお前」
「これくらいなら大したことない。ところで本当にこの遺跡は俺だけで行くのか?」
「小さいし前にも何度か調査入ってるから簡単な下調べならお前だけで充分だろ。俺とコイツはスケジュール通り、町の方の遺跡確認してからそっちに合流するからさ」
こくりと男は頷く。
もうすぐ到着予定地だ。
資料をぱたりと閉じ、白衣の胸ポケットに収めていた暗い色の眼鏡を掛ける。
馬車の窓の外は太陽がチカチカと瞬いていた。
林の中の孤立集落、ネハラ村。
一見して穏やかで、木造の民家や共用の小さな施設が立ち並び、小川や畑もある。
近隣の町から買い出しを終えた荷馬車、人々が寄り合って荷物を下ろしている様子も見える。
とある路上。
少女は家族からりんごの入った袋を受け取ったが、不用意にひとつ袋から落としてしまった。
談笑している家族をよそにコロコロと転がるりんごは、建物の裏へ続く細い路地へ入ってしまう。
そこは日陰なことも合間ってやけに薄暗く、表通りに必要のない大荷物や樽などが塀に沿って並べられていた。
少女は慌てて転がってしまったりんごを追いかける。
「……?」
少女が路地裏にひょこりと顔を出すと、その暗い物陰でごそりと動く影……うずくまっている人間がいた。
大人ではない。十代半ば程の少年。
それで少女はハッとした。
この人は、あれだ。青い……
「ん、う……」
どうやら少女に気付いた少年は、重たそうに声を漏らし顔を上げる。
りんごはその少年の足元……所狭しと置かれていた荷物の隙間にあった。
「ぁあ……?」
少年は前髪を掻き上げるように頭を押さえ、明らかに不機嫌そうに少女を見る。
一瞬目は合ったが何故か焦点が合わないのか、なんだか表情が定まっていない。
その様子に息を呑んだ少女の気配を感じたのか、少年は光がないその目で煩わしそうに鋭く睨んだ。
「あ、あの……」
少年の足元と荷物の隙間にあるりんごを取りたい。
だが少女は無言で睨まれたことで、足がすくんでいた。
「ミワ?どこに行ったの?」
「お、おかあさん?」
少女は思わず呼びかけられた表通りへと振り向こうとした。
するとさっきまでしゃがみこんでいた少年が足元のりんごを手に取ってゆっくり立ち上がったので、少女は驚いて少年を見上げる。
仄暗い中でも分かる、少女はこの人の存在、風貌を……特に髪を知っている。
……親が通りすがりによくケラケラと笑って話していたので。
「……はぁ、良かった、立てた」
少年は小さく呟いて少女の前に立つ。
思ったよりも背丈は高くなく、顔立ちもまだ幼い。
先ほど睨まれた相手とは思えないくらい素朴で、髪色以外はごくごく普通の少年だった。
少年は持っていたりんごの土を払い、見上げるだけの少女に屈んで両手で手渡す。
「はい。きみのだよね?」
「あ……う、うん!」
しどろもどろの少女の後ろから先程と同じ声が呼びかけた。
「ミワっ」
小走りでおそらく少女の母親である女性が駆け寄る。
「ミワ、勝手にどこか行ったら駄目でしょう……」
娘を見つけてほっとして、そして娘の前にいる少年に目をやった。
母親が怪訝に目を細めた気がしたが、そのまま娘の手をとる。
「さ、行きましょう。あのコと目を合わせてないでしょうね、呪われちゃうかもよ〜」
子をあやすように軽快な口調の母親。その手を引かれて少女は早足で歩き出した。
しかし歩きながらも顔だけりんごを拾った少年の方を向く。
「お兄ちゃん、ありがと」
それは声には出さず、口の動きだけのものだった。
けれどもきちんと伝わった少年は目をぱちくりとしてから、小さく微笑んだ。
「はぁ……立ちくらみかなぁ……この頃多いけどなんでだろ」
疲れてるのかな、と漏らして、少年は傍らにおいてあった水桶の紐を担いだ。
日陰の路地裏から表通りへ出る。
晴れていた空の太陽は傾きだしていて、ゆっくりと紫色に陰りつつある薄い雲の合間を、優雅に鳥が飛んでいる。
「……え、夜から雨? まだまだ晴れてるのに……早く洗濯物取り込まないと」
茅峨は村外れの共有水路から汲んできた水桶を、一旦自宅の玄関前に置き一息ついた。
その前を二人の村人が通り過ぎる。
「またおかしなこと言ってるよ、夜から雨だって。適当すぎるだろ」
「でもよぉこの前の予報は当たってたよな、意味不明、ハハ」
「そりゃ適当なんだからたまには当たるさ」
「言えてる!」
茅峨に聞こえてもお構いなしの声量で話しながら村人達は行ってしまった。
それにきょとりと目配せはするものの、茅峨は特に気にも留めず木造りの玄関扉を開く。
ネハラ村の建物は大小はあるものの基本的に木造で、それは茅峨の育った家も変わらない。
「ただいま」
そう口にすると、家の奥から少年が出てきた。茅峨より少しだけ年上に見える。
「お、ちゃんと水汲めたか? おまえ昨日は途中でひっくり返したって言っただろ。心配してたんだ」
「大丈夫、外に桶を置いたままだから、洗濯物取り込んでから裏に注ぐよ」
「ああ……そうしてくれ」
にこりと笑う少年は黒髪だが、茅峨の髪は深い海のような青色だった。
村人達は皆黒髪や茶髪で、多少流行りに乗る若者は明るい髪や金髪などに毛染めをしたりするが、茅峨のその青は生まれつきだ。
「ゼンにやられた足の怪我はどうだ? それのせいで昨日上手く歩けなかったし」
「もう平気。痛くないよ」
「そっか、なら良かった」
閉鎖的な地域で『皆は平等である事が一番平和だ』、という村の方針は、逆に皆と違う要素のある――青色の髪だったり、空を見上げて一人で話していたり――そんな茅峨が疎まれる事は必然だった。
個性は控えるように。人と違うことをするのはやめるように。
皆が同じように平等に、それが一番穏やかに生きられる。
村全体に昔から染み込んだ考え方だ。
それ故に村としての一般から逸脱した者は方針に反しているとして、周りがその対象をどんなに攻撃しても誰も咎められなかった。
個人の意思による目立つ発言でも、自分ではどうにもならない見た目でも、周りと同じでないなら何をされても文句は言えない。
それが当たり前。それが普通。
ここで育ってしまうとそれらの考えに染まってしまう。
誰もがそうなのだから、なにもおかしい要素なんて浮かばない。
「おかしいよな、それ。個性が悪いなんてさ。茅峨はそもそも赤ん坊の時から青色の髪じゃん。どうにか出来るもんでもないのにみんな、酷いよな」
そう言いつつ、茅峨の足の怪我を知っているにも関わらず、彼は手伝う素振りはない。
「――ありがと、アスハ」
黒髪の少年の言葉に茅峨は苦笑しつつキッチンを横切る。
「ね、ユツカさんは?」
そう茅峨が訊くと、アスハは無言で近くの扉を指す。
それは自分達の会話が薄く聞こえる距離だ。
部屋の中に育ての親がいる気配を感じながら、茅峨は上の階へと続く階段を登った。
ベランダに出ると更に日は傾いていて、けど橙色にはやや遠い光。
白ととても薄い橙、ゆるりと広がる淡い紫色。
明日が晴れるならもっと眩しく目も眩む夕日になるはずなので、夜が雨というのは正しそうだ。
やや冷たい風が茅峨の青い髪を揺らす。
「…………」
明日も明後日もそのまた次の日も、ずっと同じように生活して、空を見て、自然の声を聞いて、いつものように浴びた痛みを体に感じながら自分は寝床につくのだろう。
洗濯物を取り入れて一階に戻ると、今から出かける様子の育ての親ユツカと鉢合わせた。
「……茅峨。今日やる事はやったの?」
「あとは水を裏に入れるだけだよ」
「そう、早くしてね」
まずい、水桶がまだ玄関のすぐ傍だ。
「アスハ、今日は帰らないから」
「いつもの友達のところ?」
「そう、あとはよろしくね」
夜は雨だから傘を持って行ったら、と言おうか一瞬迷って茅峨はやめた。
証拠もないことを言えば……証拠があってもだが、藪から蛇になってしまう。
茅峨は先程の水桶を移動させる為に先に外へ出た。
「よいしょ……っと」
その後ろからユツカが出てくる。
「なぁに? こんな所でとろとろしないでよ……どいて」
ユツカが完全に背を向けてから茅峨は「いってらっしゃい」と言葉をかけた。
いってきますも何も返ってこないが、茅峨が声をかけないとこれまた面倒なことを言われるので。
「さてと……早く運ぼう」
家の裏手の貯水槽、と言っても木の板で出来た樽のようなものだが、そこへ今日汲んだ水を注ぐ。小石などの自然の濾過装置が水を槽の底へと送り出すのを見届けてから、ふと顔を上げた。人の気配がしたからだ。
思った通り背後に人がいて、突然髪を引っ張られた。
ネハラ村の人々は茅峨に悪い意味以外関心を持たない。
いきなり青い髪を引っ張られても昨日の傷が癒えきっていない足を蹴られても、それを見かけた通行人はやられているのが茅峨だと分かると見て見ぬ振りをする。
育ての親ユツカも「あなたが何かしたんでしょ、その辺の人を睨みつけたりしたんじゃないの? やめなさいよね」などと言うのは茶飯事だ。
「アイツ、俺が浮気のこと黙ってやってるのを良い事に今晩も別の男んとこ行くんだぜ。ふざけんな!!」
男が茅峨に全く関係のない事で殴ってくる。
(……この人、前も殴りに来たけど相当ストレス溜まってるんだなぁ)
そうぼんやりと茅峨は思うだけで、何も抵抗はしなかった。
抵抗したところで過度に攻撃が増えるだけだし、体は痛いが歩けなくなるまで殴ってくる事はない。
明日も普通に茅峨が生活出来る塩梅の暴力、皆そうしてくるしそれが当たり前だった。それとは違う日常なんて知らなかった。
「おい」
……小さな声。
だというのに不思議と通りがよく、たった今茅峨に蹴りを入れていた男の動きはピタリと止まる。
「んあ? ……なんだよお前、見ねぇ顔だ、なッ!?」
村人が茅峨を蹴っていた足と反対の、地面に付く軸足が浮いた。
そのまま宙返りをする様に体半分がひっくり返り、硬い土に村人の背が勢いよく落ちる。
「いッッて!!」
茅峨は目を丸くさせて、地に伏している村人の前に現れた影を見上げた。
知らない人だ。
知らない、どころか……
「えっと……誰、ですか……?」
どう見てもここの村人ではなかった。
その人物はとても背が高い上に髪も長めで、薄く射す夕日が逆光になっているせいで顔立ちが分かりにくい。
「……悪い、足が当たった」
やはり声は小さいが、低くて落ち着きがある。村人の足に自分の足が当たったと言いたいのだろう。本当なのか適当に言っているのか……
(え……? 助けてくれたのかな……)
茅峨の価値観は麻痺している。
何かにつけて痛めつけられる事は茅峨にとって特別な事ではなく、それに対して「助けてほしい」と思った事は無かった。
――昔は、それこそ物心ついて数年は思っていたのかもしれないが。
何をしても何を言っても誰も助けてくれないし、「お前はこうされても仕方がないんだ」と何度も何度も言われた。
別に死ぬほど怪我をさせられるわけじゃない。
体も心も痛みには慣れてこうして充分生きていられるし、もし間違いが起こって死んでしまっても大した事はない。
赤ん坊の頃に拾われてからずっと、茅峨はそんな形で暮らしてきた。
なので、突然現れた――この白衣を着た長身の男にも、「助けてくれてありがとう」という言葉がすぐに出てこなかった。
(お礼を言う、で合ってるのかな。おまえの為じゃないって言われるかな。でも……)
頬が腫れた顔で茅峨はウンウンと考えて、そして口を開いた。
「あの、あ、ありがとう……ございます。止めてくれて……」
「……?」
不思議な事に、茅峨の言葉に男はキョトンとした。
いや風貌だけ見ればキョトンなどとかわいらしい感じではない。
男は光を遮断する為の黒い眼鏡をかけていて、且つ顔に掛かる長い前髪が拍車をかけ、目付きや表情が汲み取れなかった。
端的に言えばちょっと怖い。
二十代か三十代か、年齢も分かりづらい。
そんな長身の男が茅峨の礼の言葉に首を傾げている。
「あ、あの……?」
「あぁ……お前、この男に暴力を振るわれていたんだな」
男の声色からして、どうやら本当に茅峨の状況に今気付いたらしい。
件の村人は背中の打ちどころが悪かったらしく、先程から呼吸が出来ない様で地に背を丸めてヒューヒュー言っている。
「すまん、たまたまだ。私は人に道を尋ねたかったんだが、そこの凹みで足がつんのめって」
「つんのめって」
「バランスを崩した所にこの男がいて足を払ってしまった。おかげで転ばずに済んだ」
「そ……そうですか。足、な、長いですもんね……?」
変な人だ……! と茅峨は思った。
実際背の高さに見合う様に足が長い。五メートルくらいありそうだ。比喩だが。モデルをしていてもおかしくない。顔立ちは分からないが。
「あの、道って……というか、そのバッジはクレオリア王都の……?」
男の着る白衣の胸元には王都職に準ずるバッジが付けられている。領土内では権力にも値する紋章なので、辺境に住む茅峨にもすぐに分かった。
「あぁ、私はクレオリア王都専門職に属する考古学研究員だ。近日この辺り一体の歴史調査をすることになり今日は立地の確認や予想出土品の下調べという名目で私の他に二人の計三人が」
「ままま待ってください、えーっとちょっとここではあれなので、少しここに居て貰ってもいいですか!?」
男が矢継ぎ早にしかし物凄く淡々と説明し出すのを止めた茅峨は、焦りながら周りをぐるぐると見渡す。
ここは自宅のすぐ裏で、自分がよその誰かと話しているのを誰かに見られるのはあまり良い事が起こらない。
今日は育ての親も帰ってこなくて、そういう日の夕食の準備はアスハが担当だ。
「確か道を聞きたいと言ってましたよね? 俺が分かる範囲でなら案内しますから」
ここで待っててください! と男に念押しして、茅峨は空の水桶を抱えてる自宅玄関の方へ走っていく。
それと同じくして先程背中を打って悶絶していた男がやっと起き上がり、傍に棒立ちしていた白衣の男に驚きながら毒付きつつその場を去っていった。
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