テディ?ベア
アイダホ州のサーモンに住むクレア・ラミレスは元軍人のシングルマザーだ。夫と別れて娘のエイヴァと共に、狩猟をしながら生活している。
ある日、クレアはいつものようにエルクを狙って1人で森に入ると、2頭のアメリカベアを見つけた。草むらに身を隠し、逃げようと観察していると、片方がどうやらおかしいことに気づいた。2頭は縄張り争いのような喧嘩をしているのだが、片方がやけに頭が大きく、手足もふかふかとしているのだ。体色はアメリカベアにしては珍しく明るい茶色で、目も大きなビーズのようにつやつやと光っている。
興味を持ったクレアは、普通のアメリカベアを狩猟銃で撃ち殺した。すると、ふかふかしたアメリカベアは、銃声に驚いたが逃げようとはせず、こちらを向いた。
気にはなったがやはり熊だ。襲われると流石にまずい。逃げようとしたクレアだが、不思議な現象を目にした。ふかふかしたアメリカベアは、どんどんと縮んでいき、30cmほどのテディベアになったのだ。そしてこちらに近付いてくる。
「人間さん?よかったぁ。あの子強くて、僕じゃ勝てなかったよ。」
動くテディベアは英語を喋った。クレアは驚き、思わず声を上げた。
「えぇ?!なんてこと!」
「僕はチャッター。ちょっと特殊なテディベアだよ!群れからはぐれちゃって、困ってたんだ。人間さん、僕、森のことなら役に立つよ!一緒に狩りをしよう。」
「チャッター……可愛い名前ね。私はクレア。ちょっと信じられないけど……面白そうね。一緒にいきましょう。」
クレアは近付いてきたチャッターと握手をした。ふわふわの、まさにぬいぐるみだった。そして撃ち殺した熊の頸動脈を切り、血抜きを始めた。
「あれ?狩りはもういいの?」
「アメリカベア1頭は十分な収穫よ。血抜きと内臓を抜いて、持ち帰らないと。何往復かしないとダメね。」
「僕が力になるよ!大きくなったら、少し軽くなったこの子ぐらい運べるよ。」
「本当に?でも、さっきの様子を見たら、そうかもしれないね。処理がおわったら手伝ってくれる?」
「まっかせて〜!」
クレアは熊の内臓を抜くところまで処理をした。抜いた内臓は獣が集まらないよう、穴を掘って埋めた。穴を掘るのは、大きくなったチャッターが手伝ってくれた。
「どう?運べるかしら。」
体長150cmほどになったチャッターは、器用に熊を背中に背負い、四つん這いになる。
「うん、これぐらいならいける!クレアの家に案内してくれる?」
「よかったわ!帰りましょう。家に娘がいてね。エイヴァというのだけど。仲良くしてくれる?」
「もちろん!友達になるし、ボディガードにもなるよ!」
「それはよかった。エイヴァを森に連れてくるのはまだ早かったけれど、あなたがいれば連れてきてもいいかもしれない。」
「任せて!」
クレアは帰宅すると、作業小屋に熊を吊るし、小さくなったチャッターを抱えて家に入った。
「ただいま、エイヴァ。今日はびっくりする収穫があるよ!」
「おかえり、ママ!何があったの?!え、わあ!可愛い〜!!」
「僕はチャッター!エイヴァ、よろしく!」
チャッターは手を振った。
「わあ!喋った!しかも動く!すごーい!ママ、この子どうしたの?」
「森で出会ったの。ちょっと不思議だけど、チャッターは本当の熊ぐらいに大きくなることもできるんだよ。」
「えぇ?!びっくり!!チャッターすごーい!」
エイヴァはクレアからチャッターを受け取った。
「ふわふわ〜。チャッター、よろしくね!」
「よろしく、エイヴァ!僕が君を守るよ。」
「え?ってことは……?」
「今度からエイヴァも狩りにいこうか。」
「やったー!ありがとう、ママ、チャッター!」
エイヴァとチャッターは親友になった。休みの日は母のクレアと2人と1頭で森に入り、エルクを狩ったり、ベリーを採ったり、蜂蜜を採ったりした。夜は一緒に眠った。
ラジオで治安が悪くなっていると聞き、クレアはスクールバスではなく自家用車でエイヴァを送り迎えした。自家用車ならチャッターと更に一緒に居られると、エイヴァは大喜びだったが、カーラジオから流れるニュースは不穏なものだった。
ある日の帰り、カーラジオから恐るべきニュースが流れた。街のはずれにある研究所から、ゾンビが発生したというのだ。ゾンビは人を襲い、噛まれた人間は徐々にゾンビ化していくという。市役所が避難場所になっているようだ。
一度家に帰り、キャンプ用品や食料、銃などを積んで市役所に向かうと、駐車場にたくさんの人が集まっていた。
「どうしたんですか?中に入らないのですか?」
「職員と先に避難したやつがよ、これ以上入ったら避難だとしても生活できないってんで、立てこもってんだよ。学校の体育館に行けって言ってらぁ。あそこは研究所近けぇだろ?みんな嫌だってんで、抗議してんのさ。」
「そんなことが……」
クレアは駐車場の端に車を移動させ、車と木の影になるところにテントを張った。食料もあるし、何日かは生活できるだろう。だが、ここにいてもいつかはゾンビが来るのには違いなかった。
エイヴァはテントの側でチャッターを大きくさせて、遊び始めた。クレアは駐車場を見回すと、一台の頑丈なジープが目についた。
ジープの側では、50代くらいのダンディなおじさんが煙草を吹かしていた。
「ミスター、すみません、私はクレア・ラミレス。これはあなたの車ですか?」
「そうだがどうした?」
「私には娘がいるのですが、3人で一緒に逃げませんか?私は北の森でいつも狩りをしていて、ジープが通れそうな獣道を知っているわ。更に北は山だし、私は狩りもできる。食料も持ってきているし、狩りで確保もできるわ。」
「何人かに同じように声をかけられたが、お前の話が1番魅力的だな。子供はいくつだ?」
「エイヴァは12歳。来期にはミドル・スクールだけど、もう叶わないわね。」
「そうか。俺はハンク・ダルトン。よろしくな。エイヴァに会わせてくれ。」
「こっちよ。」
クレアとハンクは連れ立って、駐車場の端の車の側に歩いた。ちょうどチャッターがエイヴァを抱きかかえて転がっているところだった。
「おい!熊じゃねぇか!こんなところに!」
「実はあの子は大丈夫なのよ。エイヴァ、チャッター、この人はハンク。一緒に逃げることにしたよ。」
クレアが声をかけると、チャッターはみるみると小さくなり、ぬいぐるみサイズになって走り寄ってきた。
「ハンクさん!よろしく!僕チャッター!ちょっと特殊なテディベアだよ。」
「えぇ?こんなことがあるのか……だからお前たちは森を抜けることにしたのか?」
「ハンクさん!私はエイヴァ!よろしく!」
「それもあるわ。チャッターがいれば、森での食料調達と安全性は保証する。」
「まあなんだ、2人ともよろしくな。」
クレアはエイヴァとハンクと協力して、テントを畳んだ。ハンクはクレアの車の横にジープを移動させ、食料などを積みかえた。
3人と1頭はジープに乗り込み、北の森へ向かってジープを走らせた。森に入ってしばらくすると、チャッターが声を上げた。
「元の群れの仲間が1頭、あっちの方で襲われているみたい。きっと役に立つから、助けてほしい!」
「そいつもお前みたいに小さくなれるのか?」
「もちろん!僕より物知りだよ!」
「じゃあ向かうぞ。あっちだな?」
ハンクはチャッターが示す方へジープを走らせた。
「これ以上は進めねぇな。クレア、俺は狩りはできん。ここで待ってるぞ。」
「わかったわ、行ってくる。チャッター、一緒にいきましょう。」
クレアは小さいままのチャッターを抱えて、音を立てないように進んだ。少し歩くと、2頭の熊が見えた。片方は大きくなったチャッターのように、頭が大きく、ふかふかとしていた。色は焦茶色だ。
クレアは草むらに身を隠すと、狩猟銃を構えた。よく観察すると、ふかふかとしていない方は、どこか動きが悪いように見えた。ふかふかとした焦茶の熊が、こちらに急所が向くように押さえ込んでくれたので、撃ち殺すのは簡単だった。
(まさかゾンビ?動物にも感染るのね。)
脅威を撃ち殺すと、ふかふかとした焦茶の熊はどんどん縮み、こちらへ向かってきた。
「助かったぞぉ。もしかして、チャッターか?死んだかと思っておったぞ。」
「モース!久しぶり!この人間さん、クレアに助けてもらったんだ。クレアとっても強いんだよ!」
「モースというのね。よろしく、クレアよ。町でゾンビが発生していて、北に逃げるところなの。もしかしてその熊はゾンビ?噛まれなかった?」
「そうか。どこかおかしいと思っておった。最近、森の中でも変な動物が増えておってな。おそらくゾンビだろう。仲間の反応が近付いておったのでな。あしらっておったからの、噛まれてなどおらん。儂らは普通の熊より群れの数が多いのでな。数で上回れば負けはせん。」
「他の同じような熊たちは一緒に避難しなくていいのかしら。それだと食料的に厳しいのだけど。」
「おかしくなった動物を食べてしまってな。みんなおかしくなってしまったわい。儂らは食べる量が少ないからの。そんなもん食べんでいいと言ったのに。」
「不幸中の幸いね。車に戻りましょう。」
クレアはチャッターを抱え、モースを連れてジープに戻った。
「おかえり!ママ、チャッター!その子は?」
「儂はモースじゃ。長老とか呼ばれておったのぉ。」
「長老か、頼りになりそうだな。俺はハンクだ。さあ、逃げるぞ。クレア、道案内頼む。」
「私はエイヴァ!よろしく、モース!」
「こっちよ、ハンク。元の道に戻ったら、北西の方角。」
3人と2頭は、北への避難を続けた。夜はテディベア達のうち片方が夜番をしてくれるので、安全だ。
モースは飲める水のある場所や、チャッターではわからない食べられるキノコなどの知識が豊富だった。クレアは週に一度ほど狩りをして、モースと共にゾンビ化していないことを確認し、食肉を得た。
サーモン川沿いに北上し、ノースフォークで日用品やガソリンを補給した時に、店員に話を聞くと、サーモンではゾンビが大発生していて、軍が街を封鎖したようだ。だが動物もゾンビ化するので、森を挟んで感染が進んでいた。しかし、ゾンビは運動能力が著しく落ちるので、まだ山を越えては感染していないようだ。
ビーバーヘッド山地を越え、北西へ旅を進め、森を進み、ハイウェイを北上し、ついにはカナダとの国境線を越えた。モンタナ州からカナダのブリティッシュ・コロンビア州に入ったようだ。
「そろそろ補給しないと、ガソリンがまずいぞ。」
「地図を見る限り、クランブルックが近いわね。そこで補給がてら、情報収集しましょう。」
クランブルックでガソリンを補給しながら、情報収集をすると、アメリカ軍はゾンビ動物が徘徊する森や山を大規模に焼いたようだった。そのお陰か、最初に越えた山より北にはまだゾンビが発生していないようだ。
「ひとまずゾンビパニックは終結かもな。」
「よかった!そろそろどこかで落ち着きたいね。」
「インバーメアに知り合いがいるの。山に囲まれているし、もしゾンビがカナダまで来ても少し安心だわ。」
「もしかして、トムおじさん?バースデーカードにインバーメアって書いてあった!」
「よく覚えているわね、エイヴァ。そうよ、私より熊狩りが上手いの。」
「知り合いがいるなら安心だ。OK、インバーメアに向かおう。」
3人と2頭はジープでインバーメアに向かった。トムに手伝ってもらい、森の近くに家を建て、終の住処ができた。
「生活も安定してきたのぉ。エイヴァは儂の目利きがなくとも、毒のない食べ物がわかるようになってきたしの。」
「モース、ほんと?!うれしい!今度からは美味しいものだけ採れるようになろうかな〜」
「みんなには美味しくなくても、僕たちにとっては美味しかったりするから、気にしなくてもいいよ!」
「不思議なもんだな。知性を持っていても、俺たち人間とは味覚が違うのか。」
「エイヴァ、ママはモレルが食べたいわ。そろそろ季節だし、バター炒めにしましょう。」
『次のニュースです。アイダホ州、ノースフォーク・レンジャー地区のキャンプ場で、原因不明の集団昏倒が発生。男女12人が意識不明の重体。病院に搬送されましたが、暴れるため拘束されています――