人類断続計画
科学者ヒュラーは人生に絶望していた。彼は生まれてから32年間、何もいいことがなかったと自分で感じていた。富にも人間関係にも心の豊かさにも恵まれず、常にいかに人生を終えるかのみを自問してきた。そんな彼が、自らが生きている唯一の目的と考えていたのが、人類断続計画を実現させることであった。
そもそも人間とは生まれたいと思って生まれてくるわけでもなく、勝手に生を受けて理不尽な人生を歩まなくてはならない。それは不条理であり、そんな悲劇を食い止めるためにこそ、我々の代で人類は滅ぶべきである、というのが人類断続計画の趣旨であった。彼は自分の人生だけではなく、人間がこの世に生を受けて活動を続けるということ自体に意義を見出していなかったのである。
ヒュラーは自国の政府を説得することでこの計画の実現を図った。
「これから人類は増え続けて食料をはじめとした資源は使い果たされるでしょう。我々の世代はともかく、未来の世代には絶望しか待っていない。そうと分かってながら、子どもを産んで次の世代を育てるというのは無責任なことです」
このあまりの突拍子な論説に、政府の役人たちは絶句するしかなかった。だがヒュラーは気にせずに続けた。
「そもそもどんな人間にとっても人生とは悲痛極まりないものであり、生まれてくること自体が苦しみのもとなのです。だからその連鎖を断ち切るのです」
「一体どうするというんだね?人類全員で自殺しろとでも言うのか?」
役人の1人がそう言うと少し笑いが起こった。誰もがヒュラーを狂人だと思い始めていた。
「何もそんな必要はありません。生まれてきた人間にやはり死ねというのは酷というものです。この計画はそうではなく、生まないというところに意味があります。これを見てください。私が開発した薬です。これを飲めばその人間は生殖能力を失います。これをこの国の国民全員に飲ませるのです」
「馬鹿なことを言うな。出ていきたまえ」
ヒュラーはつまみ出された。
彼の論説は国民の間でも話題となったが支持を得られず、彼は絶望して自国を離れた。彼の計画は最終的には人類全員に自分の薬を飲ませることにある。そのためには手始めにどこかの国でこの案を採用してもらう必要があった。
そんなヒュラーに白羽の矢を立てたのが、ドンマ王国の国王である。ドンマ王国は現在急速な経済成長に伴い人口が爆発的に増加していた。国王は人口の増加を抑制するためにヒュラーの薬を用いようと考えており、利害は一致していた。
独裁国家であるドンマ王国では、国民は国王の命令に逆らうことができなかった。だからこそヒュラーにとっては好都合であり、国民全員に薬を飲ませるにはうってつけの国家だったのである。国王は莫大な予算をかけて国民の人数分の薬を作り、それを飲まないと死刑にする法律を作った。
それから科学者であるとともに医者でもあったヒュラーは、ドンマ王国内で医療活動に励むことになった。ヒュラーからすれば自分の案を採用してくれた御礼のつもりであった。ある日彼は伝染病が流行っている農村へと向かった。
彼はそこで伝染病に感染した1人の少女を診断することとなった。名をソーラといった。
「この子を治すことはできるかもしれませんが、しかしそうするべきだろうか。このまま死なせてやるべきかもしれません」
苦しそうに悶えているソーラを見ながら、彼は低い声でソーラの両親にそう告げた。
「なんてことを言うんです。この子には未来があるんですよ」
母親は怒鳴るようにヒュラーに反論した。
「未来とはどんな未来です?明るい未来ですか?この子にそんなものが待っていますかね?悪いですがこの貧しさでこんな不衛生な環境で暮らしていたら、今治せたとしてもまた同じ目に遭うに決まっている。これから生き続けることの方がこの子にとっては不幸というものではないですか?」
「あなたそれでも医者ですか?」
母親は唖然として続ける言葉を失った。だがそんなことを気にもせずにヒュラーは続けた。
「そもそもこんな環境下でこの子を生んだことが間違いだったのではないですか?」
「あなたになんでそんなことを言う権利があるんですか?この子には生きたいという強い意志があるんです。その証拠に死者が続出しているこの伝染病にかかってもまだ生きているんです。お金ならいくらでも払います。なんとかして治してください」
母親は涙を流して頭を下げた。ここまでされるとヒュラーも考えを引っ込めざるを得なかった。
たしかに死んでいてもおかしくないこの状況で苦しみながらも生き続けるこの子には、強い意志があるのかもしれない、とヒュラーは母親の意見を一部認めた。そのうえでソーラが少し元気になったタイミングで、話を聞いてみることにした。
「こんな状況でも生き続けたいと思うか?」
ヒュラーは子ども相手にも関わらず、相変わらずの無愛想、無神経な聞き方でソーラに問いかけた。
「もちろんよ。私は決して不幸なんかじゃないもの」
ヒュラーは想定外の答えに少したじろいだ。彼女は人生に絶望しているに違いないと決め込んでいたからだ。
「なぜそんな風に思える?この家には食べ物だってお金だってわずかしかないんだぞ」
「だから私毎日働いてお金を稼いでいるのよ。今は病気にかかったから休んでいるけどね。それで大きくなったら貯めたお金で都市部の学校に行くのよ」
「それでどうするんだ?」
ヒュラーは単純な知的好奇心で会話を続けていた。こうも自分とは真反対に人生を肯定的に、前向きにとらえられる人間がいるのかと衝撃を受けていた。
「この村で学校を起こすのよ。この村では文字を読めない子どもがほとんどなの。みんなちゃんとした教育を受けていないから何かについて考えることもできない。だからこの村で教育がしっかり行われるようになれば、この村の未来も変わるかもしれない。こんな貧しさからも抜け出せるかもしれない。そう思うの。だからね先生、私は死ぬわけにはいかないのよ。果たさないといけないことがあるからね。私治るのよね?先生が治してくれるのよね?」
「ああ、必ず治すさ」
ソーラの無邪気で真っ直ぐすぎる瞳を前に、ヒュラーは自説を折るしかなかった。自分は身勝手な主義のためにこの子の未来を否定しようとしていたのか、とその愚かさが身にしみてきた。
数日後、ヒュラーは国王に面会して計画の中止を訴えた。やはり自分の考えは非道であり、人間の未来を否定することなど誰にもできないと告げた。彼はソーラを会って話したことで、いとも簡単にこれまでの持論を放棄したのである。だが時すでに遅く、すでに国民全員が薬を飲んだ後であった。ヒュラーは絶望して故郷の国へと帰り、その後表舞台に姿を現さなくなった。
しばらくしてヒュラーが家で新聞に目を通していると、そこにドンマ王国に関しての記事を見つけた。そこにはこう記してあった。
「ドンマ王国で進められている薬による人口抑制策に関してだが、全国民が薬を飲んだものの出生率に何ら変化はなく、その効き目は全くないのではないかと推定される。やはり人間が生まれてくるのは自然の摂理であり、科学の力でそれをどうこうできるものではないといわざるを得ない。人間には生きたいという強い意志が備わっているのだ」
ヒュラーは胸を撫で下ろした。かつての自説の敗北が、今の彼には何よりも嬉しいことであった。新聞を見ていると、近くにもう1つドンマ王国に関する記事を見つけた。それはこのようなものであった。
「ドンマ王国内のある農村で学校を作る運動が始まっている。始めたのは1人の若い少女で、同じ農村内や都市部の彼女の知り合いたちが支援者となり、実現へ向けて動いているという」