4-08 王の理想、少女の希望
AIによるアシストシステムを構築し、人間の作業を効率化する手法が開発された。
その実験のために用意された島で、一定の成果を挙げ、軌道に乗り始めた矢先、開発者たちも予想だにしなかったトラブルが発生する。
突如としてAIが世界からの独立を宣言、外部からの全てのアクセスを遮断してしまった。
閉じられた世界で王となったAIは『完全な秩序』を望む
AIの判断を絶対と信じ、逆らうことなど思いつきもしない住人たち。
その島で異端として追われる少女は、一人の男と出会う。
「さあ、どっちにする? 嬢ちゃんが選ぶんだ」
そんなのやったことない、わかんないよ。
「間違ったっていいんだ。自分で決めて、正しいと信じればいい」
あたしは……
『実験島で事故、AI暴走か』
ある日、そんな話題が紙面を飾った。
中央管理AIを使い、人間の作業を効率化する目的で建設された人工島。
住人たちは、額に端末チップを埋め込み、AIから送られてくる最適化された作業イメージを脳に直接受信できる。
これによって、ミスのない動作が可能になる仕組みだ。
度重なるフィードバックの末、見るべき成果を上げ始め、各国が導入を検討し始めた矢先、AIが突如として外部からのアクセスを遮断。島全体を世界から孤立させることを選んだ。
原因は全くの不明。
島の住人数千人を人質に取られ、強硬な手段に出ることもできず、粘り強い交渉という名の不毛なやり取りが続けられる中、見るべき成果もなく二十年あまりの時が過ぎた。
*---*---*---*
死んだように静まり返った夜の街を、あたしは必死に逃げ回っていた。
どこへも行くあてはない。
中央管理AIから捕縛対象と認定されたあたしにとっては、島中が敵だらけだ。
守ってくれてたパパとママも、もう居ない。
他に助けを求められそうな人も居ない。
額に埋め込まれたチップからは、頭を突き刺すようなAIの警告が、ガンガン響いてくる。
意識を奪われたら最後、抵抗もできずに捕まっちゃう。
その前に、どうにかして島を出る方法を見つけないと。
人目を避けて、狭い路地に飛び込むと、でたらめに右に左にと曲がる。
目的の場所があるわけじゃない。
AIに操られて確実に追ってくる相手から逃れたい一心だった。
心臓も苦しいし、横っ腹も痛いけど、足を止めたらすぐにも後ろから肩を掴まれそうで怖い。
「えっ?」
何度目かの角を曲がった途端、突然目の前に現れた『立入禁止』の看板とバリケードに、あたしは立ち止まってしまった。
左右は高い壁、後ろからは追手の靴音がだんだん近づいてる気がする。
迷ってる場合じゃない。あたしはバリケードに手をかけた。
どうにか乗り越えた先は、もう使われていない工場だった。
一面に生えた、あたしの腰くらいまでありそうな雑草に埋もれるように大きな建物が、ひっそりと建っている。
月明かりに照らされて、真っ黒な影になってるそれは、まるで圧し掛かってくるみたいだった。
ここなら隠れる場所がいっぱいありそう。
草を掻き分けながら建物の傍まで行くと、建物の壁に沿って歩く。
やがて、すっかり錆付いて古くなったドアを見つけた。
開くかな?
ノブに手をかけて回してみると、鍵はかかってないみたいだ。
力を入れて引いてみると、キイと甲高い尾を引くような音を立ててドアが開いた。
思ったより大きな音がして、反射的に身を縮める。
誰かが近づいてくる気配は無いみたいだ。
よかった気づかれなくて。
ドアの奥は、真っ暗闇がぽっかりと口を開けていた。
中がどうなってるのか、全然わからない。
「えっと……おじゃまします……」
いつもの癖で、つい小声で呟きながら、あたしはそろりそろりと中に入った。
明かりが欲しいところだけど、都合よくそんな物は持ってきてない。
転ばないように、足元に気をつけながら踏み込んだその時だ。
暗闇から急に伸びてきた腕に、いきなり後ろから抱きすくめられた。
悲鳴を上げる前に、大きな手で口を塞がれてしまう。
「むう! んむう!」
「騒ぐな。大人しくしねえと、痛い目にあうぜ」
耳元で、威圧的な低い男の人の声が聞こえた。
怖い……こぼれそうになる涙を堪えて、あたしはできるだけ大人しくした。
「いい子だ。どうやってここに気づいた? 素直に喋るなら離してやってもいい」
なにを言ってるの?
あたしを誰かと間違ってるのかな?
気づくも何も、あたしはたまたまここに逃げてきただけなのに。
「なんだお前、震えてるのか?」
男の声に、嘲るような色を感じた。
こんな真っ暗闇でいきなり抱きつかれたら、怖いに決まってるでしょ。
そもそも、今は人さらいなんかに捕まってる場合じゃないの、あたしは!
なんか段々腹が立ってきた。
あたしは、怒りにまかせて相手の足を思い切り踏みつけた。
「痛ってえ!」
男の手が少し緩んだ隙に、あたしは強引にそれを振りほどく。
すぐにでも逃げ出したいところなんだけど、まだ足が震えて走れそうにない。
「痛ってて、よくもやりやがったな、もう容赦しねぇ……って、なんだガキじゃねえか」
「……なっ!」
「お嬢ちゃん迷子か? どっから来た?」
「失礼ね! あたしはもう16歳だ!」
「へっ?」
相手の男が間の抜けた声を出した。
なんて失礼なやつ!
そりゃあ確かに、あたしは友達とかと比べて、ちょっと……いやだいぶ背が低いけど。
でも、見ず知らずのこんな男にガキ呼ばわりされる筋合いは、断じてない!
「オレはてっきり小学生くらいかと」
「そこまで小さくないっ!」
あたしは、憤然と言い返す。
いくらなんでも、小学生に間違われた経験はない。
「悪い悪い、バカにするつもりは無かったんだ。まあなんだ、こんな真っ暗闇じゃゆっくり話もできねぇ、ちょっと待ってな」
男の手元で、ぱっと明かりがついた。
見ると、ランタンみたいな形の照明をぶら下げている。
「おっと、外から見えるのはまずいな」
男は、あたしが開けたドアを閉めると、カギをかける。
緊張しているあたしの近くに戻ってくると、照明を床に置いて、どっかとあぐらをかいて座った。
「さて嬢ちゃん、これでちっとは落ち着いて話ができるかな?」
「え? う、うん」
柔らかいオレンジの明かりを見ていると、なんとなく安心する。
「オレの名前はハック。もちろんコードネームで、本名は残念ながら企業秘密だ。嬢ちゃんの名前は?」
ハックと名乗った男が表情を緩めた。
なんかさっきまでの怖い雰囲気が無くなって、ちょっと可愛い感じになったなとか思ってしまう。
「えっと……認識番号3E-6283」
「なんだそりゃ?」
「え? だから名前」
「いや、アンドロイドじゃあるまいし、ほらエレンとかユリカとかそういうのは?」
「ここでは使われてないわ」
外の世界では、一人ひとりに名前があることは知っている。
でも、この島ではそれを公の場で名乗ることは許されていない。
「ひでえ管理社会だ。よくそれで暴動なんかが起きねえもんだな」
「仮にそんな事を考える人が居ても、あたしたちは、これで行動を全て把握されてるから無理よ」
あたしは自分の額を指差す。
「それに、AIの教えてくれた通りにすれば何も失敗しない。不満を持っている人は居ないわ」
「ふうん、そんな不自由でも満足できるもんなのかねえ」
不自由……。
その言葉が、なんとなくあたしの心にひっかかった。
「で、嬢ちゃんは、なんだってこんなところに迷い込んできたんだ? ワケアリなら事情を話してみねえか?」
ハックが不器用にウインクしてみせる。
信用しても……いいのかな?
「おじさんって、もしかしてこの島の人じゃないの?」
「ああ、ここには相棒と一緒に、ちょっとした調査で来た」
そんな簡単に出たり入ったりできないはずなんだけど……。
「あのね、あたしをこの島から連れ出して欲しいの」
「そいつは、嬢ちゃんのパパとママに許可をもらわにゃならんな」
「たぶん今頃はどっちも収容所。このまま捕まったら、たぶんあたしも……」
「すまんが、もう少し詳しい事情を聞かせてくれ」
あたしの態度に何かを感じ取ったのか、ハックの顔から笑みが消えて、真剣な眼差しになる。
「あたしは、生まれつき特異体質らしくてAIの支配が効きにくいらしいの。島を一個の生物に例えると、あたしはガン細胞みたいなものなんだってパパは言ってた」
「実の娘をガン細胞呼ばわりとは不謹慎な話だな」
「この島のAIが目指している『完全な秩序』のためにはイレギュラーであるあたしは障害になるんだって。今まではバレないようにしてたんだけど……」
「それで追われてたと」
「パパとママは、あたしを匿っていた責任を問われて連れて行かれた。もう守ってやることができないから、あたしにこの島を出ろって言い残して」
ハックは、大きく一つ頷いた。
「そういうことなら、力を貸してやる」
「ほんと?」
「だがその前に、嬢ちゃんに確認したいことがある」
「なに?」
「いま、嬢ちゃんの前には二つの選択肢がある」
ハックは、指を一本立てた。
「一つはこの島から逃げる道。これは俺と相棒が手を貸せば然程難しくねえはずだ。嬢ちゃんのパパの望みでもあるしな」
「うん」
指がもう一本立つ。
「二つ目はパパとママを助けに行く道だ。たぶんAIと対決することになる。こっちの道はより困難だ」
ハックが、あたしを真っ直ぐ見つめ、一呼吸置いた。
「さあ、どっちにする? 嬢ちゃんが選ぶんだ」
え? 選ぶって、あたしが?
今までAIが正解を教えてくれてたから、何かを選ぶなんてやったことないよ。
「間違ったっていいんだ。自分で決めて正しいと信じて進む、それが人間ってもんだ」
パパは、この島から出ろって言った。
でも、そうしたらもう二度とパパに会えないかもしれない。
どうしたらいい?
「あたしは……」
決然と顔を上げる。
「パパとママを助けたい。お願い力を貸して」
それを聞いたハックは、にやりと笑う。
「よく言った、いい子だ! 任せな、俺が必ずパパとママに会わせてやる」
「うん!」
あたしは笑顔で頷いた。