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4-05 追放された令嬢は、川流れ公爵と出会う

 婚約を破棄され、国と実家を追放された元貴族令嬢である『レナ』は、隣国アズールの孤児院で静かに暮らしていた。心の傷を抱えながらも、子どもたちの笑顔に支えられる日々――そんな穏やかな日常を揺るがすのは、ある日、川を流れてきた、謎めいた無表情の赤髪男性だった。

 彼は「アル」と名乗るが、その正体はギネス公爵領の若き領主アルベルテュス。

 ひょんな出会いから始まる二人の交流。そして東方から訪れる使者をめぐる国際的な催し物に接し、徐々にレナの『追放された過去』が浮かび上がっていく――。

 果たしてレナは、自分の居場所を守り抜けるのか? そして、赤髪の公爵の無表情の奥に秘められた真意とは?

 少しだけ、昔語りをお許しくださいませ。

 わたくしが十六歳だった頃のこと――とある国の王太子殿下に、婚約を破棄されました。


 その詳細は、言わぬのが華でしょう。

 しかし結果として、わたくしは実家の侯爵家から勘当されました。さらには国を追放されるという憂き目に遭い……隣国アズールへ逃れて三年になります。

 今では本名を捨て『レナ』と名乗っています。なに者でもない、ただの『レナ』です。そしてアズール国内でも、わたくしを捨てた国から一番遠いギネス公爵領に身を寄せています。

 もちろん、遠くへ行きたかったから。それで選んだ場所でした。それはわたくしの人生で、最良の選択だったかもしれません。なぜなら、未来の王太子妃として王妃教育を受けていたときとは、比べようもない心の安寧をもって生活できているからです。わたくしは、今――はっきりと幸せだと言いきれます。

 身を寄せているのは、公爵領内にいくつかある孤児院のうちのひとつです。このアズール国では成人が十八歳ですので、当時のわたくしはまだ子ども扱いだったのです。院長は、着の身着のままでやってきたわたくしに、何ひとつ問いませんでした。それはありがたく、そして心苦しいものでした。


「いつか、話してちょうだい。それでいいから」


 そう言って抱きしめてくださいました。わたくしは、言葉にならないほど感動しました。

 今は成人し、正式に孤児院職員として雇っていただいています。お給料はほんの少しです。運営だってたいへんなんですから。

 それでも、これまでどんなに働いても見返りなく生きて来たわたくしにとっては。……触った経験すらなかった硬貨は、とても重く貴重な物でした。うれしかった。

 自分が為した事に、報酬を得る。だれかのために働き「ありがとう」と言われる。

 それはとても得難いです。わたくしは、本当に幸せだと感じています。

 そして、今があります。


 お仕事に追われる毎日です。今日はお洗濯の当番の日。最近乳幼児の人数が増えたため、たいへんです。

 最初のうちは任せてもらえなかった仕事も、今はひとりでやらせてもらえます。大きな肩掛けの袋ふたつに、詰めるだけ詰めた汚れ物と洗濯板。それに大きな木製のたらい。くさい。しかたがないです。汚れ物ですから。

 以前はこれを一人で持ち上げることさえできませんでした。けれど、できることが増えるのは楽しいものですね。

 街中の井戸を使うと数時間場所を占領してしまいますから、わたくしたち孤児院の者は近隣の川へ洗濯に参ります。雨が降った後は危険ですが、穏やかな陽気の今日はきっと気持ちがいいでしょう。そう思いながら川辺を歩いておりました。はい。ええ。

 そして川上をふと見たわたくしは、肩から下ろそうとした荷物を取り落としました。


 ――人が。流れて来ました。こう、丸太をつなげた舟……? に乗って。その周りには、なにかがたくさん浮いています。

 膝を揃えて船底に着け、脚を折りたたんで座る……奇妙な姿勢でした。赤毛を綺麗に撫でつけ、整えた男性でした。白いシャツに黒いスラックスという、飾り気のない服装。陽光を受けて赤髪がさりげなく輝き、その視線は真っ直ぐ前を向いたまま、微動だにしません。わたくしもまったく、その姿から視線を外せませんでした。


 ……そして、ゆっくりとわたくしの目の前を通り過ぎて行かれました。その背を見送っておりましたが、まだ視界にあるうち、なにかに引っかかって止まりました。わたくしはその動向を見守っておりましたが、少し後にその人影が、こてっと横になりました。舟っぽい物の上で。そのまま動きません。

 わたくしは少しだけ心配になり、さらに言うと大きな好奇心から、その方に声をかけてみようと思ったのです。


 急ぎ足で近づき、発声練習しつつかける言葉を考えました。そのまま話してしまうと、どうしても庶民の方には受け入れ難い言葉遣いになってしまうのです。なので同僚や院長ならどんな風に話すかを考えてから、言葉を口にするよう心がけております。これでも今はそれなりに、上手に振る舞えますのよ。


「――ちょっと、あんた! だいじょうぶなの⁉」


 同僚のアンがよく使う言葉を借りてみました。胸が高鳴ります。うまく言えたでしょうか。

 横になったままの赤髪男性は、少し沈黙した後に「大丈夫だ、問題ない」と無表情でおっしゃいました。わたくしの目には問題しか見えませんでした。


 おろおろしながら「だいじょうぶに見えない!」とそのまま申し上げたところ「これは『セイザ』によって、足が痺れている状態だ。じきに回復する」と、やはり無表情でおっしゃいました。セイザとはなんでしょう?

 申告通り、しばらく後に起き上がりました。よかったです。そしてざぶざぶと、舟? を引きながら川岸へと来たのです。


「心配をかけた、川辺の乙女よ」

「あんた、いったいなにしてたのさ?」


 この言葉も、アンがよく使う言葉です。わたくし、ちょっと庶民的ではない行動を取ってしまう瞬間があるらしくて。これまで何度も、そのときの言動の意味を問われました。アンの気持ちが本当に今、心底理解できました。


「――『ドンブラコ、ドンブラコ』の意味を考えていた」

「なんて?」


 アンの口癖です。わたくしの言っている意味がわからないときに使う言葉です。ありがとう、アン。あなたにとってわたくしは、こんなにも理解できない人だったのね。

 赤髪の御仁はおっしゃいます。


「東方の使者を迎えるにあたり、そちらの文化を学んでいた。桃とともに川を流れる際に、その音が出るそうなのだ。よって、それを検証していた」

「意味わかんねえ」


 アンから学んだ言葉を、ここまでたくさん使えたのは初めてです! わたくしはうれしくなってしまいました。

 ふと、川に浮かぶ舟? を見ました。太い丸太を六本ほど、縄でくくって浮かべてあります。そしてその周囲にたくさん浮かんでいるのは――


「――桃⁉」

「そうだ。いかだに桃をくくりつけて川を下ってみた。これでは『ドンブラコ』の音が出なかった」

「あんた、なんてことしてんだよーーー!!!」


 ――アン、ありがとう。これまでわたくしをたくさん忍んでくれて。

 わたくしはこんこんと説教をしました。食べ物を遊びに使ってはいけないと。赤髪の御仁は「遊びではない」と主張しました。ですが、食べ物を食べる以外に使うのは、遊びじゃなくてなんですか、と問うと「そうかもしれない」と最終的には認めました。それでいいのです。

 その奇妙な男性を、わたくしはひたと見つめました。粗野な庶民に見えるその振る舞い。しかしその堂々たる姿勢には、なにか計り知れない品格が宿っていると思えました。

 赤髪の御仁は、なぜかわたくしが洗濯を終えるまでともにいらっしゃいました。そして『イカダ』から取り外した桃を両手に抱え「もらってくれないか」とおっしゃいました。その丁重で真摯な態度に、少し戸惑いを覚えました。


「どうしてですか?」

「まだ、食べられる。わたしが家へ持って帰ると、なにをしていたのかと怒られる」

「まあ、ありがと――」


 言いかけて、止まりました。もう一度考えて、わたくしは首を振りました。


「お気持ち、うれしく存じます。けれど、いただけません」


 わたくしの顔を見て、赤毛の御仁は不思議そうな声色で「……なぜだ?」と述べました。きっと、わたくしもこの地へ逃れて、今こうして暮らしていなければ、こんな理由は思いつきもしなかったでしょう。


「わたく……あたしが勤めているのは、孤児院です。こんな高価な果物は、めったに食べられません」

「なら、いいじゃないか」

「また子どもたちが『桃を食べたい』と言ったとき、どうしてあげればいいのでしょう。買うことはできないのに……」


 赤髪の御仁は、無表情のまま硬直しました。


「――わかった。無責任な施しはしない」

「理解してくださってありがとう」

「川辺の乙女よ。名を尋ねてもいいか」


 そう言われて、わたくしは息を深く吸い、吐いてから言いました。


「女性に名を尋ねるなら、まずはあなたからでは?」

「失礼した。アルだ」

「――レナです」


 その答えを聞き、わたくしの中でひとつの確信が生まれました。

 この方――川を流れてきた赤髪の御仁こそ、このギネス公爵領を治める領主様、アルベルテュス・ファン・ドップラー閣下なのだ、と。

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表紙絵
― 新着の感想 ―
タイトルにもあらすじにもそんな匂わせはなかったですが、とんでもなくコメディでしたね。レナの真面目な語りとのギャップよ。 ドンブラコを検証する生真面目なアルと、庶民の喋りかたをマネする生真面目なレナ。こ…
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