4-04 魔女と妖狐の善行道中
僕は妖狐の子供!
名前はコン!
僕の村は森の中にあるんだけど、僕たち子供を守るためにご先祖様が「妖狐と小動物以外は入ってこれない結界」を作ってくれたんだ。
だけど僕は困っちゃったんだ。
美味しそうな匂いがする虹色のウサギを追いかけてたら、結界の外に出ちゃったの!
しかも目の前には、魔女とかいう生き物がいて……!
巣に帰りたいのに帰れないし、ああもう困っちゃった!
僕は子キツネのコン。
家族で1番ふっさふさなもふもふだ。
だけどこう見えて、僕は普通の狐じゃない。
僕たちは、妖狐なんだ。
「見てよママ! 上手に変身できるようになったんだ!」
満月の夜。
寝床が近い森の奥で、僕は頭の上に葉っぱを乗せて人間の姿に変身する。
ぽふん! と音が鳴って、僕はママにその姿を得意げに見せてあげた。
「コン。人間は四足歩行しないし、外では服を着ているのよ。それに、まだ狐の耳と尻尾が残っているわ」
「ぶぅ。いいじゃん。人間だって外を裸で歩けばいいんだ」
「私もそう思うけど、服を着るのがルールなのよ。コンが巣立つまでは残り3カ月。それまでに、変身術だけはしっかりできるようになりましょうね」
僕たち妖狐には、生後2年が経つと結界で守られた縄張りを出て、人間の世界で生活をする風習がある。
森がなくなり、草原がなくなり、そして住処がなくなった時のために備えて、人間社会に溶け込めるように訓練するのが目的らしい。
「さあ行くわよ。お迎えに行かなくちゃ。結界の外にでないよう、しっかりついてくるのよ」
「うん! 今日はお兄ちゃんが帰ってくる日だもんね!」
僕には2つ上のお兄ちゃんがいる。
今日は、そのお兄ちゃんが人間社会から帰ってくる日なんだ!
ぼふん! と音を鳴らして変身を解除し、僕はママと一緒に南の広場に向かった。
青々とした草花が生い茂る南の広場に着くと、そこには40を超える狐がいた。
僕たち狐は群れを作らないけど、満月の夜だけは別。
南の広場では、各々家族を迎える準備をしていた。
お兄ちゃんが帰ってくるはずの東を見れば、ママは群れの最前列で緑色の風呂敷を広げ、そのうえに沢山の料理を並べている。
ねずみのシチューに、小鳥の内臓、ミミズ蕎麦にムカデスナック!
どれも僕とお兄ちゃんの大好物だ。
「あ! 見てママ! お兄ちゃんだよ!」
良い匂いに鼻をひくつかせ、口からよだれを垂らして待っていると、東の丘からお兄ちゃんが人間の姿で歩いてくるのが見えた。
「おかえりなさい、ゲン」
「ただいま母さん。おっ、コンもお出迎えありがとうな。良い子にしてたか?」
「うん!」
お兄ちゃんは人間の姿のまま、僕の頭をぐしゃぐしゃと優しく撫でてくれた。
僕はにっこにこで、されるがままに毛並みをめちゃめちゃにされる。
「積もる話は食べながらにしよう。せっかく母さんが作ってくれたんだからな」
「やったあ! 僕、もうお腹ぺこぺこなんだよ」
お兄ちゃんが僕の隣に座って、大好物だった鳥の内臓をパクリと食べる。
だけど、お兄ちゃんの顔は少し、変な顔だった。
「醤油がほしいなあ」
「ゲン、あなたったら人間の濃い味付けに、すっかり毒されてしまったのね」
「醤油? 醤油って何?」
「真っ黒い液体さ。人間の食べ物は、もう本当にしょっぱいんだ。だけどそれが病みつきになってね。醤油ラーメンは食べるべきだが、油揚げは、思ったより美味しくなかったなあ」
「油揚げも食べたの!?」
「コンも巣立ったら食べてみるといいよ」
美味しいご飯をもりもり食べていると、ママが真面目な顔でお兄ちゃんの方を向いた。
「それで、これからはどうするの?」
「うん。俺は山に戻るよ。人間の生活は、俺には合わなかった。戸籍も経歴も詐称するしかないから、危険な仕事か、無給残業もパワハラも当たり前な低所得の職にしか就けなかったからね」
「やっぱり今のご時世、そう簡単には人も騙せないのね」
「ああ。これからは架空の人物に変身するんじゃなくて、行方不明者に化けるのが良いかもしれないな。っと、そうだコン。1つ、いいことを教えておいてやる」
「なぁに?」
「1度なにかを断ったら、次の誘いは受け入れること。ずうっと断ってばっかりいると、その後が生きづらくなる。処世術ってやつさ。覚えておきな」
そんな風に話しながら、僕たちは久しぶりに家族3人でご飯を食べて、朝方になるまでまたお喋りをしてから、眠りについた。
だけどお日様がお空の1番高いところで、僕はガサガサとうるさい音で、目を覚まさせられた。
いやな気持ちになりながら、眠い目を細く開けてみる。
前足をぴーんとさせて伸びをし、尻尾の先までぶるぶると震わせてから前を見ると、なんと虹色のウサギが僕の目の前を歩いていた。
すっごく、美味しそうな匂いがするウサギだった。
虹色ウサギは僕を見ると一瞬固まって、すぐに東の方に走り出した。
「待て!」
僕は釣られるようにしてウサギを追いかけた。
普通のウサギならすぐに捕まえられるのに、この虹色ウサギはとても速かった。
ずっとずっと走り続けて、なのに距離は縮まらなくて、僕はとうとう、縄張りの結界が張られた外に飛び出してしまった。
それに気づいたのは、虹色ウサギがぱっと消えたしまったあと。
その代わり、真っ黒いドレスを着たメスの人間が立っていることに気づいたときだった。
「こ、こーん」
縄張りの結界の中に、妖狐と小動物以外は入れない。
ご先祖様が、そういう妖術をかけたのだ。
なのに人間が目の前にいるってことは、僕は結界の外に出てしまったということ。
僕は慌てて、妖術の使えない普通の狐の真似をした。
「釣れたのは1匹だけか。だけど残念。普通の狐の鳴き声は、『でーん』だよ」
「で、でーん!」
そうなのか、知らなかった!
僕が「でーん! でーん!」と鳴いていると、メス人間は背中まで真っすぐ伸びた銀色の髪を風に乗せて、くすりと笑った。
「あなた、素直ね。狐はそんな風に鳴かないわ」
「だ、騙したな! これだから人間は!」
「あら心外。人間じゃなくて、魔女よ」
「魔女?」
「そう。他の命を脅かし、他を呪い、闇に生きる乙女のことよ」
「わるいやつじゃん! 僕、困っちゃうよ!」
1度結界の外に出てしまったら、一人前になるまでは戻れない。
なのに悪い魔女に話しかけられちゃってる!
「っていうのは、ひと昔前の魔女ね。今ではどの魔女も善人ばっかり。なのに私ったら、そっちの方の適正が強かったみたいで……。見える? この砂時計」
そう言って、魔女さんは8の形をした透明な入れ物を見せてくれた。
中には、何にも入っていない。
「善行を積めば中に砂が溜まっていくんだけど、これが満タンになるまで里には帰るなって、追い出されたの。でもこれ不良品なの。いくら良いことをしても、砂なんて生み出されないのよ」
「ふぅん?」
「悪人を懲らしめても、村を飢餓から救っても何にも変化なし。今は、何か条件があるのかなって探ってるところよ。ってことで、何か困ってることない?」
「あるよ。僕、いますごく困ってる。結界の外に出ちゃったから、一人前の妖狐になるまで、みんなのところに戻れないの」
「うんうん、そうだよね。計画通りだわ。それなら私が結界を破壊して、家に帰れるようにしたげる!」
「だめだよ、そんなことしちゃあ! そんなのお断り!」
それにきっと、お兄ちゃんとママが目を覚ましたら、僕を探してくれるはずだ。
僕が村の中にいないと分かったら、結界の外も探してくれるかもしれない。
ここにいれば、きっとすぐに見つけてくれるはずだ。
「あらそう? んー、……あは。良いこと思いついた! それなら貴方、私と一緒に旅をしない? 困ってる者を助ける旅よ。見返りに、魔女の秘術を教えてあげる。どう?」
いやだよ。
僕はここでママとお兄ちゃんを待つんだ!
そう言おうとしたけど、昨日のお兄ちゃんの言葉を僕は思い出していた。
『1回断ったら、次の誘いは受け入れること。そうしないと生きづらくなる』
生きづらいって、どういうことか分かんないけど。
きっと、生きるのが辛くなるってことだ。
そんなのは、もっといやだ。
僕は毎日楽しく、蝶々を追っかけたりして暮らしたいんだ!
「わ、わがっだ!」
「なんでそんな顔をしてるのか知らないけど、悪いようにはしないわ。私は銀の魔女モエラ」
「僕は、妖狐のコンだよ」
「それならコン。貴方は魔女の秘術が使える唯一の妖狐になるでしょうね。秘術と妖術、その2つを使って善行を重ねるのよ! ああもうわくわくしてきた! さっそく人間の町に洪水を起こしましょ! それを私達が救うの!」
「洪水ってなあに?」
「水遊びみたいなものよ」
「いいね! ぼく、お水大好き! 人間さんたちも、きっと喜ぶね!」
「ふふ。そうね。コンには善行がなんたるかを教えてあげるわ」
「ふんだ、良いことと悪いことなら、僕にだって分かるよ!」
「あらそう? それなら、コンにも案を出してもらおうかしら。悪いことならすぐに思いつくのだけど、良いことってよく分からないのよね。……うん。お互い、家族のもとに帰れるよう助け合いましょ!」
「よーし! 僕、はりきっちゃうぞ!」
そうして僕は、鼻歌まじりに魔女さんの横を歩いて森を出た。
初めて見る風景、初めて嗅ぐニオイ。
そんな風景にわくわくしながら、僕の頭のなかは、油揚げと醤油ラーメンでいっぱいだった。
「最初は怖くて心配だったけど、なんだか楽しくなってきた!」
「ふふ。そうね、私もよ。善行を積んで、立派な魔女と妖狐になりましょう。さぁ、楽しい楽しい旅のはじまりよ!」