4-25 冷徹無慈悲な暴君陛下へ、アナタに愛を教えて差し上げますわ!
親兄弟すら殺したとされる、ヴァルダル帝国の冷徹無慈悲な暴君皇帝アレクシアス。
そんな皇帝との結婚を命じられた、元敵国オーシス王国の王女カレンシア。
当初は結婚相手というよりも人質に近い扱いだった彼女だが、気が強く慈愛に溢れたカレンシアの行動は、やがて皇帝や帝国に多大な影響を与えることになる。
「言ったではありませんか、私は命を懸けられると」
これは歴史に名を残すことになる皇帝と、偉大な皇后の物語。
その日のパーティーには、一つの大きな注目の的があった。それはこの帝国の皇帝と、じきに結婚する予定の王女の存在だった。
「一体、どんな姿で現れるのかしら」
「あの皇帝陛下の妻なんて大変よね。見目だけは麗しいのだけれど……私なら恐ろしいわ」
「そんなことを言ったら不敬にあたるわよ。親族を殺して皇位を得たとしても、我々の皇帝陛下に違いはないのだから」
「そうそう、しかも大陸制覇を叶えた歴史上最も偉大な皇帝でもあるのよ。どれほど、その手が血に塗れていたとしてもね」
親兄弟までをも殺し、皇位についたヴァルダル帝国の若き皇帝アレクシアス。彼は皇位継承後、血を血で洗う戦争の果てに、周辺諸国全てを服従させ大陸全土を掌握するまでに至った。
そんな皇帝アレクシアスは、帝国に次ぐほどの国力を持ち、最後の最後まで帝国の軍門に下ることなく抵抗を続けたオーシス王国の国王の一人娘、王女カレンシアを妻として差し出すように王国に命じた。
表面上は和平のためという名目だが、それが王国への牽制が目的の人質だというのは、誰の目から見ても明らかだった。
王女は停戦からロクに時間も置かず帝国に連れてこられ、婚姻という名目がありながら、結婚式はおろか顔合わせすらせずに放置され、ただただ王女が捨て置かれるような状況が数か月もの間続いた。誰の目から見ても明らかな冷遇である。
そのような境遇の王女を帝国貴族たちは、ひそかに彼女を笑い種にしていた。
そんな中、ようやく王女のお披露目パーティーが行われることとなった。
当然、多くの帝国貴族が、哀れで悲壮感に満ちた敗戦国の王女の姿を見ることを期待していたが——
「お初にお目にかかります皇帝陛下。私の到着から今日まで一度もお会いできませんでしたので、いま初めてご挨拶させて頂きます。オーシス王国が王の娘カレンシアでございます」
そこには皆が期待したような、哀れな王女の姿など存在しなかった。
秀麗な面持ちに、腰ほどまでの鮮やかなブロンドの髪、宝石のような青い眼、陶磁器のような白い肌。その全てが輝いて見えるほどに美しく、その所作の一つ一つが優美で目が離せなくなる。
その威厳すら感じさせる凛とした姿に、帝国貴族たちは困惑した。
これが今まで放置され、冷遇されていたはずの王女の姿なのかと。
それに相対する玉座の皇帝アレクシアスは、圧倒的存在感を持ちつつも、王女に劣らぬほどの精巧で怜悧な美貌の持ち主でもあったが、その瞳には何の感情も映してはいなかった。
短いプラチナブロンドの髪に、眼は鮮血のように赤く、彼の名が血に塗れるほど、その残虐さの象徴として畏怖されることとなった。
危うい美貌を湛えた皇帝は、ただ淡々と言葉を述べる。
「今まで慣れない帝国の生活、苦労も多くあったであろう。あまり気に掛けてやれず、すまなかった」
「ええ、本当にその通りです」
形式的ものとはいえ、皇帝の労いに対し当てつけるような返答をする彼女を目の当たりにして、会場の人々は息を飲んだ。
確かに彼らも皇帝を揶揄することはあったが、それはあくまで陰での話。これほど堂々と表でそんなことをすることなど、とても出来なかった。
「本当に苦労しましたのよ。皇帝陛下におかれましては、わたくしのことをお忘れなのかと思いましたわ……本当に何もして下さらなかったのだから。かろうじて部屋が用意されていたくらい?ああ、一応食事も毎日出たかしら、とてもささやかなものでしたが」
会場の貴族たちは、ドンドンその場の気温が下がっていくような錯覚を覚えた。
冷徹無慈悲と言われる皇帝に、そこまで踏み込んだ発言をする者は、もはや帝国には存在しなかった。否、仮に存在すればすぐさま抹殺されていたからだ。
「そうか、それはすまなかったな。ではすぐに食事やその他待遇については改めてさせよう」
——助かった。
皇帝の相変わらず何の感情もない返答に、会場の誰もが安堵しかけたその時。
「いえ、そんなことは別にどうでもいいのです。実はわたくし、皇帝陛下にお会いしたらどうしても言いたいことことがあったので」
そのようなことを言って、再びその場を緊張させたのは他でもない、今まさに命拾いしたと思われたカレンシア王女だった。
「なに?」
「先の戦いでの帝国軍の自国の兵士への扱い、あれはあんまりではありませんか」
「……なんだと?」
そうして、こともあろうにカレンシアが持ち出したのは、先の戦争の話だった。
そこで今日初めて、皇帝アレクシアスの感情が動くのが見て取れた。その感情は明らかな苛立ちで、それにともない会場全体の空気が今までになく張りつめた。
「一般兵への自爆攻撃の強要。確かに戦をしている以上、兵が命を懸けるべき場面があるのは認めます。しかし、膠着状態とはいえ、まだ帝国が有利といえるあの状況で、わざわざ兵士を自爆攻撃させる必要はなかったはずです。あれを聞いたときは、敵ながらどれほど心が痛んだか……」
「母国が戦に負けたからと文句を言うつもりか?」
「まさか」
皇帝の問いを、カレンシアは笑みさえ浮かべて一蹴した。
「わたくしが言いたいのは、彼らにも帰る家や故郷、愛する家族が居たはずだということです。ならばそこへ返せるように努力するのが、上に立つものの義務ではありませんか?」
「まっとうに戦っていたらロクに戦果も上げられず、食料も物資も浪費するばかりだから、ああしたまでだ。勝てなかった彼奴等が悪い」
「いいえ、戦いで勝てないのは指揮官の責でしょう」
「ほぅ……王女は余が悪いと申すか?」
「ええ、悪いです」
極めつけには、いよいよハッキリと皇帝が悪いと責めた。
——人質といえど終わった……。
その場の誰もがカレンシア王女の死を確信した。何故なら皇帝アレクシアスはそういう人間だからだ。
「そうか、そう思うならば覚えておけ、余の考えは絶対的に正しい……故に余が悪いということなどは有り得ないと」
静かだが明らかな殺気の籠もった言葉に、会場内の人々は強い恐怖を感じて、一様に身を固くした。
即位してから僅か五年で戦いの果て大陸全土を屈服させた男、その覇気に動じない者などいなかった。
ただ一人、それに相対している王女カレンシアを除いては。
「一つお聞きしたいのですが、陛下は民の命をどうお思いで?」
今までと変わらぬ様子でそんな問いかけをしてくるカレンシアに対し、皇帝は無表情に玉座から立ち上がると、つかつかと目の前まで歩み寄って行き目の間で止まった。
「そんなの決まっておろう、全て余の所有物だ。そしてそれ故にどんな扱いをしても構わない存在である」
「だから相手の立場を一切顧みず、死を命じることも構わないと?」
「愚問だな」
皇帝は問いに頷くと同時に、腰に凪いでいた短剣を抜いて、カレンシアの首元に突きつけた。会場には僅かな悲鳴が漏れたが、それを一切意に介することなく、そのままカレンシアの耳元でこう囁いた。
「身の振り方はよく考えるがよい、少しでも長生きをしたいのであればな……」
ぐっと苦しげに俯くカレンシアの様子に満足したのか、皇帝は短剣をしまい、微かに笑みを浮かべた。
「……陛下のお考えはよく分かりました」
「ならば、今後は多少は上手くやって行けそうだな」
「ええ……」
そう言って顔を上げたカレンシアは、とても従順とは言えない鋭い目で皇帝のことを見据え——
パァーン!!!
次の瞬間、会場中に響き渡るような大きな音を立てて、皇帝の頬を叩いていた。
誰もが予想もしていなかった展開に、皆が面食らう中、その状況を作り出した当本人は一切動じることなく口を開く。
「陛下は大変なクソ野郎でございますね。口で申し上げても到底ご理解頂けなさそうなので、行動で示させて頂きましたわ」
鋭く皇帝を見据えるその目には、一切の迷いも躊躇もなく、ただ彼女の意志の強さだけが見て取れた。
「私がこの国に皇后として嫁ぐ以上、私はこの国の全てを愛し庇護するつもりです。そこには当然、この国に生きる国民のことも含まれています。故に民を蔑ろにする行為は、決して見過ごせませんわ」
凛としたよく通る声でカレンシアが話し続ける。そこはもはや完全に彼女の独壇場であった。だからそこにいる誰もが、その話に聞き入っていた。
「例え、その相手が皇帝陛下本人であろうともです」
そんなとんでもない発言までをも含めてハッキリと。
「むしろ陛下の行為や発言が間違っていると判断すれば、陛下の伴侶として、もっとも近い臣下として、迷うことなく今のように行動させて頂きます」
そして最後の最後のこれは、特に皇帝アレクシアスへと向けた言葉で……その証拠にカレンシアは彼ににっこりと微笑みかけたのだ。
「仮に私自身の命を賭けることになったとしても、それだけは譲る気はありませんので、ご了承下さいまし」
——冷遇された哀れな王女だなんてとんでもない、アレは末恐ろしい女だ。
多くの人々がそれを実感すると同時に、カレンシアの演説が終わったことで、会場全体が夢から覚めたかのように、たちまち大きなどよめきに包まれていった。





