4-21 チクチクぬいばり
チクチク チクチク
いとをとおして ぬっていくの
昴は大学受験を終え、部屋を整理していると見覚えのない手作りの絵本がでてきた。
『チクチクぬいばり』
作 あなたのおよめさん
はりをつまんで チクチク はりをさすの
チクチク チクチク
いとをとおして ぬっていくの
チクチク チクチク
ぬのがたりなくなっちゃった
ぬのをさがしにいかなくちゃ
はいいろのもりを てくてく
しくしく しくしく
ないてるこえがきこえる
だれだろう
すみっこに ちいさいおにんぎょうさん
おかあさんと はぐれちゃったみたい
さびしくて ないてるのかな
わたしがきたからだいじょうぶ
いっしょにあそびにい う
あっ へいたいのおに ぎょうさんがいたよ
じぶんのぬのを わけてくれるみたい
ジョキジョキ ほしいぶんだけとっていこ
ジョキジョキ ジョキジョキ
ありがとう おにんぎょう ん
ジョキジョキ
こうかく あがったね
チクチク チクチク
また ぬいつけようね
チクチク チクチク
あたらしいからだ
チクチク チクチク
はりがささって いたいけど
きれいなお んぎょうができるまでがまん
チ チク チクチク
あたらしいわたしがうまれたよ
ありがとう おめでとう
あたらし わたしがうまれ よ
まっ てね いぶ さ
✳
小学生が描いたようなあどけなさの残るかわいらしい絵柄。ガタガタの線と左右非対称に描かれたキャラクターが、絵をあまり得意としていないことを訴えかけていた。授業かなにかで作られたであろうその絵本はかわいらしさを内包しつつもぼろぼろになり、哀愁を漂わせている。(しかしそんなかわいらしさ、哀愁さえも打ち消すほど得体の知れない暗い気配を感じさせた。なにがそう感じさせるのかはわからない。だがそんな明瞭としない感覚でさえも余計に気味悪さを増幅させていた。負のオーラとでも言うのだろうか。見ているだけで気色の悪い感覚まで感じ始めた。顔も知らぬ人の口内で咀嚼され、ネチャネチャとした粘性と水気を伴うガムが身体についたような感覚。いまだ感覚は残っているのに手が届かず、気持ち悪いまま。)
大学受験が終わり、四月から一人暮らしをするにあたって僕の部屋を整理していた。まずは受験や高校で使っていたノートや参考書を本棚から下ろし、残しておきたいものを選別していく。正直全部捨てても良かったのだが、パラパラと見ているとどうにも勿体なく感じてしまった。カバーはとれ、角は丸くなり、小口は黄ばんでいる。中を開くと赤、黄、オレンジのマーカーが無機質な黒い文字を色鮮やかにライトアップしていた。フリマアプリなどに出せば到底値段のつきそうにないボロボロのそのノートたちはボロボロであればあるほど、書き込みがあればあるほど僕を讃えているようである。努力は必ず実ると勇気づけてくれる......。
高校の頃のものはまだ記憶が新しく、中々捨てる決心がつかないので別のところを整理することにした。扉は開けっぱなしにされ、ハンガーパイプは本来の役目を果たすことなく埃が積もり、ほとんど物置と貸しているクローゼットに取りかかった。一つ物を動かす度に埃が立ち込めていく。僅かながら濁った視界の中で物をどかしていくと、教科書や、ノートだけでなく、おはじきやソプラノリコーダー、名札などが出てきた。どうやら小学校時代の荷物のようだ。計算ドリルや漢字ドリルならまだしも、幼い頃にかいた絵や日記を見るのはなんとも気恥ずかしい。だが下手くそであっても「しょうらいのゆめ」と書かれた自分の絵や、ほとんど箇条書きで文脈の欠片もない思い出を綴った作文は、今はわずかしか思い出せないあの日の記憶を形にしているようで。外付けストレージのように体の外に保存している感覚であろうか。ともあれ、他人からすればただの紙屑同然で、新聞と一緒に縛ってゴミ捨て場に放られてしまいそうなこれらの埃被りたちは僕にとってなんとも捨てがたい思い出の品となってしまった。
そうこうしているうちにほとんどの物が捨てられず、ただ思い出に浸りながら部屋を散らかすばかりになっていた。このままでは埒が明かない。一度休憩して気分を変えようと思い、換気のために窓を開けてから部屋をあとにした。
部屋に戻ると換気をしたおかげか、先程より幾分空気がすんでいる気がした。気を取り直し、余計に散らかしてしまった荷物たちを整理しようとすると荷物の山の上に見覚えのない絵本が乗っていた。
気味が悪い。
先程までゴミ同然の物たちには埃とともに断片的な思い出の欠片を浴びて一人気持ち悪い笑みを浮かべていたというのに、なぜかこの絵本だけはどうしようもなく、うすら寒い感覚に陥った。一度休憩して気分が変わったのかもしれないと思い、絵本の下にある、先程まで眺めていた思い出の品たちを再度眺めてみるが先程と同じくなんともあたたかい気分であった。そもそも先程部屋を整理したときにこんなものがあっただろうか?時計が回り、夕日が窓から差し込む中、絵本を捲ろうと手を伸ばす。夕日が手で遮られ、絵本に影が落ちた。影が落ちたとほとんど同時にネチョっとした感覚を感じた。
「ヒッ」
思わず手を引っ込め、触れようとしていた手を見るが何かがついた様子はない。何かの錯覚かと思い、もう一度絵本を手に取ると今度はゾリゾリと背中の皮が内側から擦られているような耐え難い感覚に襲われた。しかし、それも一瞬で過ぎ去り、手の中に一ページ捲られた絵本が残っていた。
『チクチクぬいばり』
作 あなたのおよめさん
はりをつまんで チクチク はりをさすの
チクチク チクチク
いとをとおして ぬっていくの
チクチク チクチク
ぬのがたりなくなっちゃった
ぬのをさがしにいかなくちゃ
はいいろのもりを てくてく
しくしく しくしく
ないてるこえがきこえる
だれだろう
すみっこに ちいさいおにんぎょうさん
おかあさんと はぐれちゃったみたい
さびしくて ないてるのかな
わたしがきたからだいじょうぶ
いっしょにあそびにい う
あっ へいたいのおに ぎょうさんがいたよ
じぶんのぬのを わけてくれるみたい
ジョキジョキ ほしいぶんだけとっていこ
ジョキジョキ ジョキジョキ
ありがとう おにんぎょう ん
ジョキジョキ
こうかく あがったね
チクチク チクチク
また ぬいつけようね
チクチク チクチク
あたらしいからだ
チクチク チクチク
はりがささって いたいけど
きれいなお んぎょうができるまでがまん
チ チク チクチク
あたらしいわたしがうまれたよ
ありがとう おめでとう
あたらし わたしがうまれ よ
まっ てね いぶ さ
✳
小学生が描いたようなあどけなさの残るかわいらしい絵柄。ガタガタの線と左右非対称に描かれたキャラクターが、絵をあまり得意としていないことを訴えかけていた。授業かなにかで作られたであろうその絵本はかわいらしさを内包しつつもぼろぼろになり、哀愁を漂わせている。
しかしそんなかわいらしさ、哀愁さえも打ち消すほど得体の知れない暗い気配を感じさせた。なにがそう感じさせるのかはわからない。だがそんな明瞭としない感覚でさえも余計に気味悪さを増幅させていた。負のオーラとでも言うのだろうか。見ているだけで気色の悪い感覚まで感じ始めた。顔も知らぬ人の口内で咀嚼され、ネチャネチャとした粘性と水気を伴うガムが身体についたような感覚。いまだ感覚は残っているのに手が届かず、気持ち悪いまま。夕日は落ち、視界には影ですらなくなった巨大な影ばかりがうつっていた。





