4-19 呪、承ります
それは都市伝説
いわくつきのアレコレの処分を請け負ってくれる店があるという
その店に巡り合えるのは幸運なのか、不運なのか
そして今日も一人の客がその店の扉を開ける ――
―― 通りゃんせ通りゃんせ……。
それは都市伝説。
とある古ぼけた駅ビルの前を、通りゃんせを歌いながら3往復すると、最後の「通りゃんせ」まで歌いきった瞬間、それまでなかった横道が現れるという。
大学の友人がスマホ片手にきゃっきゃと話していたオカルト話を真実信じていたわけではなかったが、藁にもすがる思いで実行した白木香織は、今現実に目の前に出現したほの暗い路地を見つめた。そして、手に提げた紙袋の持ち手をグッと握り締めると、大きく深呼吸して1歩を踏み出した。
人がすれ違える程の細い路地を進むと、突き当たりに古い商店が現れた。
店の正面部分が全て硝子戸になっていて、何かの時には大きく間口を開けるようになっているらしい。とはいえ、意を決して近づいてみれば、中央の一間分以外は桟に埃が溜まり、長らく開閉していないようだ。
思わず周囲を見回した香織の目に、間口上の大きな看板板が飛び込んできたが、これまた風雨に曝され屋号なんてまるで見えない。
「ホントにここで合っているのかしら」
と、香織は、この怪しすぎる店に不審感を抱いたが、右手の紙袋の存在を思い出し、ままよと引き戸を開けた。
眼前に広がる店内は、昼だというのにうっそりと暗く、天井から吊り下げられている蛍光灯の灯りすら陰鬱な感じがした。
店内自体は硝子戸の通り、左右にも十分に広いのだろうが、木箱や何かの包みが香織の肩ほどにも積み上げられていて、何だかとても狭苦しく感じた。
それでも通行の事は考えられているのか、入ってきた硝子戸の一間分はまっすぐ歩けるよう、空けられていた。
そして、その奥、正面に昔ながらの帳面台に座る仮面の者がいた。
今時珍しい暗色の着流し、中にシャツを着ているところなんかは、まるでドラマで見る明治の書生か探偵のようだ。
「いらっしゃい」
顔の上半分を覆う何かの動物を模した仮面と、店内のうっそりとした空気に気圧されて戸口に立ち竦む香織へとかけられた声は、どこか耳心地の良いゆるりとしたものだった。
「ま、何ぞ用があって来たんだろうに。噛み付きゃしないからこっちにおいで」
どこか気だるげな仕草で左手を上下させた男は、右手に持った長煙管の吸い口を食んだ。
「ウチには珍しいお客さんだ。どこから迷い込んだね?」
「あの、友達から聞いて、その、通りゃんせを歌ったら来れるって」
「ああ。今も昔も口コミは侮れないねぇ。ま、もちょっと近くにおいで。『ソレ』だろ?」
と、男に長煙管の先で自分の手元の紙袋を指され、香織はどきりと手を握り締めた。しかし、男の言うとおり、このままでは埒が明かないので意を決して帳面台に向かう。
男が座す帳面台は時代劇で見るような小上がりに置かれており、傍に寄っても微妙に届かない。
「えっと ――」
古風すぎる造りにまごつく香織へ、男は「おや」と声を上げた。
「小上がりを見るのは初めてかい? 好きに腰掛けてもらって大丈夫だよ。―― さて、俺はこの店の主なんだが、お嬢さん、ウチの看板は見たかい?」
問われて香織は、先程見た、とても看板の役目を果たしているように思えない野ざらしの板を思い出した。
「あれ、ホントに看板なの?」
と首を傾げた香織に、店主は怒るどころかにんまりと笑った。
「そいつぁ良かった。お嬢さんとの縁は今回っきりという事だよ」
香織は、何だか門前払いされたようでムッとなったが、知らず握り締めた紙袋の感触に帰るのを思いとどまる。
「あの! 私、叔父がいるんです。こないだ東北の温泉に行って、帰ってきたら寝込んじゃって!」
自分でも支離滅裂だと思いつつ、一度口火を切ってしまったら止められなかった。
「叔父さん、奥さんと死別してて独りで、誰もいないからお母さんが面倒見に行ってたんだけど、お母さんも最近体調が悪くなって、それで、あの!」
「なるほどなあ」
店主の安穏とした相槌に、香織は知らず息を吐いた。と、そんな香織の頭に、大きな手が乗った。
「怖かったねぇ」
そう言われて。
ゆっくりゆっくり、大きな手に頭を撫でられて。
香織の視界は一瞬で歪んだ。
「う、うう~!」
怖かった。
元気でバリバリ仕事をしていた叔父が寝込んで見る見る痩せ細っていくのが。
病気知らずで明るかった母が疲れきって笑わなくなったのが。
家の中がどんよりと暗く翳っていくのが。
自分の足元が崩れていくような、言葉にできない恐れがずっと心に圧し掛かっていた。
そして先日、あまりに顔色の悪い母の代わりに食事を届けに行った先で見た叔父の顔に死相が浮かんでいるのを見て息を呑んだ。
その時に、頼まれたのだ。それを供養してやってくれ、と。
「うわあああん!」
怖かった。
あんな弱々しい叔父も、その後を追いそうな母も、何もかも。
そして何より、この紙袋の中身が。
怖くて、怖くて、ネットのオカルト話にすら縋りたい程に。
それを穏やかに言い当てられて、香織は子供のように泣きじゃくった。
店主は黙って頭を撫でてくれていた。
ずび、と鼻をすすって、香織はようやく顔を上げた。
「…… ずみばぜんでじた」
顔を上げて、以外に近くいた店主をまじまじと見やる。
目元を中心にたくさんの細く紅い線で彩られた獣面は狐を模しているのだろうか。本来なら刳り貫かれている目の部分は、白くぬっぺりとした土台のままだ。
前、見えてるんだろうか、なんて見当違いの事を考えていた香織へ、店主がとんでもない発言をする。
「それにしても、此処まで無事だって事は、お嬢さん、処女だね」
「はあ!?」
「おっと、セクハラとか言わないでくれよ。今回は褒めてるんだし」
「どこが!」
「―― ソレ」
羞恥のあまり手を振り上げた香織の攻撃範囲からひょいと逃れた店主が、長煙管でまた彼女の持つ紙袋を指した。
「コケシだろ? それもかなり年季の入った」
「―― っ! な、んで」
「コケシってどう書くか知ってるか? 子供を消すと書いて子消しという」
するりと元の位置に戻った店主は、長煙管を咥えた。
「元々は流産や間引きで死なせた子供を偲ぶために作られ始めたのがコケシだ」
「間引きって、そんな」
「貧乏子だくさんと言ってな。赤子の死亡率の高さもあったし、他に楽しみもないから、まあヤるよな。で、生まれた子供を養いきれずにってやつだ。情はまあ、あっただろうな。コケシなんてものを作って祭ったくらいだしな」
とん。
軽やかな音を立てて灰皿に落とされた吸殻のあっけなさが、昔の日本の命の軽さ、儚さを現しているようで、香織は背筋をぞくりと震わせた。
「今、土産物で買えるようなコケシには何の柵もないからどんだけ集めようが問題はないけどな。年季の入った物の中には本当に亡くした子供の替わりとしてずっと手を合わされてきたものもある。転じて子供の守り神になる事もあれば、殺された恨みつらみを集めちまう事もある。お嬢さんの叔父さんはそっちを引き当てちまったってわけだ」
新しい葉を詰め火を移した長煙管から、細い煙がたなびく。
「叔父さんは過去に何かあったから祟られたし、お母さんは経産婦だ。もしかしたら流産経験があったのかもしれん。だから巻き添えを食った。だが、お嬢さん。あんたは処女だ。だから水子に見つからなかった」
香織は身内がそんな事、と反論したかったが、自分の知らない過去にはどうか、判らない。
「―― とはいえ」
店主は長々と煙を吐き出すと、にやりと笑った。
「ソレの本来の主は叔父さんじゃないし、巻き添えのお母さんでもない。ソレ、引き受けてもいいぞ」
対価はもらうけどな。
そう続けた店主に大きく頷き、香織は紙袋を彼に突き出した。
「お願いします!」
「毎度あり」
何故か、仮面の目元までもが笑んだように、見えた ――。





