4-15 【寝押しの子】
今から200年ほどの大昔。
昭和という時代のお話です。
帝都の女学校に通う田山さんは、お城の武闘会(江戸城天覧試合)の自主練習中に寝落ちしてしまい、家伝のプリーツスカートをシワだらけにしてしまいました。
このままでは、無礼・無作法・無教養の三拍子です。
とっさの思いつきで、見事な縦ロールの髪形うるわしい学校のアイドル夏井さまに接近します。
ヘアアイロンを持っている先進的な家庭なら、電気アイロンもあるはずだと思ったのです。
あにはからんや彼女の手入れ作法は古式ゆかしいもので、アイロンはなし。
しかし彼女の家は、「寝押し道」の家元でもあったのです。
なぜか気に入られて彼女の家で、その教えを受ける夏井さん。
しかし、げに恐ろしきは女学生たちの嫉妬と、武家の誇り。
次々と巻き起こる戦いとその結末やいかに。
読者諸氏は心して本編を待たれよ。
「寝てた!」
女学生の田山さんは、リノリウムの床から顔をあげました。
ヨダレが糸を引きます。
「いま起きた!」
そして絶望しました。
家伝のプリーツスカートが、すっかりシワシワだったのです。
ここは帝都の女学校。
良妻賢母を育成する教場で、通えるのは上流階級の子女ばかり。
「はっ、この高貴な香りは……!」
田山さんが開けっぱなしの窓から身を乗り出しますと、日曜なのに女学生たちが制服姿で歩いていきます。
寮から食堂に向かっている小集団の中心は、実業家の娘である夏井お嬢さま。
眉目秀麗、成績優秀、いわば女学校のアイドルです。
田山さんは、駆け下りました。
「お願いにございます!」
ずざざーっと片膝でひれ伏します。
「この狼藉もの!」
取り巻きの女学生がつかみかかるのを、夏井お嬢さまは扇子の動きひとつで止めました。
「御髪が乱れてましてよ。それ以前に、袴はどうしたのかしら」
「初対面でぶしつけですが、火熨斗貸してくださいっ」
夏井さまが小首をかしげると、見事な縦ロールの髪が揺れました。
「アイロンのことかしら」
「夏井さまの見事なその髪、最新のヘアーアイロンをお持ちと考え、ならば衣服の火熨斗もお持ちと思いました!」
「残念ですわね。この髪はバーナーであぶったコテで毎週メイドに整えさせておりますの。寮にはアイロンもございませんの」
田山さんはくずれおれました。
「あら、その手にお持ちなのは、お城の武闘会用のスカートではなくって?」
武闘会とは、正しくは江戸城天覧試合。腕に覚えのある武家の子女も多数参加します。
スカートを差し出すために近づくと、お嬢さまの香しさに、寝起きの田山さんの意識が飛びかけます。
「このスカートをここまでシワにするとは、あなた【寝押し】の才能がおありね」
「ネオシ……ネオ東京市が、どうしたんですか?」
「愚かなっ」
なにが気にさわったのか、それまで黙っていた取り巻きたちは、急に田山さんを非難しはじめました。
「お姉様、こやつ身内に軍医総監さまの覚えめでたい文人がいただけで、その縁故にすがって潜りこんだ庶民です!」
「どこかで聞いたお名前と思えば。あなた、あの田山中尉さまのお身内ですの?」
「朝霞の武装偵察大隊の田山でしたら、自分の父です」
「それでしたら、お国の英雄。このプリーツの蛇腹に金属線が組み込まれているのも納得ですわ」
ぎょっとした顔で、田山さんはお嬢さまを見なおします。
「これは……スピン波を励起させて、位相干渉器としてお役立てのご様子。使い手であれば、敵方の武装を内部まで高精度に分析できますわね」
「手に取っただけで、そこまでわかるのですか」
「父は西洋洗濯業を営んでおりますから」
「それなら、火熨斗も……!」
「工場にいけば壁付けのスチイムアイロンもありますが、このスカートに熱は御法度ですわ。我が家に伝わる寝押しをお教えしましょう」
「お姉様、それは門外不出の」
「いまはもう、そんな時代ではありません。国家を安んじる技は、ひいては民草を救うため。いま思い悩む女子ひとりを救わずして、ご先祖様に顔向けできるものですか」
近寄りがたい上流階級と思っていた夏井さまの親身さに、田山さんはぽーっとなりました。
夏井さまのご実家はとても広い敷地で、日本家屋と洋館が併設されていました。
ふだんはガスや電気の敷かれた洋館にお住まいですが、案内されたのは日本家屋のほう。
「お好きな部屋を使いなさい。衣服のコンディションにあわせて畳を選ぶのも学びですわ」
「総畳敷きの大広間が、こんなに!」
色も違いがありました。
「紫畳って、高貴な人が座るのかな。夏井さま、ただのお金持ちじゃないんだ」
「おーほっほ。わたくしの家は、足利一門につらなる高家旗本。諸大名に寝押し作法を伝授するかたわら、朝廷の方々との結びつきも深く、御一新後の今も親交がありますのよ」
クリーニング屋さんで財をなしただけと思いきや、もともと裕福な一族の出身だったようです。
「高家は武芸を学ばず、京のお公家さまのようだったと思われがちですが……有職故実の作法のなかには武芸もあります。その一つが、寝押しです」
田山さんも武闘会に出るくらいには修行を積んでいるものの、寝押しを学んだ記憶はありません。
せいぜい庭に寝転び、毒虫の恐怖に平常心を保つという精神修養くらいです。
おかげで寝返りをせずとも熟睡できるのですが、メリットといえば、着物が着崩れしないとか、胸に乗せた本が落ちないといった微妙なもの。
「畳を選んだら、斎戒沐浴をなさい。お風呂場には、火を起こすよう伝えてありますわ」
そして親切にも、大きなたとう紙をくれました。
「紙を使わないと畳の跡がついちゃうんですね。でも、どうして身を清めるのですか」
当時はお金持ちといえど、毎日お風呂に入る習慣はありません。
「寝押しは本来、神仏に拝する衣服を整える儀式。湯水でカラダをほてらせ、その蒸気でシワを鎮めるにあたり、匂いが染みついてはなりません」
田山さんは丁寧なその説明を反芻します。
「自分は、夏井さまの寝押ししてくれた服を着たかったな」
思わず声に出したあと、はっと顔をあげました。お嬢さまは顔が真っ赤でした。
「まずは失敗を恐れず、挑戦してごらんなさい」
まだ残っていたはずの説明を打ち切って、お嬢さまはそそくさと洋館の自室へ去ってしまいました。
「どうしよう、こんな広いお屋敷で、どの畳を使えばいいかわかんないや」
それでも、あちこち寝転んでみると、違いに気づいてきます。
「あれ? 畳が浮いている」
これだけ立派な屋敷で、一区画だけ、畳が不自然に敷かれています。
「畳替えしっ」
パンと畳をたたいて浮かせると、ささくれのある荒板が敷き詰められていると思いきや、なんとも美しく磨かれた板間になっていたのです。
「もしかして……」
翌朝。
田山さんは、夏井さまと朝の御膳に向かっています。
「ぐっすりでしたわね」
「このお屋敷、背中で感じる地面の呼吸みたいなのが、すごく心地よくって……」
「思っていたとおりの逸材ですわ。お体の正面は発育がよろしすぎますが、背中は寝押し向きですわ」
おそらく褒めているのでしょう。
「さて、朝餉もすみましたし」
田山さんは、右手を後ろにしながら、照れくさそうに左手を差し出しました。
「お嬢さま、自分と武闘っていただけませんか」
「ええ、よろこんで」
「ちょっと待ったーっ」
すぱーん!
ロウを効かせたふすまが、勢いよく左右に吹っ飛びました。
「お姉さまと踊るからには、まず親衛隊のあたしらを倒してからだね!」
「朝チュン、マジ許すまじ!」
昨日とくにうるさかった二人が、着物をたすき掛けしての乱入です。
「彼女たちも、それぞれの寝押しを受け継ぐ武家の娘。これもよい修行です」
田山さんは力強くうなずきかえします。
「田山中尉が娘、田山芳子、はばかりながらお相手つかまつります!」
「夏井お嬢さま親衛隊、小村澄子、押して参る!」
「では……試合なさい!」
「影車輪!」
いきなり田山さんは、寝押しでパリパリのスカートをひるがえし、高速回転をはじめます。
「さすがですわ! 田山中尉はビルマの山賊をそのマントルで打ち払ったと聞きますが、田山さんはスカートでそれを再現している」
「いててって、相手にとって不足なし!」
小村さんは傷を負いながらも根性で間合いを詰めます。
「押忍!」
「あれは小村流フラットニング奥義ヒートプレス!」
軸足を引っかけながら、極限まで鍛えた背中での体当たりです。
田山さんは空気の壁に挟まれたような衝撃。
「まだ意識があるようだねっ。ダメ押しだ!」
小村さんは追撃の掌底を、田山さんの背中に繰り出すも、体をひねってかわします。
「あの庶民、背中に目玉でもついてるのか」
「さすが田山さん。自分の技を信じるのは結構ですが」
夏井お嬢さまが、聞こえるともなくつぶやきます。
「その寝押しも信じていただきたいですわ」
「はい!」
大きく後ずさった田山さんは、ふっぅうううと大きく息を吐きます。
「レイリー波注入、千二百パーセント!」
吐気で、空気がビリビリ震えました。
「スカートに文様が浮かんで光っている……?」
小村さんがその覇気にあとずさりします。
「わたくしが説明するまでもなく、彼女はあの文様に気づいたのですわ」
さすが田山中尉の娘。おそるべき観察力。
「あえて、たとう紙をつかわず寝押しすることで、板間に刻まれた回路をスカートに転写。元来は観測用にすぎなかったスピン波を、彼女の筋肉を制御するほどの電気信号に強化したのです」
「くっ、さっきの影車輪が、さっきの数十倍の速さに」
勇気をふりしぼって竜巻に飛び込んだ小村さんですが、
「きゃああ」
なんと服が裂けてしまいました。
「それまで! 勝負あり!」
夏井お嬢さまは二人の健闘をねぎらいます。
「文様に気づいただけでなく、堅牢な板材に均等に圧力を加え転写したのは、お見事です」
「あ、常在戦場ってんで、うちのお布団、すごく薄くて硬いんですよ」
「なるほど、ビルマ帰りの田山中尉を取材した記者さまの言葉は、本当でしたわね」
うれしそうに夏井お嬢さまは笑って、当時の新聞のフレーズをつぶやきました。
田山花袋の布団は固い。
庭もまた固い。
「はい!」
田山さんは、それはもう満面の笑みでした。





