4-14 ただの羊は人間社会を夢見る
九州のいちご農家でひょんな事から保護される事になった羊は、時々二足歩行をして喋る羊。自称「神様に人間に改造してもらった」と宣う羊は、保健所の担当者が興味本位で動画をSNSに載せた事になり大バズりしてしまう。
バズった影響で人気者になっていく羊だったが…初挑戦のコメディ。
ここは九州のとある地方都市にあるベッドタウン。時刻は午前2時を回っていた頃、一人の若い男性がバイクにまたがり、横断歩道にある車道側の信号が変わるのを今か今かと待っていた。急に冬が来たこの時期は寒さが身に堪えている様子で時々ブルブル震えそうになっていた。
彼は、先ほど夜勤のバイトが終わり、近くのコンビニで遅めの夕飯を調達していた。家に帰ればこの夕飯を食べてあとは寝るだけである。
明日は休みだからいいものの、こんな形態で暮らすのは少しだけ嫌気がさしてきていた彼は、ひとりため息をついていた。
「残業しちゃったな…」
ひとりごちた彼は、大きなあくびをしながらなかなか変わらない信号を待っていると、急に空が昼のような光に溢れた。
「うわっ!」
いきなり訪れた眩さに一瞬眩んだ彼は、光がなくなったのを確認して目を開けるとまたいつもの人通りのない道路が見えていた。
「今のは一体なんだ?」
彼が辺りを見回していると、今度はかなり強い眠気が襲ってきた。強い眠気に呻いた彼は、バイクが勝手に出発しないように、両腕に握ったハンドルを強く握っていた。首が鉛が入ったように重くなり、がっくりと首をハンドルにもたれてしまったが、一瞬にして何事もなかったかのように治った。
また、頭を上げた彼の目に広がるのは、やはりいつもの人気のないだだっ広い道路だけだった。ヘルメットを外して頭を振った彼は、もう一度ヘルメットを被り直すと、もうこの時間帯の退勤はやめようと思いながら、とっくに青になった信号を確認して、バイクをゆっくり発進させた。
それから何日か経った日のこと。
小さな山と海に囲まれた集落で、1人の小太りの男が、だいぶ年季が入った家の玄関から、出てきた。男は、先ほどまで大雨が降った後にぬかるんだ地面を気にすることなく、玄関横に停めている軽バンへ乗り込もうとしていた。
「太郎!ハウスを見に行くなら、川辺の方も頼んだ!」
玄関で同じような格好をした彼の父が声をかけると、
「わかった!」
と、玄関に向かって声をかけると、軽バンのドアを閉め、颯爽と仕事場で向かって行った。
太郎は忘れないうちに、父が言っていた川辺の方へ向かった。
川の近くにあるその地域は、集落では川辺と呼ばれている農地の中の一つだ。いくつか等間隔に並んでいるビニールハウスのうち、一つのビニールハウスの前に車を止めて、扉を開けてビニールハウスの様子を見る。今は、苺の季節に差しかかっており、クリスマスなどで重宝される時期だが、太郎の場所は、黒マルチシートに畝が覆われているが、青いいちごがようやく出来始めたばかりだった。
今年も、些細なことが積み重なり作業が遅れたのが原因だ、と思っていた彼は小さくため息をつくと、
『今年も春に無事にできるといいなぁ...』
とぼやきながら、ビニールハウスの様子を伺うが特段何も問題はなかった。ハウスの温度を確認して、ビニールハウスの扉を閉めた。
次に彼が向かったのは、川辺より少し離れた山の近くにあるビニールハウスだった。先ほどと同じようにビニールハウスに向かい、扉を開けると、入口の畝の端の方に白いモコモコとした毛が生えたすこし大きい動物がいた。
『え?羊のような...??なんでこんなところに?』
そう思った彼は、たまたまビニールハウスの前に落ちていた枝を拾って身構えていた。
『畝と苗はまあ大丈夫か...?』
ビニールハウスの様子を伺いながら、羊のところに向かうと、羊は耳を動かしながら、おもむろに後ろ足で立ち上がった。
「うおおお!!??びっくりした...」
身構えていた太郎は、入り口のドアにぶつかり、転びそうになりながら声を上げると、羊も気付いた様子でびくん!と身体をこわばらせた。
羊は後ろ足で器用に立ち上がったまま、ゆっくりとこちらを振り返ると、バツの悪そうな顔で頭を下げながら言った。
「あ、すみません。お邪魔してますー...。」
「はい?」
太郎は、頭を下げた羊に対して間抜けな言葉を返してしまった。
羊は、まるで慌てている人間のように前足をパタパタと振りながら一気に喋りはじめた。
「ああ!すみません!!私は盗人なんかじゃないです。この山で最近野宿を始めたモノです!いやあ、野宿は初めてだったんですがどうにかなるもんですねー!ここの山は木の実も草もそれなりに落ちているので、美味しくいただいておりました!ちょっと山草も食べ飽きてたんで、どうしようかあ?と思っていたら、道路が見えて!こちらの透明なおうちが目に入ったんです!周りの草も美味しそうだから、ちょっとお邪魔しようと思っていたら、雨がザーザー降ってきて!!慌ててこの中に入ったんです。」
「はあ…」
一気にまくし立てる羊に、面食らいながらも曖昧な相槌を打った太郎は、とりあえずビニールハウスの中に配置された畝と植えられたイチゴの様子を見ていた。どうやら羊の蹄に荒らされた形跡はなく、畝も見た範囲では無事であることを確認した彼はほっと一息つくと、後ろ足で立ったままの羊に向き直って彼は話しだした。
「あの…そうだったんですね。とりあえず今植えてる作物は今の所大丈夫そうなんで、ちょっと家族と相談してきます。でも、うちの作物にちょっとでも傷つけたら遠慮なく警察と保健所呼ぶんで、よろしくお願いします。」
「保健所?!え、私、犬猫じゃないですけど…。」
「犬猫じゃなくても、こっちからしたらただの動物なんで。害獣かどうかも怪しいですし。」
「ええ…。」
「当たり前でしょう。仕方ないとはいえ、不法侵入なんで。とりあえずここから離れないようにしてくださいね!」
羊に念押しした太郎は、胸ポケットからスマホを取り出すと、先ほど会った父に報告するべく電話をかけ始めた。
「お父さん!今大丈夫?あのさ、今ビニールハウスに羊がやってきて…。」
『ひつじ~!?何ね、藪から棒に』
唐突な息子の告白に戸惑いを隠せない父の声が伝わってきたが、見たことはそのまま伝えてるので間違ってはない、と太郎は確信をして話を進めた。
「いや、なんか分からないんだけど喋る羊が目の前にいるんだよね。困ってる様子だから連れてきてもいい?」
「喋るひつじ~!?お前、大丈夫か?」
ますます意味不明なことを喋り出す息子に父は戸惑いより心配が混ざった様子で伝えたが、いつも通りなのでそう伝えた。
「え?いや、僕は大丈夫だよ。」
「そんな喋る羊なんておるわけなかろうもん。わけわからん事ばっか言うて…よかよか!ちょっと様子見に来るけん、そこおれ!」
「うん。わかった!」
スマホの通話が終わると、彼は未だ後ろ足で立ったままこちらを伺ってる羊に向き合って話した。
「とりあえずここで待機となったので、このまま待っていてくださいね。」
「はい!わかりました!でも、ちょっと疲れたので4足歩行になりますね。」
そう言うや否や羊は、おもむろに宙に浮いていた前足をそのまま地につけるように降ろすと、前足の蹄がそのまま一つ畝の左右の角に当たり、踏み潰すような形で畝の角が崩れ落ちてしまった。
「あ…」
「ああーーー!!」
小さい声を上げて頭を上げた羊に対し、太郎は大きな叫び声を上げた後、憎悪のこもった目で睨みつけると、深いため息をついて、手に持っていたスマホで通話の準備をしながら言った。
「警察と保健所、呼びますね。害獣駆除で通報してやる。」
「ええ!?そ、そんな…」
「あなた、今踏みましたよね!?畝を!!僕が大事に作った畝を壊したんですよ!角が取れただけでも大損なんですよ!弁償なんてできませんよね?動物ですから!!」
スマホから羊に視線を変え、強い口調で捲し立てる太郎に対し、羊は怯えた様子だったが、細々と呟いた。
「弁償はできませんけど、元通りにすることならできます。」
そう言うと、降ろした前足をゆっくり上げながら、メェーーー!!と大きな雄叫びをあげた。
すると、黒マルチシートにかけられた状態でもわかるぐらい崩れた畝の角が、前足が上がるたびにみるみる形作られていき、元の形に戻った。
羊を見たままの太郎は、その様子を呆然と見ていた。
「はい!できました!」
自信満々のような声を上げると、羊は2歩ほど下がって、横を向いて畝から距離を空けると、ゆっくりと前足を下ろした。
「これで元通りになりましたので、駆除は無しですよね」
羊の割にキラキラした目をして太郎を見上げた羊に対し、太郎は先ほどと変わらない目をして
「いや、元通りにしても。崩した事実は変わらないので通報しますね。」
そう冷淡に言うと、警察と保健所に電話をするべく、スマホの操作を続けた。
「そんな…ご無体な…」
羊は、涙声のように声を振るわせると、首を垂れながらメェーと弱々しく鳴いた。





