91話 借金よさらば
「うーん……よし! 完全に治った!」
宿屋のベッドの上で、白ウサギな獣人の少女リリィは体を伸ばす。
白い毛並みの耳とふわふわの尻尾は、しばらく寝たきり生活が続いたせいか、どこか元気がなかった。
ここ数日、怪我の悪化を防ぐため安静に過ごすしかなく、とても退屈だった。
だが、それも今日で終わり。
意気揚々と部屋を出ようとした瞬間、入ってこようとした誰かとぶつかってしまう。
「いたた……」
「……もう少し注意してほしい、お姉ちゃん」
呆れたような声でそう呟いたのは、黒ウサギな獣人の少女サレナ。
黒い髪と同じような色をしたウサギの耳が、小刻みにピクピクと動いていた。
「あれ? サレナがわたしのことをお姉ちゃんって呼ぶなんて珍しい。いつもは名前なのに、どういう心境の変化?」
返事の代わりに、握り拳でお腹を小突かれる。
手加減されているとはいえ、まさかの不意打ちにリリィは怯んだ。
「おふっ……治ったばかりなのに、ひどい」
「あたしを置いて死ぬようなことをするのがいけない。グラムを刺したあと穴に落ちていった時、どれほど心配したか」
むっとした表情でサレナはそう言うと、リリィをぎゅっと抱きしめた。
けれど、まだ怒りが収まらないのか、そのまま膝でリリィの太ももを蹴ってくる。
手加減されていても、痛いものは痛い。
「ちょ、攻撃やめて!」
「なら謝って。心配をかけてごめんなさいって」
「昔はこんな子じゃなかったのに……」
「昔、自警団を抜けた誰かさんのせいでこうなった、と言ったら?」
「……ええと、心配をかけてごめんなさい」
過去の話を持ち出されると、強く出られないリリィはとりあえず謝る。
すると、白い尻尾を軽く引っ張ってから、ようやくサレナは離れた。
「なんか、当たりが強くない?」
「お姉ちゃんが……リリィが悪い」
そう言い残し、サレナは部屋を出ていった。
その際、国王からの手紙を置いていく。
リリィは早速封を開け、内容を確認した。
読み進めるうちに、自然と表情が引き締まる。
“国内は大変な状況にある。一時的にでもどうにかするため、君たちを大々的に称賛する。国を救った英雄として、その功績を広く知らしめるつもりだ。注文や意見があるなら、早めに来るように。なお、中止はできないのであしからず”
手紙に書かれていた内容は、国王が苦労していることを感じさせるものだった。
「……わたしたちが英雄、ね」
英雄。
それはなんとも心地よい響き。
だが、十五歳の子どもを英雄にして称賛しなければならない状況というのは、つまりアルヴァ王国がそれほどまでに追い詰められているとも言える。
「とりあえず、行かないと」
手紙には、注文や意見があるなら早めにとあった。
リリィはレーアに元気な姿を見せ、翼で軽く叩かれたあと、まず入浴と着替えを済ませる。
あとは、ぼろぼろになった城に向かうだけだが、その前に解決すべき問題があった。
「リリィ、サレナ、こちらへ。オーウェン団長は商会にいます。お母様には、裏切りの件は知らせていません」
「まずは、こっちからだね」
「……どういう選択をすればいいのやら」
グラムという死霊術師に若返りという甘い餌を提示され、突如裏切ったオーウェン。
だが、最終的に彼は敗北し、今はラウリート商会で身を休めていた。
「来ましたか。なにやら大事な話があるそうですが」
ラウリート商会の主たるハーピー。
エリシア・ラウリート。
大商人として名を馳せる彼女は、王都アールムの荒廃を前に、娘であるレーアの前であっても険しい表情を崩さない。
「リリィ。あなたは、オーウェン団長と何を取り決めたのですか?」
「わたしが商会に残してる借金を、全部肩代わりしてもらうために」
エリシアの表情がわずかに動く。
驚いたような、意外そうな顔を見せた。
「つまり、既に五千枚あるところに加えて、追加で五千枚をオーウェン団長が支払うと。あなたは、それでいいのですか?」
問いに、オーウェンはあっさり頷いた。
「ええ。いいですよ。ま、色々ありましたからね。こちとらゴールドランクの冒険者。ちょいと本気を出せば、一年くらいで完済してみせますとも」
笑いながらそう言う姿は、彼を知る者からすれば、いつも通りのもの。
「……いいでしょう。何があったか詳しくは聞きません。あえて語らない方がいい状況というのは、私も経験してきましたから」
大人として、小さな商会を大きくしていった優れた経営者として、様々なことを経験してきたからか、エリシアはそう言うとそれ以上の詮索はしなかった。
そして借金に関する手続きのため、リリィとオーウェンは書類に色々と書き込んでいく。
「……ではこれにて、リリィ・スウィフトフットに当商会が貸し付けていた借金は、完全になくなりました。代わりに、オーウェン団長に金貨一万枚を支払ってもらいます」
「よし! これで借金からは、おさらば!!」
「ふっ……嬉しそうだな。まあ、特にこれまでと生活が変わるわけでもないが」
「心配事があるとないとでは、大違いですよ。いや本当に」
「それもそうか……さて、そろそろ行くか。王様に呼ばれてるんだろ?」
「団長も?」
「ゴールドランクの冒険者だからな。あとは大人ってのもある。子どもばかりじゃ、説得力に欠けるからな。強そうな見た目の奴もいないと」
これに対し、自警団の団員であるサレナはため息混じりに呟く。
「……自分で言いますか」
「言うとも」
「…………」
さすがに裏切りの件には触れられないため、サレナは黙ったまま頭を振った。
「それじゃ、城に行こう」
「あ、わたくしも同行します。ほとんど活躍していませんが、お母様が問題ないと仰いましたので」
「ええと……」
リリィはちらりとエリシアを見る。
「可愛い一人娘に箔をつけてあげたいのです。それに、当商会の宣伝にもなります。異論はありますか?」
「いえ、ないです」
一行は商会の建物を出て大通りを歩く。
外は、即位式が近づいていた日々に比べるとかなり落ち着いていた。
活気がないとも言い換えられる。
かなり崩壊している冒険者ギルドの前には、大勢の冒険者が集まっているが、どこか暗い雰囲気に満ちている。
「うわ、依頼を貼るボードの前がひどい」
「あまり近づきたくない状況ではある」
「元気がない、というよりは沈んでますね」
「ボード見てみ」
オーウェンの言葉に促され、リリィたちはギルドの外に設置されたボードへ目を向けた。
そこに貼られているのは、どれも地味な仕事ばかり。
王都近隣の農家からの害獣駆除。
骸骨の軍との戦いで破損した井戸の修理や清掃。
遺失物の捜索もあったが、混乱の続く王都では難易度が高すぎる上に、報酬も微々たるものだった。
「積極的に受けたいものは、ないね」
「ないよりはマシ、とはいえ……ダンジョン関連の依頼に比べると微妙だな」
「ダンジョンはしばらく消えたまま。冒険者がお金を稼ごうにも、かなり選択肢は減っていますね」
「こればかりはどうしようもない。できるのは、ダンジョンの復活を待つことだけ。ま、俺たちは城で仕事を探そうと思えば探せるわけだが」
ひとまず一連の出来事は解決し、終わりを迎えた。
しかし、その後の復興はどうなることか。
気になるものの、国王から呼ばれているのでリリィたちはギルドを離れた。




