90話 一区切り
塔の頂上。
それが、この二十階だった。
これより上へと続く階段はなく、天井に近い壁には大きな穴が空いている。
そしてその穴を境に、内部と外部で戦闘が繰り広げられていた。
今のところは魔法の応酬が続いているが、いつ状況が変わるかわからない。
「ええい、いったいどうなっているのだ!? この状況は!!」
階段から離れた奥、兵士たちに守られるように立っている男性がいた。
その顔を見て、リリィは驚きに目を見開く。
前の王様だった。
以前、オーウェンと共に城へ潜入した際、その顔をしっかり見ていたからこそ、すぐに気づくことができた。
「グラム! 外の敵を一掃できんのか?」
「無理無理。空を飛ぶ相手って、死霊術師とは相性が悪いんだよ。一人二人ならともかく、数がまとまると負傷者が次々に入れ替わって、堂々巡りになるだけさ」
壁の穴から飛んで来る魔法を防ぐため、グラムは死体を操って応戦している。
だが決定打に欠けるらしく、肩をすくめながら答えた。
そのやり取りを聞きながら、リリィは慎重に階段へと身を隠す。
「どうしよう?」
「攻めるしかないだろうに」
「とはいえ、何らかの隠し玉があるかもしれません。無闇に仕掛けるのは危険かと」
様子を見るか、仕掛けるか。
魔法の撃ち合いが続く中、魔法を使えない者は守りを固めている。
なかなか動きにくい状況だが、リリィは目立つウサギの耳を伏せながら周囲を観察していた。
「陛下、こうなってはもう、こちらの計画を進めるしかありません。よろしいですか?」
「……好きにしろ。もはやこの状況、生きて戻れるかもわからぬ」
「ありがとうございます」
舌打ち混じりの返答とはいえ、許可が下りた。
それを喜ぶ魔族の女性。
リリィが以前、盗み聞きをした際に目にした人物の一人だ。
そして彼女は驚くべき行動に出た。
前王に剣を突き立て、さらに護衛の兵士たちをも容赦なく斬り捨てたのだ。
「ぐ、おぉ……き、貴様……何を……」
「本来なら時間をかけて準備を進めるところでしたが、急がねばならなくなりました。よって、人の命を利用させていただきます。申し訳ありません」
感情のこもらない形ばかりの謝罪のあと、魔族の女性は儀式を始める。
台座の上に宝石のようなものを置くと、それが不気味な光を放ち始めた。
「そっちが計画を始めるなら、私はそろそろ退散しようかな。巻き込まれるのはごめんだ」
「ご自由にどうぞ。死霊術師のグラム。あなたのおかげで助かりました」
まるで段取りが決まっていたかのように、話が進んでいく。
「様子を見ている場合じゃない。今すぐ仕掛けないと」
リリィはそう判断し、サレナとソフィアに声をかけた。
「何が起こるのか確認するより、何も起こさせない方がいい」
「私がグラムを抑えます。二人は他を」
「よし、行こう」
まずソフィアが先に動き、グラムに魔法を放つ。
その数秒後、リリィとサレナが駆け出した。
ウサギの獣人である二人は俊敏だが、装備の重さの違いでリリィが先行する。
「何をしようとしているのか知らないけど、止める!」
「ふん、邪魔な子どもですね。しかし、追い払うくらいはしておきませんと」
魔族の女性が剣を大きく横薙ぎに振る。
当たれば大怪我は免れない一撃だったが、オーウェンとの戦闘に比べれば怖くはない。
リリィは攻撃を回避し、剣で受け流しながら怪しげな台座へと迫った。
「これは……こうする!」
リリィは台座の上の宝石を掴み、床に叩きつけた。
しかし、意外と頑丈なのかヒビが入るだけ。
「くっ、させません」
「先にあたしが相手だ」
魔族の女性が阻止しようとするが、サレナが横から攻撃し妨害する。
その隙に、リリィは再び宝石を叩きつけた。
「よし、壊せた!」
砕け散る宝石。
すると、魔族の女性が叫ぶ。
「お前! なんということを! こうなっては、しばらくこの世界への関与は……」
詳しいことを聞き出す間もなく、魔族の女性は魔法を使い、その場から姿を消した。
逃げ出したのだろう。
だが、それだけでは終わらない。
突然、塔全体が大きく揺れ始めたのだ。
「なんだか……急速に崩れてない?」
「気のせいじゃないぞ」
崩壊するダンジョンは何度か目にしているが、これほど速いのは初めてだった。
階段へと繋がる足場も崩れ落ち、ろくに動くことすらできない。
「サレナ、落ちたらどうなる?」
「死ぬ」
今立っているのは儀式が行われていた台座の近く。
まだ持ちこたえているが、やがて崩れるのは時間の問題だった。
「というか、ずいぶん余裕あるな」
「大丈夫。これを使えばいいし」
リリィは魔法のスクロールを取り出した。
ダンジョンから脱出できる魔法が仕込まれており、自分たちだけならこれで無事に逃げられる。
だが、その行動を邪魔する者がいた。
「自分たちだけ逃げるなんて、いけない子だね」
グラムが魔力の塊を放つ。セラがよく使う魔法と同じものだった。
直撃すれば危険だが、それ以上に問題なのは、リリィの持つスクロールがその衝撃で破れたこと。
「なっ……! スクロールを!?」
「くそっ、発動までには時間がある。その前に破れたら、もう脱出は……」
リリィが歯噛みする中、グラムは軽く笑いながら死体に包まれ、近くの穴へと身を投じようとする。
「はははは、私はしばらく隠れるよ。それじゃあね」
しかし、その逃亡を許すつもりはなかった。
リリィは剣を握ると駆け出す。
「サレナ、上手く脱出して。外の人たちが助けてくれる」
「あたしはともかく、お前はどうする!」
「たぶん、大丈夫。死にはしないから」
塔の外へと続く穴から、ハーピーたちが数人、中を覗き込んでいた。
内部に取り残された人の姿を見つけると、すぐに十人ほどが入り込み、救助に動き出す。
「……驚いたよ。この状況でも私を狙うとは」
「ここで逃がしたら、今後も邪魔してくるでしょ」
「なるほど」
「それに、こういう時でもなきゃ、仕留められそうにないし」
「狙いは正しい。でも、その代償は自分の命だよ?」
グラムの少女のような体に、リリィの剣が深々と突き刺さっていた。走る勢いを乗せて刺したのだ。
二人は崩れた床から下へと落ちていくが、その途中、リリィは道具として使っていたナイフを引き抜くと、それでグラムの首を斬る。
「……子どもらしくない、念の入れようだね」
「孤児として過ごしてきたことがあるから」
「孤児、か……親を知らない弱さ、親を知らない強さ……ふ、ふふふ」
もはや他に人の目はない。
リリィは何度もナイフを突き刺し、相手が完全に沈黙したのを確認すると、ため息をついた。
「……はぁ、わたしも死んだかな、これ」
あと数秒もすれば、瓦礫に叩きつけられ命を落とすだろう。
心残りばかりの人生に、リリィは顔をしかめる。
もっと上手いやり方があったかもしれない。
でも、すべては過ぎ去ったあと。今更考えても仕方のないことだった。
やがて、強い衝撃と痛みを感じ、意識を失う。
王都を襲った一連の事件について、国王は公式に発表した。
それによれば、事の発端は死霊術師グラムと前王が結託したことにあったという。
これを受け、王都の混乱は表面上は沈静化した。
問題は山積みだったが、一つの区切りがついたのは確かだった。
「……あー、生きてる」
最初に目に入ったのは、見知らぬ天井。
全身が痛むが、それでも自分が生きていることに、リリィはほっと息をつく。
「意識を失ってから、どれくらい経ったかな……あんまり長くないといいけど」
起き上がろうとするが、痛みでろくに動けない。
渋々ベッドに横になっていると、扉が開き、誰かが入ってきた。
「リリィ! 生きててよかった!」
「いたたた……ちょっと、加減して……」
勢いよく抱きつかれ、リリィが顔をしかめると、相手は慌てて離れる。
視線を向けると、そこにはレーアが立っていた。
「どうしてあんな無茶をしたんですか」
「グラムを倒すなら、あの時しかなかったから」
「生きてるからいいですけど……ひどい有り様でしたよ。グラムは、言葉にできないほどぐちゃぐちゃ。リリィも、手足があらぬ方向に折れ曲がっていて……」
レーアは、発見当時の光景を思い出したのか、険しい表情を見せる。
「レーアは、塔のすぐ外にいたの?」
「ええ。商会の者のうちハーピーだけを引き連れ、独自に動いていました。どれほど役に立ったかはわかりませんが」
「それなりに、かな? おかげで、変な儀式を止めて、グラムを仕留めることができたし」
「それならよかったです。でも、しばらくは安静にしてください」
「……高いポーションで治せないの?」
「治して、今の状態なんです。死にかけてたんですよ」
「……そっか。心配かけて、ごめん」
レーアが部屋を出ていってから、しばらくすると、今度はサレナが入ってきた。
既にリリィが回復しているとわかっているからか、抱きつきはしなかったが、赤い瞳はわずかに潤んでいた。
「サレナ、あのあとのことを教えて。ソフィアやエクトルやジョスは脱出できた?」
「ああ。ソフィアは崩壊が始まるとすぐに下へ向かい、団長を含めた全員を治療しながらさらに降りた。途中で兵士にも遭遇したが、とにかく下へ行くよう指示したらしい。そのおかげで、怪我人は出たが死者は出なかった」
「……よかった」
安堵するリリィだったが、サレナはまだ何か伝えることがあるのか話を続ける。
「治ったら来るようにと、国王陛下が言っていた」
「……わかった。早く治せるように寝とく。おやすみ」
「うん、それじゃ、またあとで」
そっと白いウサギの耳を撫でてから、サレナは部屋を出ていく。
リリィは小さなあくびをしたあと目を閉じた。




