70話 短い逃走劇
王都アールムは広大だが、来てから日が浅いリリィにとっては、そこまで地の利がないところでもある。
追いかけてくる者は、見える範囲だけで五人。
気づかれないよう潜んでいる者を含めれば、どれだけの者がいるのやら。
「まずは、主要な大通りから」
空は明るく、王都は大量の人で賑わっている。
馬車も行き交う大通りは、ほどほどに混雑していながらも、走り回れるくらいには空間が空いている。
リリィはそこを走り抜けた。
追いつける者はいない。
人がおらず、何もない平坦なところなら、魔法などで身体能力を強化した者が追いつくこともできただろう。
しかし、辺りを歩いている人々という障害物は、子どもであるリリィにとって有利な状況を作り出していた。
「その動きは読んでいたよ」
「うっ……」
とはいえ、相手の中には行動を先読みしてくる油断ならない手練れがいた。
見たところ、オオカミの耳や尻尾がある女性の獣人。しかも熟練の冒険者といった具合なため、窮地に追い込まれる。
「進むなら、首を斬ってしまうかもしれない」
「戻るなら、見逃してくれるというわけ?」
「私は、ね。他の者がどうするかは知らない。ほら、早く決めないと、後ろから追いつかれるよ。くくく」
その手には短剣が握られている。
人混みの中で扱うのに向いた代物であり、目的の相手だけを傷つけるのに役立つことだろう。
かといって、戻れば状況は悪化するだけ。
リリィはわずかに顔をしかめると、前でも後ろでもなく横へ進んだ。
「ふん、路地はない。店の中に避難するつもりか? それはそれで、追いかけずに済むからありがたいけど」
「違う」
いくつかの建物が並んでいるが、リリィは中には入らず、置かれている木箱や樽などを足場にして屋根を目指した。
「おいこら! 何してる!?」
「ごめんなさい! ちょっと追われてて!」
当然ながら下にいる店主らしき人物に怒られるが、壁の出っ張りなどを使い、すいすいと登っていくとなんとか三階部分の屋根に到達する。
あとはもう簡単だった。
屋根の上を走り、屋根から屋根へと飛び移り、王都の中心部にそびえ立つ巨大な城を目指すだけ。
「っと、変装するのはどこかがいいかな……」
ただ、このままの姿では入れない。
一度男装しないと、門番と少し揉めてしまう。
貴族街に通じる門の近くにある路地裏、そこに降り立つと、軽く変装を行う。
万全な変装をするには、足りないものが多いためだ。
「通らせてください」
「君か、いいとも。……陛下もどうして、怪しい人物にほいほいと許可を」
通り過ぎる際、門番の愚痴が聞こえてくるが、リリィは無視する。
そして城に入り、用意されている部屋に戻ると先客がいた。
何か考え込んでいるロジーヌと、護衛として彼女に付き従っているソフィアの二人が。
「戻りましたね。しかし中途半端な変装、途中で何かありましたか」
「もう起きてたんだ」
「ソフィアの回復魔法のおかげで」
誘拐されかけたことに対して、それなりに苛立っているのか、ロジーヌの顔には険しさが残っている。
「誘拐されかけていたところを、あなたが助けてくれたとか。素直に感謝したいところですが……」
「なに?」
「その時の姿を見れなかったのは、残念に思います」
「……そう」
何か言う気にもなれず、リリィは適当な返事をしたあと、ソフィアの方を見た。
そして今のところどういう状況になっているのか尋ねる。
「そっちでわかってること教えて」
「それほど多くはありませんよ。今日の昼、国王陛下は自らを囮にして襲撃を誘い、返り討ちにした。これにより、反国王派と呼べる勢力は大きく弱体化するでしょう」
王女の誘拐に関しては、援護があったとはいえリリィが防いだ。
これにより、国王は万全な状態を維持したまま敵対勢力を削ることができる。
近々、国王が主導して貴族への調査を行うらしく、その時にまた大きく揉めるだろう。
そこまでをソフィアが語ると、リリィは近くの椅子に座り、険しい表情となる。
「おや、リリィは何か新しい情報を得ましたか? その様子からすると」
「うん。さっき、南門近くの倉庫で耳にしたことなんだけど……」
水面下で国王や王女を殺そうとする動きがある。
三日後、大規模な陽動があり、その時に国王を狙う一派と王女を狙う一派が動く。
さらにソフィアへの対策も用意されている。
そこまでを話すと、部屋の中はしばらく静まり返った。
数十秒が経ち、ソフィアが口を開くことでようやく沈黙は破られる。
「……よくもまあ、無事にここまで来れましたね」
「足の速さには自信あるから」
「とりあえず、これらの内容を国王陛下に伝えます。おそらく呼ばれると思うので、今のうちにしっかりとした変装を」
ソフィアは部屋を出るので、リリィは言われた通り、不完全な変装を完璧なものにするべく、衣装棚から衣服を取り出す。
「リリィ」
「うん?」
「もし、わたしとあなたのどちらかしか助からない状況になった場合、どうしますか」
「……自分を優先する、かな」
その瞬間、果物が投げつけられる。
一口も食べられていないため、ぶつかっても服は汚れないものの、掴み取らないと少し危ない。
片手でリリィは取ると、軽く投げ返す。
「怒ってる?」
「そこは嘘でも、わたしと言って欲しかった。そういう気持ちがわからないのはよくない」
「嘘を言うより、本当のことを言った方が、まだ覚悟できるでしょ」
「そう言いながらも、嘘をつく時はしれっと嘘を言いそう」
ロジーヌは果物を受け止めると、少しだけ唇を尖らせたが、それ以上の追及はしなかった。
やがてリリィの変装は終わる。
最後の確認のため鏡の前に立ち、何度かポーズを変えたりしていると、真面目な表情をしたソフィアが戻ってくる。
「国王陛下がお呼びです。ロジーヌ王女と共に来るように、とのこと」
「どんな話になるのかな」
「そこまで難しくはならないはず。だってこっちは子どもだから」
ソフィアについていく形で城内を移動していると、慌ただしく移動する兵士の一団を見かけるようになる。
国王がいるのは、あまり使われていない書斎。
窓も何もない、やや埃っぽいそこは、秘密の話をするにはちょうどいい。
「話は聞いている。三日後、大きな陽動を仕掛けてこの命を狙ってくるようだな」
「ただ、話を盗み聞きしたのが向こうに知られているので、別の日になる可能性も」
「早くなるか、遅くなるか。いずれにせよ、対応できるように備えておこう」
そこまで言うと国王は顎に手を当て、しばし思案する。
そして決意したように頷いた。
「ソフィアには隠れてもらう。状況次第でどこへ向かうか決めさせる。そして……リオ・ウィフくん。悪くない偽名だ。君には、娘の護衛を頼もう。時間稼ぎはできるだろう?」
「いくつか質問が」
「いいとも。言ってみなさい」
「陛下の息子、つまり王女の兄である王子はどうなるんですか?」
「あいつは、状況がどうなろうとも父上が手を回して無事だからいつも通り。私が死ねば、私の命を狙う父上の傀儡になるだけで済む」
この厄介な状況において、王子だけは蚊帳の外。
絶対に安全であるという確信が、国王にはあるようだった。
「そういえば、父である前の王様が自分を排除することを、陛下は知ってるんですね」
「対立はあれど、老いには勝てない。それゆえに父上は私に王位を譲った。だが、それを覆すものがあるからこそ、父上は本格的に動こうとしている」
「魔族と組んでいるらしいです」
「知っている」
ずいぶんあっさりと答えるが、一国の王なら知っていてもおかしくはない。
問題はどの程度知っているか、だが。
「隣国との国境でこそこそ動いているが、これはどうにでもなる。まあ、それもすべて私が勝てばの話ではあるが」
「そこまでわかってるなら、いっそのこと父をその手で排除したりとかは」
物騒な提案をするリリィに、国王は少し目を見開くと、声を抑えつつ笑う。
「はははは……面白い提案だ。その若さでそれが言えるのは、将来が楽しみだな。まあ、そう簡単にはいかない。お互い、会う時は武器を持たないという暗黙の了解がある」
「なんというか、王家ってのは」
「おっと、それ以上はいけない。処罰せざるを得なくなる」
その瞬間、慌ててリリィは口を閉じる。
「さて、今回の騒動が無事に済めば、報酬を支払おう。タダ働きというのは、嫌だろう?」
「それは、はい」
「ロジーヌ。有事においては、リリィ、もといリオの言うことを聞くように。戦場においては、実戦を経験した者の言葉は大事だ」
「わかりました」
話がまとまると、国王が手を差し出すので、リリィも手を伸ばして握手を交わす。
こうして、王都を舞台にした戦いの準備は着々と進んでいくのだった。




