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113話 大人と子ども

 大人と子ども。

 体格差から、同じ剣を使えばどうしても不利になる。


 「よし、まずは足の動きからだ。力じゃ勝てねぇんだ。小さい分、速さと間合いを活かせ。剣は振るんじゃなくて、滑らせるように使え」


 そう言いながら、冒険者の男性が木剣を肩に担いだ。本物を使うと、子ども相手では危ないからだ。

 リリィは苦笑する。なにもかもが懐かしい。記憶に残るあの頃と何も変わらない。


 「幼いサレナの前でやる稽古じゃないよね、これ」

 「うるせぇ、クソガキ。口が動くなら構えを整えろ」


 そうして始まった模擬戦は、まるで昔の追体験だった。

 打ち合い、いなし、踏み込み、跳ねる。

 決して全力ではなく、子どもの体格に合わせて緩急をつけながら、戦いの感覚を刻み込んでくる。


 「いいか、体が小さいなら、相手の死角に潜れ。届かないなら、届くところまで近づけ。それができねぇなら、逃げる選択をすることだ」


 その言葉に、リリィは無意識にはいと返していた。

 頭で覚える前に、体が懐かしさで動く。

 けれど、夢だからか、世界の空気が変わる。


 「……けどな」


 低く、鈍い声が落ちる。

 木剣が、突如鋼のような剣に変化すると、音を立てて振るわれた。


 「お前のそういうところ、昔から気に食わねぇんだよ」


 殺意が、溢れていた。

 目の前の人物は、もはや“教えてくれた冒険者”ではない。

 姿はそのままだが、動きが、空気が、完全に変わっていた。


 「夢が、わたしを消しにかかってるってわけか……!」


 リリィは一歩引き、地面を蹴る。

 体が軽い。

 子どもの体格だから不利なはずなのに、意識は異様に冴えていた。

 何度か剣を交わし、何度か粗末な剣を滑らせてカウンターを試みる。

 地面を滑るように踏み込み、無理やり相手の腕を刈るように動いた。


 「……っ!」


 一閃。手応えは確かにあった。

 冒険者の男性の腕から剣が弾け飛び、彼は膝をつく。

 けれど、その顔は笑っていた。


 「ははっ……やるじゃねぇか。クソガキ、見違えたな」


 その姿が、ゆっくりと煙のように崩れていく。

 言葉と共に、空気ごと、夢の一部が消えていく。


 「覚えとけよ。戦いってのは、命のやりとりだけじゃねぇ。あとな、どう生きたいか、それも武器になる。……まあ、ならない奴もいるけどな」


 空へと溶けていく声が、最後にリリィの胸を打った。


 「……ありがとう。昔、色々と教えてくれて。それと、さようなら」


 そう呟いたその時、景色がまた一度、ゆっくりと揺れ始めた。

 まるでガラス細工を砕いたように、町の風景が崩れ落ちていく。断片化した光景の向こうから、別の“記憶”が染み出すように混ざり込んできた。




 白い石造りの屋敷。 豪奢な調度品。香水のような甘い匂い。

 その中央で、ソファの上に小さな影が座っていた。 


 「リリィ……?」


 茶色い長髪に深紅のベレー帽を被り、茶色の羽毛に覆われた翼を優雅にたたんでいるハーピーの少女レーア。

 クラシカルなドレスと鋭い鳥の脚の対比が不思議な気品を醸し出し、育ちの良さとどこか浮世離れした雰囲気を漂わせている。

 それはリリィにとって見慣れた姿。


 「レーア、そっちは変わらないみたいだね」

 「……だから、余計に厄介なのですが」


 記憶と世界が混ざっている中、レーアは非常に深いため息をつく。

 幼い頃の姿ではないからこそ、困ったことが起きているようだ。


 「あなた一人だけですか?」

 「そうみたい。世界というか景色が変わる前は、わたしの過去で、サレナが一緒にいた。でも今はいない」

 「ならよかったです。見られるのが、あなた一人だけで済むので」

 「それはどういう……」


 首をかしげていると、足音が聞こえてくる。

 それは独特な響きがあるハーピーのもの。


 「とりあえず、そこのカーテンに隠れてください。……お母様が来るので」

 「わかった」


 まだ幼い頃の体でいるため、リリィは小柄さを利用してすぐに隠れた。

 その直後、扉が開く。

 入ってくるのは、レーアの母親であるエリシア。大人のハーピーであり、美しい人物でもある。

 普段は鋭い視線も、今は愛する一人娘の前だからか、どこか柔らかい。


 「ああ、レーア。会いたかった」


 甘さを含んだ声のあと、早足で近づいてぎゅっと抱きしめた。

 力が強いのか、抱きしめられているレーアは少し苦しそうにしていた。


 「お、お母様、もう少し力を弱めてください」

 「そうですね。つい、力が入ってしまいました」


 苦しい抱擁の次は、膝の上に乗せられ、頬をすりすり。


 「あの、もう少し別なものを」

 「仕方ありませんね」


 さすがに色々ときついのか、レーアは別の愛情表現を求めると、次は強制的に膝枕。

 撫でられながら、頬にキスされる。

 その光景をこっそりと見ていたリリィは、思わず口を開けて驚いていた。


 (レーアのお母さん。いくら娘が大好きだからって、これはやりすぎじゃ……?)


 心の中でそう思うも、どうすることもできない。できるのは、ただ見物することだけ。


 「お母様。もう、よちよち歩きをしていたような小さい頃ではないのですが」

 「レーア。私にとって、あなたは小さくて大事な娘のままなのです」


 抗議は効果がなく、それから数十分ほど、母親からの過剰過ぎる愛を受け取ることになったレーアだった。

 母親であるエリシアが部屋を出ていき、やっと自由になれた頃には、その顔には疲れが溜まっていた。


 「どうですか……?」

 「ええと、大変……だったね」


 隠れていたカーテンから出てきたリリィは、なんともいえない表情でそう言うしかなかった。


 「……これが、わたくしの精神的な弱点の再現。お母様の愛情が過剰で、自分の尊厳が削れるという……。もう十五歳なのに」


 ため息を一つ。しかし話は続けられる。


 「リリィ、お母様の恐ろしい部分を教えてあげましょうか?」

 「……遠慮してもいい?」

 「ダメです。年に一度、羽根が生え変わる時が来ますが、わたくしの抜け落ちた羽根の一部は、何歳の時に抜けたか記録がつけられ、保存されています」

 「…………」

 「ちなみにお母様は、わたくしに関する専用の建物を作っており、昔を懐かしむため時々そこに足を運んでいます。羽根以外の成長記録がたっぷりありますよ」


 リリィは何も言えなかった。

 愛してくれる親がいるのは羨ましいことだが、それにしたって限度はある。

 十五歳になったのに、小さい頃と同じように溺愛され続け、しかも生え変わった羽根を毎年保管されるというのは、だいぶ恐ろしい。

 しかも、遠い過去の出来事ではなく、少し前にヴァースの町を出るまで、定期的に起きていたのだから。


 「リリィ、さっさとこの世界を壊してください。わたくしは限界です。しばらくしたら、またお母様がやって来て、きつい愛情を注いでくるので」

 「とは言っても、どうすれば」


 悩んでいると、再び足音が。


 「そんな、間隔が早くなってる……!?」


 レーアが焦っていると、扉が開いてエリシアが再び入ってくる。

 だが、リリィの姿を目にした瞬間、動きを止めて鋭い視線を向けてきた。


 「あなた、私の娘と何を?」

 「レーア、ごめん。試したいことがある」

 「え?」


 自分と娘だけの空間に他人がいる。

 それが嫌なエリシアの様子を見たリリィは、目の前でレーアに抱きつく。

 見せつけるように、じっくりと。

 すると、レーアの世界は崩壊を始めた。


 「うーん……まさかあれが上手くいくとは」

 「わたくしは目覚めるか、他の世界に乱入するか。どちらにせよ、しばらくお別れですね」

 「ま、すぐに会えるでしょ。ちなみに、もし現実で、今みたいなことしたらどうなる?」

 「わかりません。ただ、わたくしに注がれる愛情がきついものになることは確実でしょうね」


 話しているうちに、レーアの姿は消えていき、一度崩れた世界は再構築されていく。

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