112話 夢の中の世界
辺りは騒がしかった。
人々の怒号が飛び交い、殴り合うような音が響いている。
そんな中、リリィは目を覚ます。
「ここは……」
いつの間にか、屋外の裏路地にいた。
巻き込まれては危ないため、立ち上がろうとした。
だが、すぐさま異常に気づく。
自分の体が、幼い頃に戻っていることに。
「幻惑する霧……でもあの時のとは違う」
王都アールムでアリのような魔物が溢れた直後、崩落に巻き込まれたことがあった。
その時、王都地下の深部で、幻惑してくる霧を生む装置と遭遇した。
サレナと共に子どもの姿になったあの時と、状況はよく似ている。サレナ自身は、中身まで昔に戻っていたものの。
「夢か現実か。どちらにせよ……まずい」
争う声が近づいてくる。
リリィは身を翻し、その場を離れた。
前は装置を壊して抜け出せた。だが、今回は違う。あの奇妙なゴーレムを破壊しない限り、霧は消えない。
「孤児か。邪魔だ」
「おーおー、無責任な親のもとに生まれるとか可哀想じゃないか。がははは」
「笑い物にするだけじゃ、あれだ。ほれ、金をやるよ。貧乏人が金を拾う姿を見せてくれ」
目の前に、銅貨が投げ捨てられる。
それを拾うと、再び笑い声があがる。
今のリリィは、孤児として生きていた頃の姿でいた。
だからか、かけられる声はろくでもないものばかり。
そういう状況の中に、放り込まれている。
「……ほんと、悪趣味なゴーレム」
その者が抱える、苦しみに満ちた日々を再現しているのだろう。
そして、その幻惑にかかっているのは、他のパーティーメンバーたちも同じ。
助けは期待できない。
「……に来い」
「うん?」
「こっちに……」
歩いていると、声が聞こえてくる。
ウサギの耳だからこそ聞こえた、小さな声。
それは妖精であるジョスのもの。
リリィが声のする狭い裏路地へ向かうと、そこにあったのは小さな人形。
声は人形から出ていた。
「こちらリリィ。姿だけ昔に戻ってる。そっちの状況は?」
「よし、なんとか連絡ができたか。こっちも姿だけ昔に戻ってる。ま、これでも百年生きてる魔術師だ。精神世界に閉じ込められようと対策はある」
危機的状況とはいえ、それをどうにかできることを自慢気に話すジョスだが、すぐさま真剣な口調で本題に戻った。
「今わかっていることは、あの変なゴーレムが出した霧のせいで、僕たちは精神世界に閉じ込められた。耐性があるなら、僕や君のように外側が変わるだけで済む。耐性がない者は、中身も変わるだろうね」
「このままだと、どうなるの?」
「何も食べることができず、肉体が死ぬ」
「どうすれば、抜け出せる?」
「わからない。だから、強引に意識を引き戻すやり方を試す」
「何をするの?」
問いかけても無言だった。
数秒経ってから、ようやく返事が来る。
「今の状況は、夢を見ているようなもの。だから、他人という“異物”を混ぜることで、夢から覚めやすくする」
「誰と誰の夢を?」
「リリィと、それ以外の三人。僕はあの馬鹿を起こさないといけないから、そちらを手伝うことはできない」
その瞬間、世界が揺れ、砕けたガラスのように空間が崩れ落ちる。
暗闇の中へ放り出されたリリィは、一瞬だけ意識を手放した。
「うぅ……周囲は」
見覚えのある景色。昔のヴァースの町。
一部、遠くに変な歪みが存在するが、それは複数の精神世界が混ざったせいかもしれない。
なお、自分の姿は未だに幼い頃のまま。
セラ、サレナ、レーア。
その三人がどこかにいるらしいので、リリィは歩き始めた。
「まずは……探す必要もないか」
いつの間にか、幼い頃の姿でいるサレナが近くに来ていた。
昔はずっと一緒だった。何をするにしても。
中身も幼い頃に戻っているのか、無気力そうな目が、じっと見つめていた。
「サレナ、どこか気分がよくないところはある?」
「ううん、ないよ」
「なら、歩こう」
一人よりは二人の方が安全。孤児なので誤差に過ぎないとはいえ。
リリィが先導し、サレナがそれに付き従う。
そんな日常がかつてあった。
「何か食べよっか。お金拾ったから」
「うん」
抜け出す術のない精神世界。
だけど、現実よりは安全で、平穏だった。
安いパンを買ったあと、二人で分け合って食べていく。
「サレナ」
「なあに? おねえちゃん」
「何か、思い出したりしない?」
「うーん、なんにもない」
さすがに、すぐに解決とはいかないようで、もうしばらく昔を体験する必要がある様子。
リリィはどうしたものかと考え込むが、またもや世界が変化する。
景色が歪み、パンは消え、代わりに剣を手にしたまま町の外に立っていた。サレナも一緒だ。
「クソガキ。冒険者としてやっていくには、色々なものが必要だ」
「……そうか、夢の世界なら、既に死んだ人間も……」
リリィの前に立つのは、かつて色々と教えてくれた冒険者の男性。
その肉体は病に蝕まれており、時折苦しそうな表情で咳をする。
「ごほっ……黒ウサギは、貪欲さが足りない。俺が教えるのはお前だけだ。白ウサギ」
「うん。サレナには、わたしが少しずつ教える」
貪欲さ。それがあればあらゆる行動を取れる。良いことも悪いことも。
「……いいか、クソガキ。冒険者として生きるってのは、力だけじゃ足りねぇ」
冒険者の男性は、粗末な剣を地面に突き立てたまま、膝に手を置いて咳をこらえながら語り出す。
「必要なのは、三つだ」
人差し指を立てる。
「まず一つ。嘘を見抜く目だ。依頼人の言葉、仲間の態度、モンスターの動き。全部が本当のことを言ってるとは限らねぇ。見た目や言葉に騙されてたら、すぐに死ぬ」
続けて二本目の指を立てる。
「次に逃げる覚悟。勝てねぇと思ったら、さっさと逃げろ。情けねぇって言われてもいい。生き残った奴だけが、次の勝負に参加できる」
そして三本目。
「最後は、腹を満たす知恵だ。金がねぇなら、ゴミでも拾って売れ。パンを手に入れるために、情報を売ってもいい。金があれば薬も買える、仲間も雇える、武器も手に入る。……力がないなら、金と知恵で生きろ」
そう言って、ポケットからしわくちゃの紙を取り出す。
「例えばな。衛兵の交代時間表。欲しい奴に売れば銅貨数枚にはなるし、そいつが盗賊なら口止め料込みで十倍にはなる。こっちの持ち方次第で、ただの紙切れが武器になるんだ」
一瞬、リリィが眉を潜めたのを見て、冒険者の男性は口元を歪めて笑う。
「ははは、賄賂とは違う、交渉の材料ってやつだ。渡すだけじゃダメだぞ。使いどころを見極めろ。……そんで、顔を覚えてもらえ。声のかけ方、名前の呼び方、ちょっとした冗談。そういうのが、生き延びるための道具になる」
その目が、リリィを射抜くように見つめた。
「お前がガキである限り、人に狙われやすい。けど、笑いながらかわす術を覚えれば、それは武器になる。だからな、クソガキ、覚えとけ」
「うん。全部良い感じにやるのは難しいけれど」
「それじゃ、次は戦い方だ。構えろ」
昔を懐かしむようにリリィはかすかな笑みを浮かべると、粗末な剣を構えた。




