103話 複雑な親子関係
イドラのダンジョンには常に冒険者が出入りしており、どこかの階層には必ず誰かがいる。
とはいえ、階層が深くなるほど冒険者の数は減っていくため、リリィたちはサーラに導かれる形で、地下三十階に足を踏み入れていた。
「さて、ここならいいだろう。準備するから、子どもたちは集まっておくれ」
古びた扉の先にある小部屋。
その中でサーラは、床に何やら複雑な模様を書き込んでいく。
「今からやるのは、魔界に繋がる簡易的な門の作成。一方通行だけど、私が同行していれば、帰りも同じように門を作って戻れる」
わずかに不安を感じさせる言葉のあと、魔力によって構成された門が現れた。
門の向こうには、ダンジョン内部とは異なる風景が広がっているのが見えた。
「しばらくは私の言うとおりに動いてもらうよ。怪しまれると終わりだからね」
「それで、私たちはどうすればいいわけ? 待っていればいい?」
魔界には行けないセラの問いに、サーラは頷いた。
「万が一を考えると、ここにいてほしい。帰りに戦闘があるかもしれないから」
「そう。わかったわ」
「そちらは、どれくらいかかる予定ですか?」
「一時間か、二時間。長くはかからないよ」
まずはサーラが門をくぐり、リリィ、サレナ、レーアの三人も後に続いた。
そして門は急速に崩壊し、やがて消えた。
「さて、少し歩くけど、いいかい?」
「大丈夫です」
「こっちだよ」
魔界といっても、その景色は元の世界とそれほど変わらない。
太陽は昇り、雲があり、風に揺れる草木が所々に見られる。
ただ、遠くには巨大な建物の姿があった。
「あれは?」
「そのうち挑むことになるところさ。今のうちに言っておくけど、私がどんな言動をしようが驚かないでおくれ。怪しまれるからね」
「どういう風になるの?」
「見た目通りな感じだよ。演目は家出娘の帰宅ってところかな。うまく合わせておくれ」
肩をすくめながら、サーラは呆れたように頭を振った。
何か思うところはあるようだが、出会って間もないリリィたちには話す気はないようだった。
数分ほど歩くと、何もない場所でサーラは立ち止まった。
しゃがんで地面を何度か叩くと、その一部が動いて地下へと続く階段が現れる。
「行くよ。はぐれないように」
階段を降りた先には、石造りの通路が続いていた。
まともな照明はなく真っ暗だったが、サーラが生み出した光の球が周囲を照らし、視界を確保してくれる。
「ここは?」
「いろんなことを実験しているところ。うちの親父殿が、この施設の責任者でね」
いくつかの扉を開けて進んだ先に、奇妙な部屋が現れた。
そこには金属製のゴーレムが、壁際にずらりと並んでいた。
それを見たリリィとサレナは、表情を変える。
ヴァースの町のダンジョン、その最下層で戦ったゴーレムと、まったく同じ形状だったからだ。
「サレナ、これって……」
「あの時に現れたのは、このゴーレムなのか……」
「なんだい? 戦ったことがあるのかい? 生きているとは運がいいね。たまにデータを取るためにダンジョンに送り込まれるんだ。不測の事態が起きた場合にも使われるけど」
「これ、全部動いたりとかは?」
リリィは恐る恐る尋ねた。
一体だけでも苦労したのに、これだけの数を相手にするとなれば、到底勝ち目はない。
「動かないよ。ゴーレムの維持にはコストもかかる。ここにあるのは予備で、必要な時だけ動かすための準備が施される。今のところはただの金属の塊さ」
「よかった……」
サーラの答えに、リリィは安堵の息を漏らす。
だが、次の扉を通った瞬間、場の空気は一変した。
そこはこれまでと違い、家具の整った、きちんとした部屋だった。
中には、見慣れない機器と、角の生えた一人の男性がいた。
「どうも、お久しぶりです、父さん」
「……横にいる彼女たちはなんだ?」
「友達です。いけませんか?」
「ならいい。お前の部屋は残してある。私の邪魔をしないなら、好きにしろ」
親子とは思えない冷え切ったやりとり。
ただ、友達と紹介されるだけでこんな秘密めいた地下施設に滞在できるのは、リリィたちにとっては困惑するしかない。
「それじゃ、父さんに顔見せも済んだし、私の部屋へ行こうか」
演技を続けるサーラに従い、彼女の父親の部屋を出る。
少し戻ったところにある十字路から進み、突き当たりの扉を開けると、ベッドだけが置かれた殺風景な部屋があった。
「ははは、驚いたろ? うちの親父殿は仕事熱心でね。でも仕事の邪魔をしなければ、わりと寛容なんだ」
「う、うーん……」
複雑な家庭環境。
世界が違うからと言って済む話ではない。
サーラはベッドに腰かけ、自分の体を見下ろす。
髪も肌も真っ白で、赤い目だけが色を持っていた。
「私は、この姿で生まれた。白ウサギな君とは違って、肌まで真っ白だから、まあ色々とあったわけだよ」
異質な外見は、問題を引き寄せやすい。
そのため、人との関わりを避けた生活を送っていたという。
「居場所がなかったから、魔界を出てそっちの世界へ行ったんだよ。侵略の尖兵として、ね」
やれやれと肩をすくめ、頭を振るサーラ。
「姉も人間の世界に来てた。でも普通に暮らして、誰かと結婚して子どもを作って、病気でぽっくりと死んだ。……参ったよ。頼れるか微妙な親に頼るべきか悩んで、結局こっそり姉の子の面倒を見てた」
しばらく自分のことを語ったあと、サーラは大きく息を吐き、目を手で覆って沈黙する。
再び口を開いたのは、十数分が経ってからだった。
「……さて、親父殿が動いたのが視えた。行こう」
「怒られたりしないんですか?」
「血の繋がった子どもってのを利用するから大丈夫」
本当に大丈夫かという疑問は残るが、リリィたちは再びサーラに従った。
先程の部屋に戻ると、そこには誰もいない。
サーラはすぐに謎の機器を弄り始める。
やがて煙が立ち上ると、サーラの父親が険しい顔で戻ってきた。
「何をしている」
「遊んでた」
「……そこをどきなさい」
怒鳴りはしないが、父親は装置を確認すると、サーラの首を掴み、舌打ち混じりに言った。
「愚かな娘のせいで三週間も予定が遅れる。わざとか、偶然か。どちらでも、お仕置きが必要だ」
掴んだ手から放たれた雷撃に、サーラは苦痛に満ちた声を上げ、泡を吹く。
手足が痙攣し、解放された後は床に崩れ落ちた。
「娘の友達という君たちは……見逃そう。どうせ娘に騙されたのだろう」
「は、はい……」
「無駄に長く生きているのに、子どものまま……まったく困ったものだ」
冷たく娘を見下ろす父親の姿に、孤児であるリリィは何とも言えない気持ちになる。
痺れて動けないサーラを引きずりながら外へ出たあと、地上を目指して移動する。
「……はは、私がお仕置きされるだけで済んだのは運が良い。もっとひどいことがあってもおかしくなかった」
「動けますか?」
「まだ、無理だよ。ぐっ……親父殿も容赦ないね」
草原に出てしばらく休んだあと、サーラはゆっくりと立ち上がる。
「さあ、戻ろう。時間稼ぎはできた。ここからが本番だよ」
再びサーラによって門が作られ、全員で元の世界へと帰還する。




