予想外、規格外
パァンッ……パァンッ……という激しい音と、小さな地震のような揺れで私は目を覚ました。
窓から差し込む光が、夜が明けた事を示している。早く起きて怪我人の治療をしないと。……そう思いながら体を起こすが、辺りの風景の違いで思い出す。見るからに高級なバロック調の家具に、天蓋付きのベッド。
──そうだ。私は辺境伯ブレイズ・ウィルドハート様と婚約して……彼の屋敷に来たのだった。
(あれ? ブレイズ様は?)
結婚するまでは絶対に抱かないと言い切ったブレイズ様は、宣言通りその胸を私に貸してくれただけで。私は一晩筋肉を堪能しながら眠ることが出来た。おかげで幸せすぎてよく眠れたのだが、私の隣は既にもぬけの殻だ。もしや魔法で閉じられていたドアが開いたのだろうか?
「フンッ! ハッ!」
リズミカルな掛け声と、何かがぶつかるような激しい音。小刻みな振動の発生源を確認するために部屋を見渡すと。
──部屋の隅にある太い柱に向かって張り手を喰らわせる、上半身裸のブレイズ様がいた。半裸なのはシャツが木っ端微塵になったせいなので仕方が無い。
「あぁ、ローズ起きたのか。おはよう」
私の視線に気がついて爽やかに朝の挨拶をしてくれるのだが。
……何故、柱に張り手?
「おはようございますブレイズ様。どうして張り手をしているのかお伺いしても?」
「これか? 朝は欠かさず鍛錬を積んでいるのだが、なんせこの部屋から出られないから、柱相手に特訓だ。……こうでもしないと耐えられないからな」
何が耐えられないのかは不明だが、とにかく部屋から出られないのは困ったものである。私は昨晩のままの薄い夜着で、ベッドから床へと降り立った。そして部屋入り口のドアをコンコンと叩き、掛けられている魔法の強さを確認する。
「ローズ?」
「ブレイズ様。私、これならどうにか出来るかもしれません」
続いて私はブレイズ様に歩み寄り右手の指先を揃えて、彼の胸元に触れた。朝から鍛錬しているせいかその上半身は汗でしっとりと濡れている。……筋肉の割れ目を汗が伝う様が絶景で、ゴクリと唾を飲んだ。しかも昨晩は石鹸の香りしかしなかったのに、今は汗で少し雄々しい香りも混じっていて。その色香に魅了されて頭の芯が麻痺しそうだ。
「なッ……まさか、まだ足りないと言うのか?」
「はい。だから足りない分の力は私が強化魔法で補います。これできっと魔法陣が吸収できる力を上回るはずなのでドアを殴り飛ばせる……って、どうかしました?」
触れた指先から柔らかな緑色の光を発しながら、ブレイズ様のパワーを引き上げる強化魔法をかけたのだが。ブレイズ様は気まずそうに片手で顔を覆っている。
「あ──……すまない。俺が煩悩に塗れていただけだった」
「煩悩?」
「しょうが無いだろう……可愛かったんだ。昨晩俺の上に跨って胸元に顔を埋めて、嬉しそうに微笑むローズが……小悪魔かつ天使で可愛すぎたんだッ!!」
──ドゴーンッ!! という破壊音が響き渡り、ブレイズ様の拳が柱にめりこんだ。
パラパラと降ってくる天井の欠片と、ミシミシと怪しい音を立てるヒビだらけの柱。
「「あ」」
咄嗟の判断でブレイズ様の胸元に引き込まれた私は、彼の体で落下してきた天井から守られて。更に私が咄嗟に彼が傷つかぬように強化魔法をかけたので、お互い傷ひとつなく無事だった。
◇
「全く……予想外、規格外ですよ!」
天井崩落事件を引き起こした後。私とブレイズ様はこのウィルドハート辺境伯領の家令だという『サイモン』という名の魔術師から説教を受けていた。
私の部屋周辺は使い物にならなくなってしまったので、ブレイズ様の執務室だという部屋に通された。
私はソファーに座るように言われ夜着の上に羽織る毛布を貸して貰えたが、ブレイズ様は半裸だったのでシャツのみ支給され床に正座である。
「ドアから出られないのなら天井をぶち壊せば良いなんて脳筋の発想、誰が考えたのですか!?」
「すまない。悪気は無かったのだがローズの可愛さに耐えかねて、つい柱をへし折ってしまった」
「申し訳ございませんでした。魔法陣が殆どの威力を吸ってくれるつもりでかなり濃く強化魔法を掛けましたので、私のせいです」
まさかあの瞬間にブレイズ様が柱を叩くとは微塵も思っていなかったのだ。
「まぁローズ様は仕方がないでしょう。ただ今後、強化魔法の使い所には気を付けていただきたい。ブレイズ様は力の加減が出来ませんから」
外見年齢50歳程度で魔術師らしいヒョロっとした体型のサイモン様は、指をシュッと動かして私の前にだけ魔法で紅茶を出した。続いて、床に正座のブレイズ様にはタライをひっくり返したような水を浴びせる。水も滴る良い男……うん、良い筋肉。肌に張り付いたシャツから透ける筋肉を凝視してしまう。
「……おい、一応俺は辺境伯なのだが」
「私にとっては亡き旦那様が残した、手の掛かる坊っちゃんのままです。片想いを知っているからこそ御膳立てしてあげたのに……熱が籠っているようでしたから水はサービスですよ」
「うっ……許してくれ。憧れの赤薔薇の聖女が婚約者になった上、俺なんかに愛を囁いてくれただけでもうッ! 限界なんだッ!!」
嫌な予感がしたので継続して掛かっていたパワーアップの強化魔法を解除する。その瞬間、ブレイズ様は握りしめた拳を床に叩きつけた。ダンッ! と激しい音がしたが、床は壊れていない。
「ローズ様、完璧なタイミングでしたね。その調子でブレイズ様の手綱を握れるように頑張ってください」
「は、はい……」
何だろう……私、筋肉ムキムキ理想の婚約者を手に入れたはずなのに。猛獣使いになったような気分になってしまう。
「さて、冗談はこれくらいにして。ブレイズ様は仕事が山積みなのですから仕事をしてもらいますよ」
「あの、私は普段何をすればよろしいのでしょう? 流石にタダで泊めていただく訳にもいきませんし」
私の立場はまだ辺境伯ブレイズ・ウィルドハート様の婚約者。本当ならまだ実家にいて、結婚相手の家に上がるのは結婚式を終えてから。
王宮以外に居場所が無かった私は、ブレイズ様の好意でこのウィルドハート辺境伯邸に泊めていただいているだけなのだ。
「それはもうずっと俺の側にいてくれるだけで……」
「ブレイズ様。いくらローズ様が小柄で愛らしくても、愛玩動物ではないのです。猫可愛がりすれば良い訳ではありませんよ。……ちなみにローズ様は、何が出来ますか? 書類仕事のご経験は?」
「読み書き計算は問題ありませんが、それを仕事にしたことはありません。孤児院で育ちレオン様の婚約者として最低限の教育を受けてからは……ずっと戦場におりましたので」
サイモン様は顎に手を当てて「ふむ」と少し考えて、提案する。
「では、ウィルドハート辺境伯軍の健康管理をお願いしましょう」
「な……! サイモン、それは辞めてくれ。俺の婚約者で、俺だけのローズなのに!」
よく分からないが、サイモン様の案にブレイズ様は反対のようだ。
「ちなみにそれはどのようなお仕事ですか?」
「軍には騎士や魔術師といった多くの人間が所属しております。調子の悪い者がいれば回復し、悩みがある者には相談に乗る。皆が健康であるように気を配るだけの簡単な仕事ですよ」
サイモン様曰く。
このウィルドハート辺境伯領はこのトリタニア王国の一番西に位置するという立地の都合上、常に防衛の為の自領軍を持っている。先の戦ではその一部を国へ貸与するという形を取り、出兵していたらしい。そしてそれを率いていたのが、辺境伯であるブレイズ様という訳だ。
「という事は、素敵な騎士様や兵士様が沢山いらっしゃる?」
「その通り。生憎うちの領は他領よりも魔術師が少なく、騎士や兵士が多い。そんなむさ苦しい者達の健康管理なんて、なかなか続けてくれる人間がいないのですよ」
(つまりそこは素敵筋肉パラダイスね!?)
「やります。そこで働きます。むしろ働かせてください!」
私はもう前のめりになって立ち上がり、挙手したのだった。
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