vsゴリラ
「……ブレイズ様!」
ブレイズ様はゴリラの姿のまま、肩に担いでいた女性をポイっと芝の上に投げ捨てた。
……待って。見るからに高価なドレス纏いぐったりしているその女性、状況的にメルエー国の姫であるアドラ様なのでは?
「アドラ!?」
「和平条約上、面倒な事になるから息はある。まぁ、ローズを返さぬなら、こんな胸糞悪い幻影魔法を使う女など殺してもいいが」
どうやらアドラ様は気を失っているだけのようだ。良かったと思うと同時に、遠隔でアドラ様まで回復魔法を飛ばすように命じられる。私の体がレオン様の言う通りに動く様を目の当たりにしたゴリラはその目を見開いた。
「ローズ、まさか……」
「残念ながら、お前の婚約者は私の傀儡に成り下がったのだ。辺境伯と言えども、王子である私には逆らえぬだろう?」
レオン様はまるでブレイズ様を見下し揶揄うかのように私の肩を抱き、もう片方の手で赤薔薇の形状の水晶を見せびらかした。
「……ごめんなさい。短い間でしたが、ブレイズ様と一緒に過ごした日々は楽しかったです」
私は視線を下げ、謝る。とてもその目を見て発言するだけの勇気は無かった。
「本当に心から愛していました。だからお別れのご挨拶が出来て良かっ……」
「『前方防御魔法!』」
私の言葉をレオン様の怒声が掻き消す。しかし私の体がその命令に反応する前に、隣で私の肩を抱いていたはずのレオン様の体が後方上空へ吹き飛んだ。そして私の体は命令通り自分の前方に無意味な防御魔法を展開する。
一瞬で距離を詰めてきたブレイズ様がその腕でレオン様を殴り飛ばしたのだと理解した時には、吹き飛んだレオン様はその空中からこちらに狙いを澄ませた多量の氷の矢を魔法で生成していた。
(私の魔法で、ダメージが無いんだ……!)
「ゴリラと戦うなんて初めてだが、所詮動物だろう? 碌な魔法も使えぬやつが、私に敵うと思うな」
「ブレイズ様!」
咄嗟に駆け寄って、この身を盾に矢を受け止めようとしたが。
「ローズ、俺を信じてくれ。あんな奴、ブッ飛ばして一緒に帰ろう」
「え……!?」
ブレイズ様は私の前に飛び出して。レオン様が射る氷の矢の雨の中へ──
「ブレイズ様!?」
「──フンッ!」
氷の矢の雨の中に入ったはずなのだが、矢はゴリラの皮膚に刺さることはなかった。まるで弾かれたかのように反射して地面に刺さる。それどころか、そんな中庭園に設置してあるアンティーク調の鉄製街灯を引っこ抜いて……。
「嘘だろう……? おいローズ『私に回復魔法──』」
ブレイズ様の動きが、私にかけられている服従魔法のスピードを凌駕していると理解したレオン様は、攻撃を喰らう前提で私に命令する。そして重力に従って地面に向かい落ち始めた所を……
「──ハッ!!」
ゴリラパワーで全力でぶん投げられた鉄製の街灯が、レオン様にクリーンヒットした。そして王宮の壁に激突、まるで大砲でも打ち込まれたかのような大穴が開きパラパラと壁が崩れる。
(あ……回復魔法が発動していない!)
恐らく衝撃で水晶が壊れ、服従魔法が解けたのだろう。レオン様にかけた防御魔法が切れた形跡はないので、死んではいないはずだ。しかしそうなれば魔法を維持してあげる義理はないのでサッサと魔法を解く。
でも流石にそんな大暴れをしたせいか、警備兵が駆け付けて来た。
「な……赤薔薇の聖女とゴリラ!? 聖女様、これは一体……」
五年間、戦場にいたとは言え王子の婚約者だった私の顔は、王宮で働く者に知れ渡っている。だからこそ油断して私に話しかけてきた兵士に向かって、私は狙いを澄ませた。
「──許して!」
自分の脚力を最大限強化して、兵士の急所目がけて……詳細は可哀想なので省略します。
「……なんと恐ろしい」
ブレイズ様がゴリラから姿を戻し、苦笑する。
やっぱり上半身裸なブレイズ様は、どうやら今回は服を持っていたらしい。先程投げ捨てたメルエー国の姫アドラ様の近くに落ちていた上着を羽織った。
「仕方がありません。無事ブレイズ様と一緒に帰るまで、邪魔される訳にはいかないので」
地面に突っ伏した兵士から剣を拝借して、私はブレイズ様に向かって投げた。難なくそれを受け止めたブレイズ様は──徐にその剣で地面を突き刺す。その剣が刺さった場所では、幻影魔法の粒子がトグロを撒いていた。
「チッ……どうして分かるのよ」
すぐ近くで伸びていたはずのアドラ様が地面に這い蹲るような形で此方を睨み付けている。ブレイズ様はため息を一つ吐いて地面から剣を引き抜いて。彼女に負けない程強く睨み付けた。
「俺が戦場でどれだけこの魔法を見てきたと? しかしお前が見せた幻影だけは許せぬ。命を取られたくなければ黙ってそこで寝ていろ。本当は刺し殺したい位だ」
「一体どのような幻影を見せられたのですか?」
ブレイズ様にそこまで言わせる程の幻影の内容がむしろ気になる。
「本当なら口にもしたくないが、ローズが第二王子と寝屋を共にする幻影を見せられた。……ディティールが細かくて気が狂うかと思った」
「あ──……それは嫌ですね」
同じ筋肉フェチなら仲良くできるかと思っていたのに。どうにも性格が合わなさそうなので……私は今後も一人で趣味を楽しむ事にする。それにブレイズ様の筋肉は……ううん、ブレイズ様は私だけのものなんだから!
「アドラ様、ごめんなさいね。ブレイズ様は私にしか目が無いのよ。諦めて下さい」
私はブレイズ様の逞しい腕に縋り付くようにして。売られた喧嘩にしっかり嫌味を返し、ブレイズ様と共に次の目標へと向かった。
◇
「くっ……あいつ、パワー馬鹿か」
王宮の壁が崩れるのに巻き込まれて一緒に地面に叩きつけられたレオン様が地面から身を起こそうとしたその瞬間。その喉元に剣が突きつけられる。
「ハッ、ただのパワー馬鹿な辺境伯が剣なんて」
「お忘れかもしれないが、俺は五年間も騎士として戦場で剣を振ってきたのだが? むしろこっちが本来のスタイルだ」
「そうですよレオン様。ブレイズ様の手にかかれば……死にますよ」
私はにっこり微笑みながらブレイズ様に寄り添って──その腕に強化魔法をかける。魔術師であるレオン様な分かるだろう。この柔らかな緑の光が、どれ程ブレイズ様の力を強化しているか。
「……ローズ、お前の目的は何だ」
「話が早くて助かります。私の目的は『今後一切私とブレイズ様に手を出さない事』をお約束頂くことです」
だからこそ、わざわざぶっ飛ばしたレオン様を探しにきたのだ。そして魔術師である彼は気配で分かっているであろう。
「……服従魔法か。面白い、王子に向かってそんな魔法を向けるなんて。しかも下手くそだ」
「拒否されるのなら構いませんよ。ブレイズ様がこのまま剣で突くだけです。しかも足がつきにくいように、この剣はこの城の兵の物を拝借しました」
見様見真似で初めて使う服従魔法。レオン様程上手く出来なくたって、私は今後関わらないと言質さえ取れればいい。
私は今後ブレイズ様と幸せに暮らせるならそれでいいの。
「まさか従順だったローズに手を噛まれるなんてな……いいだろう。約束してやろう」
レオン様の言葉に反応して私の手の中に、彼の髪色を模した黄色の歪な結晶が現れた。
これでやっと安心してブレイズ様と帰れる。
「ローズ、こいつに防御魔法を張ってやれ」
「え?」
ブレイズ様の予想外の言葉に抜けた声が出てしまう。
「俺はコイツを締め上げないと気が済まないんだ……ッ」
「は? 待て、私はもう関わらぬと約束しただろう!」
「刺されないだけマシだと思え! 俺のローズにあんな事をしやがって!!」
「何の話だ!?」
(……あぁ、アドラ様に見せられた幻影を今だに根に持っているのね?)
余りにも八つ当たり過ぎて少々可哀想だったので、割と強めにレオン様に防御魔法を張ってあげたのだが。私の服従魔法が効いているので、レオン様は反撃出来ずされるがままだ。
──そのうち防御魔法は粉粉に砕け散り、生身で再び王宮の壁に打ちつけられる展開になったのは……うん、レオン様の自業自得ということにしておこう。
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