巨大な毛玉!
めちゃくちゃに大きなもふもふが降ってきた。
召喚陣の横にぼとりと落ちた毛玉は全身真っ白。
あんまりふかふかしているものだから、どこが手足かすらあやふやだ。
長い尾があるため、かろうじてそちらが頭とわかる。
そんなもっふぁりとした頭のてっぺんに立つふさふさの耳は、天井にぶつかりそうになっていた。
――異世界の動物って大きいなあ。
シバ子がびっくり目をまるくする後ろで、ばたばたと倒れていくのは神官たちだ。
畏まりきっていた神官たちは、みんな泡を吹いて床の上。レイ奈があんまり美人だからと緊張するのはわかるけれど、獣が大きいくらいで気を失うというのがシバ子にはよくわからない。
――この獣、こっちの世界では一般的なサイズじゃないの? もしかして巨大な毛玉の塊がそんなに怖かった? もしかしてもしかして、すごく危険なのかも!?
だったらレイ奈を守らなければ。
シバ子のお姉ちゃんメーターがぎゅんと上がる。
一見、大きいだけのもふもふに見えるがここは異世界。
レイ奈の身に危険が及ぶ可能性があるなら、排除してこそ姉である。
――召喚陣の向こうにこの毛玉を行かせないためには、陣を破壊すれば良い。
召喚陣の構造など知らないシバ子だが、周囲にきらめく文様の羅列が意味を持つことは感じ取っていた。
つまり、その羅列を破壊すれば陣は機能しなくなる。
ということで、一発殴ろうと拳を握ったその時。
「神だ……!」
ベイリアの吐息のような声が聞こえて、シバ子は動きを止めた。
「神? ああ、そういえば、いろんなところになんか大きい像があったっけ」
あれは神さまの像だったのか、と納得。同時にシバ子はベイリアの腕をすり抜けていた。
なぜなら巨大なもふもふが召喚陣に向かっていたから。
それを目にした一瞬、シバ子の脳内はセキュリティモードへと切り替わる。
何に対するセキュリティかは、言うまでも無い。
「うちのかわいい妹に用があるならっ」
召喚陣に飛び掛かるもふもふ目掛けて、踏み込む足に迷いはない。ぶおんと振り回される巨大な尾の下を華麗にすり抜けて、毛玉を追い越す。
「お姉ちゃんを通してからにしてください!」
目一杯の主張とともに、シバ子は召喚陣の前に両腕を広げて立ち塞がった。
すべてはかわいい妹を守るため。
――たとえこの身が朽ち果てようとも!
「シバ子っ!」
ベイリアの悲痛な声が、シバ子の胸に罪悪感をちらりと産んだ。
だがすでに引くには遅すぎる。
――だったら全力で受け止めるまでっ。
せめて、と踏み締める足に力を込めた。
そんなシバ子の胸に巨大な毛玉が激突する、かと思われた時。
『ステイッ!!』
鋭い声が飛んで毛玉がびたりと急停止。
ふかふかの毛玉から飛び出しているのは、ピンと立った耳と尾だろう。
緊張しているのか、ふわっとしていた毛が逆立っている。
――レイ奈の声で止まった……。
その光景に、シバ子は見覚えがあった。
レイ奈は人にも好かれるが、動物にも好かれる。
不審な相手であればもちろんシバ子が撃退するし、襲いかかってくる危険な動物であればシバ子が守り抜く。
けれど、なかには危険性が判断しづらい動物もいる。
その筆頭が犬だ。
レイ奈を見かけるなり駆け寄ってくるのはまあ、理解できる。レイ奈があまりに愛らしいから仕方のないことだ。
が、そこに敵意があるのか単純な好意なのか。
一瞬で見極めるには獣の表情は読み解きにくい。
そして間近まで接近を許してしまったとき、犬が飛びつこうとするまさにその時に、レイ奈が言うのだ。「ステイ!」と。
――この毛玉の止まりっぷりは、あの犬たちそっくりだ。
ということは、この国の神さまは犬なのだろう。
そうとわかって見れば、立派な毛皮に包まれた犬、あるいは狼のようなフォルムに思えてくるから不思議だ。
――こんなに大きいとお散歩が大変だろうなあ。
シバ子がまじまじと目の前の毛玉を観察していると。
『まったく。いまだに落ち着きが身に着かないのですか。百年前に私がなんと言ったかも忘れてしまったのでしょうね』
心底あきれた、と言いたげな声でレイ奈が言った。
『その様子では私がそちらへ戻るのは、まだまだ早いようですね?』
続いた言葉に、毛玉に衝撃が走る。
いや、衝撃が走ったのは毛玉では無い。シバ子だ。あるいはベイリアだ。
なぜなら、天井まで届きそうなほどの毛皮の塊が瞬きの間にかき消えたから。
代わりに、シバ子の目の前に現れたのは長身の青年。
いや、美青年だ。
白い長髪に白い衣、白い肌。全身真っ白な中で瞳だけが黒々と艶めいて、ひどく目をひく。
艶やかな髪がところどころ跳ねて、耳や尾のようにやわりと揺れる。
全身が白いせいだろうか、ただそこに立っているだけで神秘的だ。
長い白髪を遊ばせたその人は、シバ子など見えていないかのようにふらりと前へ。
「シバ子!」
びっくりして立ち尽くすシバ子と青年がぶつかる寸前、ベイリアが慌てて手を伸ばす。
シバ子を腕に包んだベイリアのその横を青年はふらりふらり、べしゃり。
召喚陣にすがりついた途端、神秘的な気配は消し飛んだ。
「うぅ、レーナはよう戻って来い! 我をなでなでせい!」
いかなる力が働いているのか、召喚陣の向こうには行けないらしい。
触れられないレイ奈にすりよって、涙目の美青年がくぅんと鼻を鳴らす。
その様はまるで、子犬のよう。
大概の人間は庇護欲をくすぐられるだろう。シバ子からすれば幼児期のレイ奈ほどではないな、というレベルだが。
当のレイ奈は、魔法陣の向こうでじとりと目を細めている。
凍てつくような視線をしていても麗しい。不機嫌に吐き結ばれた唇さえも艶やかだ。
そんな唇がふわりと動いて。
『相変わらずのようね、この駄犬が』
吐き出す罵倒すらも鈴の音のようだと、シバ子はうむうむ頷いた。