vs現地生物!
本日二話目の投稿です。
シバ子が飛びあがった瞬間、影の落ちた地面ごと沼竜がばくりと食らう。
大きく抉れた大地に「わお」と目を丸くしたシバ子は、沼竜の頭上に着地した。
「硬いなあ」
つま先を打ち付けた頭頂部がこんこんっと鳴るのを確かめて、シバ子がつぶやく。
そうしている間にも、沼竜は獲物に食らいつこうと勢いよく頭を振り上げた。
「ありゃ」
ぽーんと放り出されたシバ子は宙を舞う。
シバ子に翼はなく、都合よくぶらさがっている蔦やロープもありはしない。異世界に来たからといって、特別な力を手に入れたなんてこともないようだ。
放り上げられた身体は間もなく落下しはじめ、落ちる先では沼竜が赤黒い口を開けて待ち構えている。
「おや、もう終わりですか。聖女の香りを感じたのは気のせいでしたか?」
離れたところに立つ御使いが首をかしげて見守るその先で、落ちるエサを迎え入れるため、沼竜の口がばちんと閉じた。
はずだった。
「っとう! やあ!」
直立姿勢で落ちていたシバ子は沼竜が口を閉じる瞬間に身体を丸める。ぎりぎりまで折り曲げた脚のつま先を鋭い牙がかすめたときには、シバ子は沼竜の鼻づらを踏みつけて大きく飛びあがっていた。
「うりゃあ!」
勢いよく飛んだシバ子は張り出した木の枝をつかみ、一回転。回り終えるタイミングで手を離し、枝に着地した。
特別な力はない。なぜならただの聖女のお姉ちゃんだから。
特別な力はないけれど、シバ子には飛び抜けた身体能力があった。
――レイ奈を守るために鍛えた身体! レイ奈のお姉ちゃんだと示すために使わずして、いつ使うっ。
「おやおや、ずいぶんと身軽なこと。まるで猿ですね」
笑う御使いの横を沼竜がどたどたと駆け抜ける。
よだれをこぼす肉食獣が一直線に目指すのは、シバ子のいる木だ。
巨体に似合わない速力を見せた沼竜は、木の根元にたどりついても勢いを落とさない。それどころか、太い四肢の先に並ぶ鋭い爪を木の幹に突き立て、登りはじめる。
太い木だ。太いが、よじ登るのはあまりに巨大な沼竜。
一歩、一歩と登るたびに木はたまらないとばかりに、左右に大きく揺れ動く。まるで地震だ。
幹の振れ幅は木の上に行くほど大きくなり、中ほどより上にいたシバ子は慌てて幹にしがみつく。
「わ、わ、わ! トカゲって木登りできるんだ!」
「トカゲではないですよ。沼竜です」
「わあ!」
突然、耳元で聞こえた爽やかな声に驚いて、シバ子は思わず足を踏み外す。
細い枝の上、足を踏み外せばどうなるか。
答えは簡単。ころりと落ちるのである。
――あ、やば。
内心で焦ったシバ子は、素早くあたりに視線をやった。
落ちていく途中で手が届きそうな枝はない。
気を効かせて垂れ下がる蔦も見当たらない。
――ラッキーなのはトカゲの真上に落ちないだろうこと。トカゲがあたしに気づいてないこと。アンラッキーは着地した後、すぐに動かないとトカゲが飛び降りてきたらぺしゃんこにされること……。
シバ子がいくら身軽でも、二階ほどの高さから飛び降りたなら、着地の衝撃から立ち直るのに時間がかかる。
とはいえ、すでに落ちはじめている身でできることはそう多くない。
――よっし、気合いれて着地からの前転で衝撃を逃がしてそのままダッシュ! これでいこう。
腹をくくったシバ子は、落下に備えてひざをわずかに折り曲げて。
「おっと」
ぎゅう、と身体を襲ったのは思っていたのと違う衝撃。
しなやかな硬さと人肌の温もりがシバ子を包み込んでいた。
そしてその腕の主は。
「おおお、御使い!?」
御使いが、シバ子を腕のなかに抱きしめていたのだ。
地に触れるすれすれの空中で、彼はシバ子を抱き込んで浮いている。
「あたし、捕まってるんですけど!」
「捕まえないとあなた、地面に衝突するでしょう。ボクはあなたの力を見たいのであって、ひき肉にしたいわけではないのです」
「んんん? 聖女のお姉ちゃんだって認めさせきゃだめじゃないの?」
訳が分からない。
首を傾げたシバ子の首元に、御使いが鼻を埋める。
すんすんすん、遠慮もなにもなく思い切り匂いをかがれて、さすがのシバ子も顔が熱くなる。
「うーん? 確かにかすかながらも聖女の香りがある。というのに、身軽ではあるけれど特別な能力は無さそうなわけで」
不思議そうな御使いが顔をあげたすきに、シバ子は彼の腕から抜け出した。
すぐそばの地面に降り立ち、赤い顔で抗議をする。
「やいやいやい、御使いさまか何か知らないけどね! 初対面のレディのく、くくく、首に! 鼻を押し当てるなんて、よろしくない! ほんとによろしくないっ。あたしのかわいいレイ奈にそんなことしてみなよ、お姉ちゃん、怒るからね!」
むん、と胸を張るシバ子に、御使いは目を丸くした。そして整った顔をくしゃりと笑みで崩す。
「ははは。ずいぶんと小柄ではありますけど、淑女ですか。これほどに活きの良い淑女は初めてお目にかかりますね」
「む」
笑う御使いにシバ子が戸惑ったとき、木を登っていた沼竜が獲物の不在に気が付いた。
ぐるり、頭が動いて地上のシバ子を見つける。
沼竜からシバ子まで近くはない。けれど両者を隔てるのはトカゲがのぼった木の高さぶんだけ。
つまり、沼竜が飛び降りればその距離は一瞬で埋まる。
それはシバ子にも、沼竜にもわかる簡単な話。
巨体が宙を舞った。
大きな影がシバ子と御使いの上に落ちる。
一瞬の後、沼竜の巨体の下に押しつぶされるであろう、その時。
「逃げるよ!」
そっと差し伸べられた御使いの腕を逆に握り込んで、シバ子は跳んだ。
沼竜が今しがた、飛び降りた木を目がけて全力で跳躍した。
獲物へと飛びかかった分、振ってきた沼竜と木との間にはすき間が生まれていた。
シバ子はそこを目がけて飛び込んだのだ。
どぉん、と沼竜の顎が地面にぶつかる。
獲物を食べることだけに意識を向けていた巨体は、身構える余裕もなく打ち付けられた。
ずううん……。
重い地響きを立てて沼竜の身体が地に伸びる。
脳震盪を起こしたらしい。長い尾の先までが力無くぱったりと落ちるのを見守って、シバ子は詰めていた息を吐いた。
「そろそろ離していただいても?」
「ああ、ごめんごめん」
油断なくしゃがんだシバ子の胸元に抱き込まれていた御使いが声をあげる。
シバ子が腕を緩めると、み使いはその場にすっと立ち上がった。
向かい合う形で立った御使いは、指を三本立てる。
「三つ、確認したいことがあります」
「うん?」
「ひとつ、あなたに不可思議な能力はないように見受けられました。これは間違いありませんか?」
「うーん。たぶん無いね」
シバ子はふつうの女子高生だと自覚している。
身体能力がちょっと高めではあるものの、魔法が使えるわけでもなければ並外れて力が強いというわけでもない。
「妹がスペシャル超絶かわいいのがあたしの最大の超お得ポイントではある!」
むん、と胸を張って妹自慢をするシバ子に、御使いは「そうですか」とあっさりしたものだ。
「二つ目ですが、あなたの妹さんが聖女というのは、ご本人がそうおっしゃっていたのですか?」
「うーん?」
聞かれて、シバ子は記憶をじっくりとさぐる。
かわいい妹のことを思い出すのは得意なのだ。
「レイ奈、こっちに来るための魔法陣を見て言ってた。いつかは戻らなきゃ、って。それから、あたしが飛び込んだ魔法陣を用意した人たちが『聖女を呼ぶための魔法陣』だって言ってたから、うん」
「聖女と目される妹君のそばにいたわけか。それであなたから聖女の匂いがするのか……?」
言いながらも、御使いは納得しきれない様子。
けれどシバ子が食いついたのは別のところ。
「レイ奈ちゃんの匂い! それってあれでしょ。花みたいにふわわわ〜って良い匂いでさ、かいだ瞬間ほわわわわ〜って幸せな気持ちになって、なーんかわかんないけどにこにこしちゃうやつ!」
容姿性格頭脳、どれをとっても最高の妹であるレイ奈は、まとう香りまでも最高なのだ。
それも格別、香水をつけているわけではなく、同じシャンプーコンディショナー洗濯洗剤を使っているシバ子は無味無臭なあたり、レイ奈が持つ彼女自身の香りなのだから驚きだ。
「天然であの芳香だよ? 信じられる? 信じられないでしょ、でもね、あの子に会ったらわかるから。うわめっちや良い匂いってわかるから!」
「たしかに、神の最愛は花のような香りをまとっておられました。あなたの話しを確認する術はないので、その件は保留としておきましょう」
熱弁するシバ子に御使いはつぶやくと、微笑んだ。
「三つ目に。なぜ、僕を助けました?」
「なぜ?」
問われたシバ子の頭の中では色んな情報が飛び交った。
ーーなぜってええと、トカゲが飛びかかってきて。いやでもそのトカゲをけしかけてきたのはこの人なんだけど。この人ってそういえば人なのかな? 御使いって言ってたけど、この世界は神様が実在するってこと? 聖女がいるんだから、神様もいるのかも。
しかし、何を隠そう、シバ子は深く考えるのが得意ではない。
そんな頭で考えて、流れるように行きつくのはいつものところ。
ーー聖女……レイ奈は元気にしてるかな。
最愛の妹に思いを馳せた結果、シバ子は考えることを放棄しにぱっと笑う。
「だってそこにいたから!」
今度は御使いの青年があっけにとられる番だった。
「……なぜ? なぜ、そこにいたからという理由だけで、自身に有益でない相手を助けるのです。その行動によってあなたが得るものはなんですか。僕にはむしろ、自身が危険にさらされる行為であったとしか思えません」
「ええ? また『なぜ』って言う。いいじゃん、アタシはそこにあんたが居たから助けたの。そんで、あんたを助けたけどアタシもあんたも怪我はなし。怖いトカゲもノックアウトできた。ラッキーでハッピー、めでたしめでたし!」
薄い胸を張るシバ子は、心からそう思っていた。