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2-3 師匠





 翌日、目が覚めてから、珠里はしばらく天井を見つめていた。

 春になってきた頃の朝の若干の肌寒さを感じながら、ぼうっとする。寝起きの部屋はもちろん、皇帝のためだけの寝所だった。

 寝台には、慣れないような、でもどこか懐かしいような香りが染み込んでいた。

 その影響か、久しぶりの皇宮で濃い一日を過ごした影響か、皇宮で天栄と会っていた頃の懐かしい夢を見た。


「珠里様、お目覚めでしょうか?」

「……蝶翠」


 燕家からついてきてくれた侍女の声に、珠里はのろのろと身を起こす。


「?」


 起き上がった拍子に、頬を伝う冷たい感覚に気がついて、珠里が頬に触れると指先が濡れた。

 ぼんやりと指先を見つめていると、目元を布で拭われそちらを見ると、蝶翠が気遣わしげにしていた。


「こちらの護符も、しっかりお持ちになっていてください」


 珠里の傍らに落ちていてしまっていた小さな飾り袋を拾い上げ、蝶翠が差し出してくれる。ありがとうと言いながら受け取ると、手を包まれた。

 いつも冷静そうに見えて、長兄に負けず劣らず心配性な侍女だ。だから、ここまで着いてきてくれた。そんな彼女に、珠里は全て強がることはせず弱い微笑みを浮かべた。


「皇帝って、大変ね」


 ねえ、天栄。



 完全に皇帝の装いになる前に、部屋で朝食をとるべく隣の部屋へ行くと、すでに武官の衣服をきっちり身につけた虎月がいた。

 出てきた珠里に気がつくと、彼は一礼して、「失礼」と前置きして覗き込むようにした。


「よくお眠りになれましたか?」


 涙の跡なんて蝶翠が完全に消してくれているだろうに、とっさのことでうろたえた内心を隠して、珠里は微笑んでみせた。


「まあまあね」

「何か、環境で合わないところでも? 枕ですか? それとも燕家では寝るときに焚く香の類いがあったりしますか?」


 あまりに虎月が気にしている様子で、それが優しすぎる内容だったために、何だかおかしくて珠里はくすりと笑ってしまった。

 すると虎月はきょとんとして、それからどことなくほっとしたようにわずかに笑んだ。



 昼になり、高官たちと会う仕事に区切りがついた頃、例のごとく部屋に篭ったふりをして珠里として出てきた。今度は女官ではなく、道士の服だ。

 道士たちの詰所に行くと、虎月のような武官も多く出入りしていた。道士の仕事は国軍と連携するものもあるので、国軍の詰所に隣接しているくらいだ。それゆえだろう。

 珠里と虎月は、とある部屋が見える位置にある物置に身を潜め、木の格子がはまった窓からこっそり部屋を見張ることにした。


「珠里様、『彼』には事情を話すのですか?」

「いいえ。言った通り、彼は燕家に一時期出入りしていて便宜も図ってもらえると思うので、今回はちょっと協力してもらうだけです」


 窓の外から目を動かさず、珠里は答える。


「話さなくてもその用が済みそうなので、話しません。無闇に秘密の共有者を増やせば、秘密は薄くなるものですから」


 そのあと妙な沈黙が落ちたように感じて、ちらっと隣を見ると、同じく見張っていたはずの虎月が、見張りそっちのけで珠里を穴が開きそうなほどに見ていた。


「な、なに?」

「……いえ。確かに、そうだと思います」


 なぜにそんなにこちらを見ていたのかは言わずに、虎月は窓の外に視線を向けた。

 何か変なことを言っただろうか? 珠里も首を捻りつつ、前に目を戻した。


 そうして虎月と見張り続けること、半刻ほど。


「来た。よし、一人みたいです」


 見続けていた部屋に、一人近づいてくる男がいた。すかさず物置を出てささっと近づき、後ろからそっと声をかける。


楽燿らくよう様」


 呼び掛けに、道士の衣服に包まれた背中がぴくりと反応し、首筋の辺りで組み紐で一つに纏められた長い黒髪が揺れた。


「──珠里か?」


 紫の瞳が珠里と、それからその側にいる虎月を映す。

 さく楽燿らくよう

 目的の人物は、四十代頃の男性だった。冴え冴えとした容貌は同年代の同姓と比べると華がある。

 彼は周りをさっと確認しながら、「入れ」と珠里と虎月を近くの部屋に促した。入った部屋であり、珠里と虎月が見張っていた部屋でもあるそこは、副道士長の執務室だった。


「お久しぶりです」

「挨拶はいい。なぜここにいる?」


 楽燿は大抵そうであるように、仏頂面を珠里に向けた。


「先日起こった『例』の件で。陛下はあまり人を信用しないので、従姉の私が呼ばれました。道術を学んでいるのが耳に入ったようです」

「……なるほど」


 道理で、と楽曜は虎月の方に視線を移した。


「そちらは、陛下の護衛の任にある皓虎月殿とお見受けする。副道士長を承っております、朔楽燿です」

「存じています、朔副道士長」


 互いに顔と名前を知っているようだが、直接話すのは初めてらしい。


「虎月様、実は朔楽燿様は私の道術の先生なのです」


 父は珠里が武官になることも道士になることも反対派だから、珠里が道士になれるようにと手配してくれたわけではない。

 邪気や穢れを見る珠里の目は道術とは切り離せないと考え、基礎を学ばせてくれたのだ。

 一時期楽燿は燕家に出入りしていたが、今はしていない。なので現在の珠里の道術の勉強は独学だ。


「それで、何用だ?」

「お師様、お願いとお聞きしたいことがあります」

「お願いと聞きたいこと?」


 楽燿が黒い眉をぴくりと動かす。


「一時的に、私が道士として動き回ることが出来るようにしてほしいのです」

「陛下がお呼びになったのであれば、万事整えておられるのでは?」

「いえいえ、餅は餅屋だと放り投げられました。昨日は女官姿で動いていたのですが、さすがに限界があります」


 苦笑してみせれば、楽燿はため息をついた。


「仕方ない皇帝だ」


 にわかに後ろの棚を探り始めたかと思えば、楽燿は「今の発言はこれに免じて内緒に」と、紐のついた木の札を差し出してきた。道士の印だ。


「ありがとうございます」

「ただ、道士長に話が及べば、私に面倒事が来るのでくれぐれもこっそり動くように。……まあ、誰かに問われれば私の名を出しなさい。私の弟子として勉強させているとでも言う」

「重ね重ねありがとうございます、お師様」


 道士の証を胸に抱き、珠里はぺこりと頭を下げた。


「お願いはそれだけか?」

「もう一つお願いと、聞きたいことがあります」


 何だと楽燿は手振りで珠里を促した。


「お願いは、道士の今回の皇帝暗殺未遂の調査記録と五年前の先帝暗殺の調査記録をお貸しいただきたいということです。貸し出し先は皇帝で構いませんので、とにかく公にするとなると私も動きにくいので」


 五年前の、と聞いて楽燿は眉間に刻むしわを深くした。

 朔楽耀──彼は、実は先帝皇后の兄だった。


「……今回のものは分かるが、なぜ五年前のものもなのだ。先代皇帝陛下の折と今回、関係があると考えているのか?」

「五年前の暗殺犯は捕まっていません。陛下が関連性を調べよと。それに近頃、怪が都に出没していると聞きます。五年前もそうでしたよね?」

「この時期は元より結界の張り直しの時期だというのがある。一体入って来れば続いてしまう」


 はぁ、と楽燿はため息をついてから、「分かった」と言った。


「ありがとうございます」

「構わん。どうせ私がせずとも入手は出来るだろう。入手手段が変わるだけだ。おまえが皇帝の我が儘に振り回されて目をつけられないようにしてやろうというだけだ」


 持ってきてやるから少し待てと、楽燿は部屋から出ていき、そして戻ったときに数冊の書物を持っていた。机の上に差し出されたそれを、珠里は受け取り懐に仕舞う。


「聞きたいことも、それに関してか?」

「はい。今回陛下の部屋の調査が行われたと聞きました。お師様なら現場を見られたのてはないかと思ったので、実際の話をお聞きしたく。呪いの主が分からなかったとか……」

「そうだ。呪いの媒介として仕込まれたものなども見つからず、その場に残った呪いの残りからでは追えなかった」


 呪いの媒介とは、人の怨念などの穢れが強く籠った『もの』のことだ。呪物とも言われ、意図せずして出来たものと、人を害するために故意に作られたものが存在する。

 歴史上の暗殺には、故意に産み出した呪物が使用された例が多くある。そういった呪物を産み出すのは、道術を悪用する呪術士と呼ばれる者たちだ。


「現在、調査の方は」

「停滞しているな。これ以上調べようがない」


 事実上、調査終了状態だという。


「お師様でも、追えないのですか……」

「あまり私を買い被るな。副道士長とはいえ、道術の腕が二番目に良いからなるのではない。その他の能力を合算した上での地位だ」

「ですが、お師様の家は代々伝わる道士の家系で、あの仙人に迫ると言われる呂道士の血筋です。父から、お師様はその再来と言われていると聞いていますが」

「再来であれば五年前の呪いの送り主も突き止めてみせただろうさ。私も五年前の調査に加わっていたのだぞ?」


 五年前、皇帝に嫁いだ自らの妹も死んだ事件の調査で、道士が成果を挙げられなかった事実を、楽耀は自嘲した。


「もういい。……まったく、子どもが下手に大人を誉めるものではない。それで、聞きたいことももう一つくらいあるか?」


 楽燿は辟易した様子で珠里の言を遮り、話題を強引に切った。何とも言えないでいた珠里は、眉を下げながら「ではもう一つ」とこの流れでは少々言いにくいのでそっと聞く。


「五年前の先帝暗殺の際に行われた調査の当時の現場の状況をお聞きしたく……」

「当時か……確か事が事ゆえに指揮を取ったのは最初は道士長。その後……その記録を見れば分かることだが、理由あって副道士長が指揮を取った。当時三席だった私も先ほど言ったように調査に携わったが……さて、具体的にどこで何をしたか」

「覚えておられないのですか?」


 楽耀と先帝皇后の仲をよくは知らないが、まさか、妹を亡くした衝撃で……。


「それを見れば私がどこを担当していたかは書かれているだろうが……何しろあちこちに呼ばれて走り回っていた。どこもかしこも穢れだらけでな。まともな調査ではなかったと思った方がいい。あのとき、正常な調査結果が出るような状態ではなかった。呪いの穢れ、怪の穢れ、死人が出たことによる穢れ、全てが混ざり合い、気の流れは滅茶苦茶だった。今もその影響は残っている」


 それが楽耀の誤魔化しだったのか、どうか。珠里は深堀しないことにした。


「都に怪が出るというのも結界張り直し中による偶然と考えるより、それが影響している部分があるかもしれないな」

「なるほど。──お師様、お願いを聞いていただき、貴重なお話をありがとうございます」


 珠里は立って礼をした。

 対して楽燿は「大したことではない。それを出来る限り早めに返してくれればそれでいい」と珠里に渡った調査記録を示した。

 そうして珠里と虎月がこれ以上の長居はいけないと、副道士長の執務室を出るときに、珠里は楽燿に呼び止められた。


「道士の真似はほどほどに。赤座様もよしとは思われていないだろう。我々道士が調査して追えなかったのだから、適当にして陛下には納得してもらいなさい」


 その子どもをあやすような、妹でもあやすような言い方に思うところがなかったわけではないが、皇帝の命令に仕方なく来た風な言い方をしたのは珠里だ。


「……はい、お師様」


 大人しく頷いた珠里の頭を、いい子だ、と楽燿は軽く撫でた。








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