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2-1 護衛の正体




 いつの間に、腰に帯びていた剣を抜いたのか。おっかなびっくり珠里が目だけ動かして見ると、虎月の腰にはやはり鞘だけが残っていた。


「な、何事ですか虎月様」


 さすがに動揺して、珠里は軽く後退る。

 天栄が信用した人だ。完全に疑いなどもっていなかったのに、なぜ剣を向けられているのか理解できなかった。


「? この部屋に残る穢れが影響している可能性がありますから、念のため払ってみましょうか、と」


 ところが虎月の方が、うろたえる珠里の様子に目を丸くした。


「は、払う? ……虎月様、道士でいらっしゃるのですか」

「いいえ」


 それにしても、なぜ剣? などと、やはりまだ状況に追い付けていないながら尋ねたが、珠里は返ってきた答えに怪訝に思った。なら本当になぜ剣?


「では、どうやって?」

仙獣せんじゅうの力を使いますが」

「仙獣」


 さらりと言われた単語を、珠里はほぼ無意識に復唱する。

 全く状況が飲み込めていない珠里の状態に、虎月がぱちぱちと瞬き、そのまま数秒二人は見つめ合う。

 そうして、虎月はようやく珠里が何も分かっていないと読み取ったらしい。


「……そういえば、申し上げていませんでしたか。言っていなくても問題ないことなので、優先順位が大分低く設定されていたことを忘れていました」


 そそくさと剣を下げ、虎月は「すみません、驚かせてしまいました」と心底申し訳なさそうにした。


「珠里殿、俺は白虎の仙獣戦士です」


 明かされた事実一つで、あらゆることが珠里の中で腑に落ちた。

 仙獣戦士とは、人ならざる怪と戦う人のことだ。

 昔々、神仙から遣わされた五の仙獣は、人に宿り、その力を与えることで現在も役目を果たしている。

 燕家の嫡男、暁雲も朱雀の仙獣戦士だ。それもあって燕家にいる珠里も、仙獣戦士の特性を知っていた。


「ああ、それで……」


 神仙の使いである仙獣の化身と呼ばれる仙獣戦士は、呪いをはねのける性質を持つ。どうりでそこらを漂う邪気が遠巻きになっていたのだ。


「ですが、仙獣戦士は人の呪いは専門外ではありませんでしたか?」

「よくご存知ですね。その通りです。ただ、人に定着する前のものなら力業で払うことはできます。所詮穢れであることに間違いありませんから。それにここに漂っているものは呪いの残滓ですから、人に定着しようという強い『意思』はもうないかと思うので、塵のように払えると思います」


 なので試すだけ試しますか?と虎月は刃の切っ先を下に向けたまま、剣を上げてみせた。


「そんなことに仙獣の力を使っていただいても良いのでしょうか?」

「そんなこと?」


 虎月は、おかしそうな微笑みを浮かべたから、珠里は驚いた。


「人を守るためにこの力があるのです。些細な呪いの残滓であれ、怪を払うのとそう重要度は変わりませんよ、珠里殿。──何より珠里殿、今の俺はあなたを守る役目を仰せつかっているのですから」

「……陛下を守る役目だから、今『陛下』である私を守るのでは?」

「いいえ、陛下からは『あなた』を守るように言われました」

「陛下が?」

「はい。『燕珠里を──僕の従姉を守れ』と」


 虎月の青みがかかる黒の瞳が、珠里を真っ直ぐに見つめていた。

 天栄……と、五年会っていない存在を思い浮かべ、胸が苦しくなって珠里は目を伏せた。


「そう、でしたか」

「はい。では、払うだけ払ってみますね」

「……お願いします」

「驚かれるかもしれませんが、決して斬りませんので安心してください」


 す、と虎月の表情が無になり、その手が改めて剣を構える。

 わずかに、彼の瞳に異なる色が過った。

 その瞬間、刃は珠里に向き、一閃。

 珠里は自らの体に刃が通ったと思った。実際には痛みはなく、風が体を駆け巡っていったような不思議な感覚がしただけだった。

 瞬きしたあとには、虎月がすでに鞘に刃を収めていた。瞳も元通りの色だ。


「本当に、動じませんね。斬られたと思いませんでしたか」

「はい、確かに。ですが、虎月様は斬らないと仰ったではありませんか?」

「それでも動じて身動きするなり、気が動転する者がほとんどです」

「そうなのですか。まあ、そもそも虎月様は私を斬らないと信じていますから」


 しかし不思議な感覚だったなぁと、珠里が興味津々に自分の体を見下ろしていると、虎月は安堵したような複雑なような表情をしていた。

 昨日も見たような気がする様子だ。確か、自分が虎月や琅軌を信用するのは、天栄が信用していると思っているからだとか言ったとき。


「体の不調は取れましたか」

「いえ、……変わりないようです。寝不足の影響の可能性が高いですね」


 それはそれで虎月が気遣わしげな顔をするので、今度こそ部屋をあとにした。

 部屋を出ると、空気が軽くなった。靄も目に見えて薄れ、出てきたばかりの部屋のみ呪われていると実感する。


「どうかしましたか?」


 歩き始めてしばらく、ずっと視線を感じていたので珠里は視線の元の虎月を見上げた。


「すみません。……失礼ですが、珠里殿があれほど狼狽するとは想像できなかったので」


 剣を向けられたときのことだろうと分かり、珠里自身狼狽した自覚があるので、少し恥ずかしくなりながらも、つんと顔を背ける。


「そうは言いますが虎月様。たとえあなたが仙獣戦士だと聞いていても、払う方法を知らなければ、突然刃を向けられたとあっては誰でも動揺します」

「その点は本当に失礼致しました。ですが、珠里殿は死ぬかもしれないのだと俺がした念押しに即答するような人だったので、そのような恐れがないのかと」

「恐怖心がないと? ……恐れは、ありますよ」


 珠里の呟きは、ぽつりと床に落ちた。


「それよりあの部屋、浄化させましょう」


 わずかに声が大きくなった珠里の言葉に、虎月は首を傾げた。


「いいのでしょうか? 陛下がわざわざ浄化しないようにと仰ったことですが」

「構いません。彼は私に見せようと思っていたのでしょうから、もう用済みです」

「珠里殿に……?」


 虎月は眉を少し寄せて、何か考える素振りを見せてから、再度口を開いた。


「……部屋に戻ってから、一つ聞きたいことがあるのですがいいですか」

「はい、何でもどうぞ」


 珠里もまだまだ虎月や琅軌に聞きたいことがある。今日の朝までやることがありすぎて、必要最低限のことしか聞けていないのだ。

 天栄が呪われた部屋を見に行けると分かって見に来てしまったが、正直期待はしていなかった。今よりもっと鮮度の高い状態で調査されて何も出なかったのなら、今来ても何も出ないに決まっている。

 早く部屋に戻って、状況把握につとめよう。


「珠里殿、失礼します」


 そのとき、急に手を引かれて、すぐそこの曲がり角を曲がらされた。来たときと同じ道を行っていたはずなので、珠里は「近道ですか?」と尋ねた。


「いいえ、念のため見られないようにした方がいいかと思いまして」


 虎月は、さっきまで進んでいた方向を示した。

 見られない方がいい誰かがいると理解して、珠里が壁の陰からこっそりとそちらを覗き込むと、外側に面した向こうの通路を歩く小集団が目に入った。

 その先頭に立つ女性に、目が引き付けられる。華やかな衣裳が歩くだけでさらりさらりと揺れ、花を模した簪の飾りがきらびやかだ。

 皇宮において現在最も美しいだろう装いを着こなす優美な女性は、三十手前とは思えないほど美しい。


蓮妃れんひ彩凜さいりん様とその皇子・清心せいしん様です」


 皇帝は、自らの妃に公的な呼び名をつける。前皇帝は、花に関係する名を用いて妃の名前をつけていたという特徴がある。

 蓮妃こと彩凜は、前皇帝の側室の一人で、その子供清心はつまり現皇帝の異母弟だ。

 彩凜に気を取られていたけれど、その傍らには十くらいの少年がいた。利発そうな顔立ちにはまだまだあどけなさが残り、背に母親の手が添えられている。


 確かに現在、珠里の見た目は、女と男の服装の違いの他、皇帝を装っていたときと髪型も違えば、天栄の真似をやめた珠里の表情は『別人のように』まるで異なる。

 しかし、皇帝を間近で見る可能性がある者だ。気を付けるに越したことはない。


「……蓮妃様は、どこにいらっしゃるのでしょう」


 それはそうと、はたと思い至って珠里は首を捻った。


「ここにお住まいがあるわけではないですよね?」

「はい。現在も先代皇帝に与えられた宮にお住まいです」


 それなら、自らの部屋に戻る途中というわけではない。どこに向かっているのだろう?


「陛下のお見舞いかもしれません」

「……陛下の?」

「はい。実は昨日もいらっしゃいましたが、そのときは多忙を理由に断りました」


 皇帝が呪いにかけられたことは、公には発表されていない。

 しかし呪いにより床に臥せった日があり、部屋も移動している。さらに秘密裏に道士による調査も行われたとなれば、情報が漏れ、噂が流れたとしても驚きはない。

 それで今日、何の不調もなく現れた皇帝に驚いた表情をした者がいたのだ。そんな者たちから蓮妃の耳に入ってもおかしくない。


「今から戻って準備するのは間に合わないですけど、次は迎えられるようにしましょう」


 何の不調もないのだと思わせるのが珠里の仕事だ。お見舞いなど、何の?と迎えるのは有効な手だ。


「じゃあ、今日は鉢合わせないようにこっそり戻──」

「おい」


 背後から声をかけられて、珠里はびくりとしたが、虎月は冷静に後ろを振り返った。

 声は珠里が知った声だった。ただ、隠れ稽古が見つかったときの反射で驚いたのだ。


「暁雲に──ごほん、燕将軍」


 長兄、暁雲である。後方には従者が控えている。珠里は女官らしく国軍の将軍に頭を下げたが、暁雲が「いい」とすぐにそれをやめさせる。


「ここで何をしている? 陛下を訪ねたが、皓丞相に追い払われたぞ」


 一見虎月に言っているように見せかけて、皇帝の身代わりを勤めている珠里を含めているのは明白だ。

 しかし暁雲は答えがどちらからかもたらされる前に、珠里たちの背後の通路に目をやり、「例の部屋に行ったのか」と当ててみせた。


「……あの部屋は近づくだけで気分が悪くなる者もいるが、大丈夫か」


 小声での言葉は、今度こそ珠里に向けられていた。


「今のところ、寝不足による不調のみのようです」


 珠里の頷きと虎月の返答に、暁雲は思わしくなさそうな顔をした。


「珠里、危険な真似はやめなさい。不必要に出歩く必要はないはずだ。一体何を──」

「燕将軍」


 暁雲の後方に控えていた従者が、不意に口を開いた。会話を遮られた暁雲の鋭い視線に、「申し訳ありません。ですが」と詫びながら小さな紙を見せた。

 何らかの符だ。符には、血のように赤い文字で怪と浮かび上がっている。


「また怪が出たとのことです」


 従者の言葉に、暁雲はきつく眉根を寄せ、珠里を振り返った。

 そして、頭を撫でた。燕家に引き取られてから妹として可愛がり、時に宥めるように、時に褒めるように撫でる彼の手は、今珠里を案じていた。

 珠里を心配そうに見ていた暁雲の目が、不意に虎月に移る。


「皓虎月、珠里を任せたぞ」

「すでに、任されています」


 虎月は、揺るぎない声でそう答えた。







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