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 伯母により燕家に引き取られた、両親を失った少女。その情報に嘘偽りはない。

 だが現在、燕家にいる燕珠里は、五年前に両親を失った天栄の従姉ではない。彼女は先代皇帝の娘の遊び相手で、五年前のあの日、皇宮に両親と共に来ており共に死んだのだから。

 本当に生きていたのは、五年前両親と死んだとされている殺された皇帝の娘だ。

 珠里が死んだことになったのは、先代が刺殺されたことをきっかけに、代々皇族に継承されてきた麒麟の仙獣の力を継いだためだ。

 邪気が濃く、呪いを送られる可能性の高い現在の皇宮にいさせることを燕明玉が懸念したことで、皇宮を出ることになった。

 そうして一人は皇宮に残り、一人は外で呪いに対する知識を身につける。また犯人が狙ってきたそのときには、珠里が力を貸しに皇宮へ戻る。

 生き残った子供はどちらからともなく親の仇をとることを決心し、そのための約束をしたのだ。



 目を開くと寝台の上に横になっていて、珠里が視線だけを動かして周囲を見ると、傍らに伏した頭を見つけた。

 くすりと勝手に頬が緩んだ。病で伏すと、よく弟はこうしていたものだ。

 珠里が溢した微かな笑い声に、すごい勢いで天栄が顔をあげた。


「天栄、無事で良かった」


 麒麟の力を使ったからには、天栄に送られた呪いが残っていたとしても、それ含め彼の中からは消滅してしまっただろう。


「姉上は? 伯母上が、姉上の中で邪気を浄化しきれているか分からないから、護符を元に戻さない方がいいと言って、部屋に結界を張ってもらったが……」


 室内の壁には、一分の隙なく符が張られていた。出入口がどこかも分からないくらいだ。室内には珠里と天栄の他に誰もいなかった。


「大丈夫みたい」


 上半身を起こしてみるが、体が重い感覚も、気持ち悪い感覚もない。天栄から引き受けた呪いは、完全に体内で浄化されたようだ。

 護符はあるかと尋ねて、天栄から差し出された護符を身に着ける。

 燕家から持参していたものと同じ護符は、仙獣の力を抑制するものだ。


「死んで、しまったかと思った。死なせてしまったかと……」


 泣きそうな声に、護符の紐を首の後ろで結んでいた珠里の手が止まる。

 ぽたり、ぽたりと白い布に斑点をできて、それを隠すように、天栄がまた寝台に突っ伏した。


「僕は、姉上が死んでしまったら、きっと死んでしまいたくなるよ」


 くぐもった吐露に、珠里は伏した頭に手を伸ばす。触れた髪は柔らかく、指を通すとさらりと流れる。そのまま優しく頭を撫でる。


「私もそう。あのとき、私がああするしか方法はなかったけれど、私は大丈夫、私には麒麟の力がある。私にこの力があって良かったわ」


 麒麟の力は、人の呪いを専門外とする他の仙獣とは異なる。

 麒麟は唯一人を守ることに特化した仙獣だ。怪を払うことは出来なくとも、怪から人を守ることができる。あらゆる邪気を通さない結界を張ることができ、あらゆる邪気を自らの身に取り込むことで浄化する。

 その代わり、呪いや邪気をはね除ける性質を持つ他の仙獣と異なり、引き寄せる。穢れを取り込みやすく、穢れに強い。

 だが仙獣そのものならいざ知らず、化身を宿す人間の身ではどうしても穢れに弱い部分がある。

 人の呪いが生まれやすい乱れた世では宮の奥に引きこもってしまうことから、麒麟にとって無害な太平の世の象徴と言われる。


「ほら、天栄。五年ぶりに会ったのだから、顔をよく見せて?」


 珠里が天栄の頬に手を滑らせ、そっと促せば、ややあって天栄が顔を上げてくれた。

 再度見えた顔にかかる顔から髪をよけ、微笑みかけると、天栄は珠里の手に頬をすり寄せた。


「それで、楽耀様はどうなったの」

「様なんてつけなくていい、あんな奴。……心配しなくても牢の中だよ。すぐに罪を償わせてやる」


 楽耀の名が出てきたことに、まるで子どもに戻ってしまったような口調で天栄は不満そうにした。


「虎月が、僕の命令より姉上のことを優先するとはね」


 それから、わずかな苦笑を口元に乗せた。

 虎月、その名前に、珠里はぴくりと反応する。


「ねえ、天栄。虎月は、昔遊び相手だった璃子だから信用したの?」

「さすがに気がついていたか。そう、璃子だよ」


 やはり。薄々気が付いていた事実が、心にじわりと染み渡る。


「でも、昔馴染みだから信用したわけではないよ。子どもの頃のことを理由に完全に信用するのは不確かすぎる。子供のころからどう考えが転んでいてもおかしくはない」

「じゃあ、どうして」

「姉上を、守りたかったと言っていたから」


 珠里は瞠目した。

 天栄はすっかり眉間にしわのない表情で、「虎月も姉上が起きるのを待っていた。よくやってくれたから、褒美をやらなくては」と立ち上がった。


 天栄が退室してから少しして、護符まみれで隠れた戸が開いた。姿を現したのは、虎月一人だった。


 「こんにちは、虎月様」と出迎えようとしていた珠里は、その言葉を飲み込んだ。入ってきた虎月の目と目が合い、沈黙が流れた。

 珠里は微笑み、再度口を開いた。


「久しぶり、璃子」


 幼少期、皇宮で皇帝の娘として天栄も交えて遊んでいた少年。

 自らの幼名を呼ばれ、虎月は零れんばかりに目を見開いた。そして、寝台の横で、崩れ落ちるように膝をついた。


「小鈴様」


 懐かしい名前だ。声変りし低くなった声に、『小鈴様』と呼ぶ記憶の声が重なった。


「あなたに再び会える日を、どれほど望んだか……」


 虎月の声は震え、瞳は揺らいでいた。昔だって、今回再会してからはさらに、彼にこんな泣きそうな様子を見たことはなかった。


「五年前、亡くなったと聞いて、信じたくありませんでした。……あなたを守りたかった、守れるようになりたかった」


 血を吐くような苦しい声音に、珠里は虎月の頬に触れた。彼の青が混じる黒の瞳から流れる雫を掬い取る。


「ごめんなさい、騙していて」


 先帝の娘の死を嘆いてくれる人に直接会ったのは初めてだった。周囲にいた者は、全員珠里の正体を知っていたから、父と母のことを嘆く様子は見たことがあった。

 珠里が遊び相手だった娘の死を悲しみ、心に傷を負ったように、虎月の心に傷を負わせてしまっていたとすれば。

 虎月はいいえ、いいえ、と首を横に振る。


「生きていてくださいました。それだけでいいんです」


 涙を流す顔で、虎月はこの上なく幸せそうに微笑んだ。


「でも、今回は、私たちの目的に巻き込んでしまってごめんなさい」

「……陛下も珠里様も随分と無茶をされます。ですが、あなたを傷つけさせる気は一切ありませんでしたので」


 当たり前のごとく言われた言葉に、今までとても珠里を気にかけてくれていた様子が思い出され、もしかして……と尋ねる。


「『私』だと、気がついていたりした?」

「最初はもちろん夢にも思いませんでしたが、途中、もしかしてと思うことがありました」

「だから、夜も護衛してくれていたの?」


 一度、それを問うたときに言いにくそうにしていた虎月は、掘り返された話題に気まずそうにした。


「そう、です」


 虎月は本当に小さな声で、「……正直、怖かったのです」と言った。


「夜、あなたから離れている間に何かあればどうしようかと気が気ではありませんでした。五年前訃報を聞いた際のことを夢にまで見る有様で……ならばせっかく白虎の力でそれが可能なのであれば夜も護衛すれば良いのだ、と……」


 怪を恐れず、何を前にしても弱気を見たことがなく、そんな言葉からほど遠いと感じる彼が、また一度、怖かったと溢した。

 いや、以前に虎月には怖いものはないのかと恥ずかしさを紛らわせるために聞いたとき、確か未だに夢に見続けるような怖いことはあるが、ものはないと言っていた。

 そして、そのあと彼は会ったばかりであるはずの珠里にこう言ったのだ。「どんな約束をしてここにいるのか話していただけたいとしても、俺はあなたを守ります。あなたの側にいます」と。誓うように。

 もしや、あのときには勘づいていたのだろうか?

 そうであれば、ずっと彼の言葉は、『珠里』に語りかけてくれていたものだったのだ。

 珠里は、胸の奥が熱くなるのを感じた。


「虎月、『約束』通り守ってくれてありがとう」

「覚えていて、くださったのですね」

「嬉しかったもの」


 珠里の花が咲くような笑顔に、虎月は照れたように頬をわずかに赤くした。


「守りますよ、今度こそ。二度とあなたを失いません」


 珠里の手を取り、額につけ、虎月は誓った。





 数日後、皇宮の裏門に人目を忍ぶ者たちがいた。

 皇帝と護衛、それから名家の姫とその侍女、護衛。しかし五年前と異なり、護衛は周囲に意識を裂いているが、物々しい雰囲気はない。

 穏やかな陽気に包まれ、珠里と天栄は向き合っていた。


「この度はご苦労だったな、『従姉殿』」

「とんでもありません、『従弟様』」

「また」

「はい」


 今度はただ再会の約束をして、珠里は皇宮に背を向けた。








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