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6-3 許さない






 聞き慣れない声が聞こえた。けれど、なぜか、残っていた緊張が警戒することはなかった。


「なんだこれは……? 怪か?」


 振り向いた先に、一人の青年がいた。

 武官のなりに身を包んだ、珠里より少しだけ高い背、長く伸びた髪、鋭い目付きと眉間に刻まれた皺。

 それだけで昔と雰囲気が全く異なり、別人のようだった。


「──天栄?」


 その青年の黒い瞳が、珠里を捉える。

 青年は目を見開いて、それから眉を下げた。


「はは、確信がない? 悲しいな」


 つり上がっていた眉が下がっただけで、凛々しくも厳しい顔立ちが柔らかくなり、珠里はそこにかつての面影を確かに見た。


「天栄」


 ──私の大切な家族

 珠里は天栄に歩み寄りながら、泣きそうになる。


「珠里」


 天栄から伸ばされた手に触れ、手を取り合った。

 天栄の黒い目と目が合うと、今度は喜びが溢れていく。


「来てくれてありがとう、珠里」

「当然よ。約束したわ、天栄」


 約束は果たされた。五年ぶりに、珠里は天栄と抱擁した。

 まだまだ育ち盛りだろうが、同じくらいの身長になっただけで、会わなかった間の彼の成長を感じた。

 少し長いくらいの抱擁を解くと、近くに琅軌が控えていることに気がついた。他にも見知らぬ者が二名いる。


「虎月、ご苦労」

「命令を行使したまでです、陛下」


 天栄の登場に、手早く楽耀を縛りあげた虎月が立ち上がって頭を垂れる。


「これは怪か? おまえが倒したのか? しかし怪とは絶命すれば消えるものではないのか?」

「父から聞いたことですが、原初の怪と呼ばれる怪はこの世に邪気が存在する限り、消えないので封印する他ないそうです。……それよりも、なぜ陛下がここに」

「琅軌から知らせを受けた。じっとしていられるはずもないだろう? 容易にはいかなかったようだが、捕縛出来たようだな」


 天栄の黒い瞳がさっと冷える。見る人間を凍りつかせそうな視線は、ただ一人、地面に伏せられている男に向けられた。


「さて、朔楽曜」


 それは、子どもの頃の柔らかさなど剥ぎ取られたかのような声色で、珠里は少し悲しくなった。

 皇帝の振りをするために現在の彼の振る舞いを聞いたときより、実際に目の当たりにしてやりきれなくなった。


「……これは陛下」


 楽耀が、ゆらりと幽霊のように顔を上げた。


「黙れ。おまえにはこれからの問いへの発言だけ許す」


 冷え冷えと天栄が命じ、楽耀を黙らせた。


「おまえが五年前、父上と母上を殺したのか」

「そうだ」


 次の瞬間だった。天栄が、腰に佩いていた剣を抜いた。


「駄目、天栄!」


 珠里が伸ばした手は、さっと押し留められた。虎月が珠里の声に反射的に反応し、珠里の手を止めたのとは別の方の手で、刃を掴んで止めた。

 虎月の手と剣の先から血が滴り落ちる。


「虎月様……!」

「問題ありません」


 なおも天栄の手に力が入っているのは見てとれ、剣は楽耀に迫ろうとしているが、虎月の手がそれを許さない。

 天栄は苛立たしげに、唸るような低い声を出した。


「虎月、何の真似だ」

「珠里様は、陛下が手を下されることを望まれないでしょう」


 天栄が珠里を見た、その目が初めて向けられるもので珠里は危機感を覚える。

 楽耀に見たのに限りなく近い、負の感情を全て混ぜたかのような混沌の瞳だ。


「天栄、捕らえられるなら捕らえよう。法があるのなら法で裁かなければ」

「珠里、どのみち死刑になる」

「法による死刑と、個人による死刑は違うわ」

「っ、姉上! 父上と母上の敵だぞ……!?」


 まるで悲鳴のような悲痛さを感じ、珠里は表情を歪める。

 ──その味方内での膠着に、つけ込んだ者がいた


「皇帝陛下、あなたの呪いは大変魅力的だ」


 下からの、ねっとりとした声にぞわりと悪寒が背に走った。

 はっと見下ろすと、楽耀の腕から怪がぬるりと現れた。それは珠里や虎月の間をするりと抜け、天栄に一直線に向かった。

 そして、天栄の手に触れた。すかさず虎月が剣を抜き、目にも止まらぬ早さで小さな怪を斬ろうとする。


「『悪鬼生成』」


 鋼色の刃が怪を捉える一瞬前、楽耀の唱えた文言により、視界を覆うほどの黒い靄が生まれた。

 突然の出来事に、靄とともに起きた風に珠里と虎月は吹き飛ばされる。


「くそ!」


 虎月がらしくない悪態をつき、珠里を庇いながら着地した。


「天栄!?」


 珠里はすぐに天栄を探した。

 しかし天栄の姿はなく──ただ、彼がいた場所には怪が存在した。珠里より一回り大きそうなくらいの怪が。

 まさかと直感が囁きかけてくるが、珠里の頭はそれを理解したがらない。


「楽耀、何をした」


 同じくらいの位置にいた楽耀も、虎月がとっさに移動させたらしい。どこか打ったのか楽耀は顔をしかめていたが、虎月の問いに唇を歪めて笑った。


「呪いを餌にさせてもらった。質のいい邪気らしい、いい怪に成長した」


 怪を──天栄ごと彼の邪気を取り込ませた怪を見て、楽耀はくつくつと満足そうに喉をならす。


「あれは怪ではあるが人の呪いだ。あれほどの呪いを払える道士はいない。対抗出来るとすれば仙獣戦士だけだろうが、皓虎月、傷つけずに払えると言うのなら払ってみればいい」


 虎月は悔しそうに唇を噛んだ。

 なぜなら、虎月が怪を傷つけずに払うことはほぼ不可能だった。元々人の呪いは専門外で、人に定着する前の呪いであれば力付くで人から払えるというくらいだ。

 だが、今目の前に存在するのは、怪の呪いも混じった巨大な邪気の塊で、明らかに天栄を取り込んでいる。


「殺せ、殺すしかないだろう──」


 楽耀の口は閉ざされた。

 否。正確には、虎月を煽る彼に珠里が平手打ちしたことで、閉じさせられた。

 頬を叩かれた楽耀は不意を突かれ呆気に取られ、彼だけでなく他の者もぽかんとした。


「本っ当に根性が腐っているのね」


 当の珠里は、楽耀を睨み付けた。自分も平手打ちとはいえ手を出していては大概だ。天栄を叱れない。


「虎月様、その人の意識を奪えますか」

「私が元に戻す方法を知っている唯一の人間だぞ? いいのか?」

「結構です。楽耀様、あなたに娯楽を提供するつもりはありません」


 ぴしゃりと珠里は突っぱねた。楽耀を見下ろす目は、天栄にも負けないくらい冷え冷えとしていた。


「ですが珠里様……万が一、楽耀が方法を持っているのなら何としても得るべきでは」

「必要ありません」

「ほう、弟を見殺しにするか」

「虎月様、彼を殴るなりして意識を失わせてください。方法がなければ私がその辺りの石で殴りますが」


 早くしてもらわないと、珠里はもう一度手を出してしまいそうだった。

 虎月は楽耀の首を押さえながら、珠里の目を見て問う。


「方法が、あるのですね」

「ええ、信じてください」

「信じます」


 即答するやいなや、虎月は楽耀を絞め落とした。楽耀の頭ががくりと地に落ちたきりぴくりとも動かなくなったことを確認し、珠里は立ち上がる。

 天栄を取り込んだ怪に正面から向き合い、無造作に首からかけた護符を千切る。すぐに、感じる邪気に息苦しくなる。

 この上なく緊張していたが、出来ないかもしれないだとか弱音を吐いている場合ではない。もう、決して大切な人を失わないと決めたのだ。

 珠里は目を閉じ、両手を合わせ、集中する。

 朱雀の仙獣をその身に継ぐ燕家の長兄、暁雲に教えてもらった。自らの内の存在に、意思をもって乞うのだと。


仙獣せんじゅう麒麟きりん、力を貸したまえ」


 怪より人を、守るために。

 ゆっくり開いた珠里の瞳は、金色に輝いていた。


「人をあらゆる穢れから守りたまえ」


 両腕を広げ、厳かに珠里が唱えた途端、ぶわりと清廉な『気』が生まれ、周囲に広がった。

 『気』は、皇宮を覆う結界より、そして他の仙獣が作るより強固な結界をその場に築いた。


 ──太古の昔、青龍・朱雀・白虎・玄武は各地の怪を屠ったというが、麒麟は中央より人を守ったという。


 怪が嫌がるように後退していくのに対し、珠里は自らが形作った結界から出ていく。


「おいで」


 珠里が手を差し出すが、怪は変わらず後退する。


「天栄、怖くないよ」


 優しく名前を呼びかけた瞬間、怪は動きを止める。


「おいで」


 あと少し、怪が頭を下げれば珠里に触れるという距離で、その一押しに、怪が引き寄せられるように珠里の指先に触れた。

 触れた先から、邪気が吸い込まれるように珠里の指先に消えていく。人一人の身には毒にしかならず、死に至らしめるほどの邪気が珠里の中に流れ込んでくる。

 不快な感覚に、珠里の体はぐんと重くなる。それでも珠里は手を離さずに、我慢する。この身は決して邪気に負けないのだから。

 やがて黒い靄がなくなり、天栄の姿を捉えたところで珠里は意識を手放した。









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