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6-2 決着





 これまでの、楽耀と関わった全ての記憶が珠里の脳内を駆け巡った。

 残念だ。けれどこれまで珠里が感じた優しさなどは、この結果を前にどうでもよくなる。


「護符と結界の本来の効力を歪め、陛下に呪いを送り、怪を呼び込んだのはあなたですね」


 珠里は感情の凪いだ黒い瞳を、師と呼んでいた存在に向けた。


「そして、五年前の先帝暗殺事件にも関わっていますね」


 護符の術式は、本来道士長と万が一その代理を勤める可能性のある副道士長しか知らないはずだ。

 しかし道士たちが噂していたように、楽耀が護符作りの代理を頼まれたことがあったとしたら。五年前問題が起こって調査が入る前に術式の内容を知り、利用することができただろう。

 行われた呪い返しによって呪いが楽耀に返らないのも当然だ。彼は、他の道士から共通して最も腕が良いと言われている。

 楽耀が口を開く様子に、何か言われる前に珠里が言ったことに、楽耀は目を見開いた。


「これは、驚いた。今回の暗殺未遂事件のみならず五年前の件の犯人だと濡れ衣を着せられるとは」

「濡れ衣? 何がですか?」

「全てが。今回の暗殺未遂事件、呪い返しで返った先は蓮妃様と杜霞南だ。そして五年前の件、呪いも何も残っていないのに何を証拠と突きつけてくれるつもりだ?」

「蓮妃と杜霞南は陛下を呪っていません」

「なぜ言い切れる」

「あなたに言わなければいけない謂れはありません。そして五年前の件であれば、まず、これの理由を聞かせてください」


 珠里は懐から一冊の記録を取り出し、地面に投げ出した。何の信用もならない記録だ。


「お借りした記録です。五年前の記録の記録者の名前は最初は前道士長、途中から前副道士長となっていましたが、前副道士長の名前の下にはあなたの名前が隠されていました」

「当時、副道士長は当時の道士長の件やらで記録どころではなかった。確かに私が記したが、副道士長に名前を訂正するように言われ、直した」

「今回事を起こすに当たって、五年前の件から少しでも自分の名前を消そうとしたのではなくてですか? それに、道士の保管庫の記録の管理もあなただから、書き換えは容易でしょう」


 全ての保管庫と記録は道士長と副道士長の管理下だ。鍵を彼らしか持っていないものもあり、記録の最終確認はどちらかがする。


「ご存じですか? 蓮妃様の『気』の符が一時無くなっていたと? 杜道士によると一度は保管庫に入れ、記録したそうですが、あとからその記録帳も提出してもらって書き換えの痕跡を調べましょうか」

「珠里、なぜそれほど私を疑いたがる?」


 楽耀は、子どもを嗜めるような口調で珠里を宥める。

 珠里とて疑いたいから疑っているのではない。拳を握りしめ、珠里は楽耀に口を開く。


「楽耀様、この記録だけが私が差し出せるものだとお思いですか? 五年前、穢れの影響を受けて里帰りした道士たちを殺しましたね? もっとも、あなたは当時の副道士長の使いだと嘘をついていたようですが、人相はさすがに別人を装えなかったようですね」


 あなたは、共犯を増やすような危険を犯さないと思った。自分の力を信じているから。だから楽耀が犯人なら、自分で赴いていると思った。

 だから虎月に確認しに行ってもらったのだ。


「……それが、五年前の先帝暗殺事件とどう繋がる」

「今回の件が証明されれば、少なくともあなたに疑惑がかかります。記録は当てにならない、護符を無効化し呪いをかける方法は今回証明された。当時道士長の作った護符に欠陥ありとされたそうですが、それさえ疑わしいですね。道士長は贄にされたのではないのですか」


 どうあれ、と珠里は朱色の符を突きつける。


「今回の件だけであなたは罪に問われます。五年前のことは、その間に洗い直しましょう。──逃がしませんよ。私は陛下を私から奪おうとする人を許さない」


 彼一人の仕業かどうか分からないが、まずは一人捕まえる。

 珠里の揺らがない目に、楽耀から「証は?」「なぜ?」と煙に巻こうとする言動が止まった。しん、と耳に痛いほどの沈黙を、くすりという微かな笑い声が破った。

 楽耀が笑っていた。


「まったく、忌々しい。皇子を皇位につけたい蓮妃が側近の道士に呪いを送らせた、完璧な筋書きがあったというのに、忌々しいことを思い出させてくれる。蘭鈴らんりんに似て小賢しくなったものだな──小鈴しょうりん


 その名前に、珠里の息も動きも何もかもが、つかの間止まった。

 それは、珠里の『本当の』幼名だった。

 息を飲む音は、傍らから聞こえた。


「……先帝の公主が、叔父であるあなたに会ったことは一度、それも生まれたばかりのときだと聞いていますが」

「そうだな。蘭鈴は会わせたがったが、私は皇帝の子に会いたいとは思わなかったから、身分が違うため公的以外に会うべきではないという口実で会わなかった。だからと言って、分からないとでも? 燕赤座は分かってもいいと思って教師を任せたのかもしれないが」


 何も言えない珠里を前に、楽耀は喉の奥で低く笑う。


「おまえは、顔立ちも、声も、とてもよくおまえの母に似ているよ。──先帝の皇后であった私の妹に」


 ああ、楽耀は知っていたのか。分かっていたのか。そのとき、疑問が一つ解けた気がした。


「……だから、私に優しかったのですか。私を心配してくださったのですか。あなたは、燕珠里の境遇に同情するような性格ではないと思っていたので、ずっと疑問でした」


 今回調査への協力は、進捗を把握するためでもあっただろうが、彼は惜しみ無く珠里を助けた。気遣った。


「そうだな、過ごすにつれ妹によく似ていたからついそのようになった。気にかけたくなった。懐かしかった。最初はそのつもりはなかったのだがな。おまえは先々代の血筋でもあったからな」

「先々代の皇帝の血筋であるなら、何なのです」

「先々代の皇帝は、祖父に呪いを送らせるだけ送らせ帝位についた後、祖父を呪い殺して口封じしたのだ」


 ──皇宮は、陰謀の中心。いつの時代も策謀が張り巡らされ、時に血なまぐさい歴史が刻まれてきた。


「父はその影響で道士にならずせっせと政治を行い、祖父の件にも口を閉ざし、私と蘭鈴にもそう命じたが、あいにく祖父になついていたのでな。当の皇帝は病気で死んだが、その子どもを殺し、帝位を奪ってやろうという計画を立てた」


 温かさの欠片もない目が、珠里を通して敵がいるかのように見た。


「めでたく我が妹は後宮入りし、第二子に帝位を継げる第一皇子を授かった。それで準備は出来た。皇帝を呪い殺すことにした」

「あなたが──」

「そうだ、珠里。おまえが欲しがっている答えをやろう。先帝を、おまえの父を呪い殺したのはこの私だ」


 衝撃の告白に、喉の奥がきゅっと絞まった。それを無理矢理こじ開けて、身をのりだし、珠里は問わずにいられない。


「なぜ……なぜ、母も殺したのですか。あなたの妹を」


 楽耀が五年前の件に関わっている可能性が出てきて、理由だけが分からなかった。五年前、彼の妹も殺されているのだ。

 すっと、楽耀の顔から表情が抜け落ちた。


「五年前、蘭鈴が選んだ」

「母が……?」

「皇帝を殺す計画に賛同し後宮に入ったはずなのに、蘭鈴は殺さないでほしいと言った。皇帝は先帝のようなことはしないだろう、自分が側にいるからさせないと。まったく、自らに何の力があると言うのか、あの男の血筋をなぜ信じられると言うのか」


 表情がない代わりに、楽耀の目に、全ての感情が詰められているかのようだった。

 憎しみ、怒り、苛立ち。きっと、今護符を外して楽耀を見れば、黒い靄が彼から発せられているに違いなかった。


「ならばその血筋である私を、なぜ皇宮から遠ざけようとしたのですか。天栄と一緒に呪えば良かったでしょう」


 楽耀を睨み付け、珠里の握る拳は震えていた。


「おまえが、あまりに蘭鈴に似ていたから」

「その母をも呪い殺したのはあなたでしょう」


 何を言っているのか、理解できない。


「蘭鈴が『そう』なるまでは愛していた。たった一人の妹、守るべき家族。燕家で会ったおまえは、その頃の蘭鈴だった。だから気にかけた、慈しんだ」


 全ての負の感情を混ぜたかのような深淵の瞳に、確かに慈しみが混ざったが、今やそれは歪んでいるようにしか見えなかった。


「だから信用してくれていると思っていたのだがな」

「……そうですね。理由が分からないながらも、今回の件で頼るくらいには気を許していたでしょう」


 だが、こうなってしまえば、そんなこと関係ないのだ。

 楽耀を正面から睨む珠里は、瞳に敵意を宿していた。


「私のもうたった一人の家族は天栄。たとえ師であれ天栄の命を奪おうとしたなら、憎むことができる」


 言い切られ、楽耀は目を細めた。慈しむようにではなく、忌々しいものが目の前に現れたように。


「……陛下も、五年前までは蘭鈴に似ていたのに。五年前から徐々に表情から雰囲気まで先帝に似てきた。おまえは燕家の箱庭で、汚れず生きていけばいいと思っていたのに。なぜ出てきた」

「なぜ? 決まっているわ。私は父と母の子であり、天栄の姉であるから!」


 そして、約束をしたから!


「ならば姉弟もろとも殺してやる」


 楽耀が袖に手を入れ、珠里は身構える。


「私が、罪を自白して捕まると思ったか?」


 楽耀は、子どもをあしらうように嘲笑った。


「虎月様!」


 刹那、銀の線が楽耀を切り裂いた。──否、切り裂いたのは楽耀の前に現れた怪だった。


「怪……? どこから」


 どこからともなく現れた怪。それは、まるで五年前と珠里が浴場で襲われたときのような。


「ここからだ」


 怪の向こうから、楽耀が腕を見せてきた。

 腕には一筋の傷がつき、血と共に黒い靄が微かに出ていた。護符を外さなくても見える靄は、怪のように濃い邪気だけだ。


「……呪術士の体から出てきた、人の呪いを帯びた怪」


 珠里を手で後ろへと制しながらの虎月の呟きに、楽耀が驚きを目に滲ませる。


「知っていたか」

「近頃、呪術士の捕縛の際に呪術士の体を食い破り怪が出てくると報告がある」

「ああ、まあ餌を制限せずにひたすらに邪気を食っていればそのようになる」


 「呪術士は呪いを溜め込んでいるのでいい実験材料でな。重宝していた」とあまりにさらりとした発言に、珠里は吐き気を覚える。

 予期していなかったところからも罪が増えていく。

 一体この人には、人がどのように見えているのだろうか。

 その間にも楽耀の腕の傷口から、怪が次々に出てくる。


「以前、討伐の場で弱りながらも生きた怪を持ち帰ったことがあった。怪の一部を人に移し、呪いで育てたこれを、私は『鬼』と呼んでいる。餌の呪いの主の命に従い、他の人間など見向きもしない生きた呪具だ」

「……っ、今回怪が皇宮に出たのは、外から誘き寄せたのではなくそういうことだったのね」


 楽耀はその通りというかのように口元を歪ませ笑った。


「さあ、散れ」


 振られた楽耀の手に従い、怪が広場の外へ向かおうとする。


「おまえにはこれをくれてやる、皓虎月」


 夜であれ、皇宮には人がいる。

 虎月が動き出そうとした矢先、楽耀がこれまでと異なり小さな瓶を取り出した。

 灰色の焼き物の瓶は、中身が見えない。しかし、周りに大量の符が張られている。その符は、何かを封じるためのものだ。けれどあんなにも複雑な模様を見たことがない。

 その不吉な予感のする瓶を、楽耀は袖から取り出すや手を離した。瓶は、地面に落ちて粉々に割れる。

 そして瞬きのあと、小さな瓶とはまるで不釣り合いな、巨大な怪が出現していた。

 珠里を抱いて後方へ下がった虎月が、その怪を見て目を見開く。


「これが──まさか」

「何ですか?」


 あの怪は、これまでの怪より濃密な邪気を発していた。息をするだけで毒に侵されていくような、そんな感覚だ。

 虎月は珠里を地面に下ろしながらも、怪から目を離さず、答える。


「……昔、神仙が仙獣を遣わしたきっかけとなった出来事があると言われています。今より力の強い怪が跋扈していた時代、四体の怪が現れ、それらは存在するだけで人間と大地を死に至らしめたと言います。俺に宿る白虎が、それだと言っています」


 そんな怪をどうして……と思って、はっとした。楽耀の家、朔家は道士の大家だ。伝説の怪の封じられた場所を知っていてもおかしくない。


「そう、怪・黒狼。仙獣に倒されたとはいえ、化身を宿す程度の人間の身ではどうだろうな」


 上の方から楽耀の声が聞こえ、空を仰ぐと、宙に浮く怪に乗る楽耀がいた。

 ──逃げる気だ。


「あなたには罪を償ってもらうわ!」


 決して逃がさない!


「虎月様、虎月様は黒狼をお願いできますか。それから、他の仙獣戦士を──」


 焦り、早口で喋っていた珠里の口に、虎月の指が触れる。

 思わず固まった珠里に、虎月は「落ち着いてください」と微笑みかける。この状況で、珠里を安心させるように微笑んでみせたのだ。


「大丈夫、全部俺に任せてください。逃がしませんよ」


 自信しか感じられない目と、珠里の心にまで届けるような響きを持つ言葉を信じられないはずはない。

 頷いた珠里を確認し、虎月は珠里から手を離し、視線を外した。

 一気に怖いほどに真剣味を帯びた瞳が、視線で怪を射る。


「仙獣白虎、原初の力を貸したまえ」


 天から、白い稲光が瞬いた。

 ぎゅっと目を瞑った珠里が目を開いたときには、虎月が立っていた場所に白い虎が姿を現していた。

 いや、あれも虎月だ。

 目の前の怪よりは余程小さな体だが、吠え、近づいてくる怪に怯むことなく、白虎は地を踏み締める。

 その頭を天に向け、吠える。

 白虎の声は、怪の耳障りな音をかき消した。そればかりでなく、白い稲妻がいくつも空より落ち、全ての怪を撃った。


 視界を瞬く白い光、耳に轟く雷の音。

 それらはまさに刹那の出来事。

 一瞬の間に何度も生じた白い光に、ちかちかとする珠里の視界が元の通りに戻ったときには、全ては済んでいた。


「化身を宿す程度? 侮ったあなたの負けだな」


 人より産み出された怪は消滅し、巨大な怪は犬のように地に横たわっていた。

 邪気の靄がほとんどなく、本当にただの犬のようだが、消えないのはやはり普通の怪とは何かが違うのだろう。

 そして、その犬からいくらか離れた場所に楽耀が落ちていた。


「かなりの高さから落ちたのでところどころ骨が折れているでしょうが、命に別状はありません。生きていれば、罪を償わせられます」


 人の姿に戻った虎月が楽耀の方へ歩いていく後を、珠里も追いかける。


「聞く限りでは、彼一人捕まえれば全ては終わりそうですね」

「そう、ですね」


 終わるのか。終わったのか。五年前のことも、今回のことも。これで、ようやく──。


「凄まじい音がしたが、どういう状況だ?」


 聞き慣れない声が聞こえた。






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