5-2 もう一人の容疑者
最初に呪いが返った先は、やはり蓮妃だった。
そしてもう一つ返った先は──蓮妃付きの道士だった。
「蓮妃様には、最低限の道士の素質がおありでした」
執務室で、『皇帝』に報告をする道士長はやはり顔色が優れない。今回の呪い返しにて、蓮妃だけではなく道士に呪いが返ったが、彼を取り巻く状況は柳登刻から睨まれることに変わりないのだ。
「最低限。つまり、道士になるに必要な大きさの『気』を有していたということだな」
「はい。ただし、気脈を感じとることと術を操ることが出来るのかは判断しかねます」
それらは実際にやってみてしか分からないことであり、自己申告と言える。
「本当にできない」と証明することは不可能に限りなく近い。蓮妃ができないと言っても、信じてもらえなければどうしようもない。
しかし、今日呪いが返った先に道士が加わった。
「蓮妃様の『気』と陛下の部屋に残っていた呪いの残滓と比較した結果、一致しました」
呪いには、確かに蓮妃の『気』が混じっていたことになる。
引き続き裏どりをするように命じ、道士長が退室した室内で、珠里はどうしたことかと額を指でとんとんと叩く。
「呪いの元が蓮妃、送ったのは杜霞南、か」
蓮妃付きの道士の名を杜霞南といった。数少ない女性の道士の一人だ。
「やはり納得いきませんか」
指を止め右手を見上げると、虎月がお茶を淹れなおして置いてくれるところだった。
珠里は頷き、茶杯を手に取る。お茶は相変わらずおいしかったが、珠里の眉間にはしわが寄るばかりだった。
「蓮妃様に疑いがないのなら、吏部長のようにというわけではありませんが道士の方を疑ってみればどうでしょう?」
吏部長官──柳登刻。蓮妃の父は、今度は呪いが返った道士が仕組んだことだと言い始めていた。確かに道士の方を調べてみなければならないだろう。
「琅軌様、秘密裏に杜霞南に会えるよう手配をお願いします」
「承りました」
午後、太陽が最も高い位置から少し傾いた頃合いに、珠里は道士の詰め所に来ていた。
杜霞南と面会する手はずが整ったためだが、牢に行く前に楽耀に会いに来た。
道士の詰め所は、呪いの件でだろう、忙しなかった。
楽耀には今回事前に連絡をやったが、時間は少ししか取れないと返事が返ってきた。それでも彼は会うのが難しいとは匂わせなかった。
「呪いの件、杜霞南に呪いが返ったらしい」
「本当か?」
「ああ。今日、ここにいたところに呪いが返ったのを道士が何人も目撃してる」
杜霞南は蓮妃のもとに行く前に道士の詰め所にいたところで呪いが返り、そのまま捕えられ、投獄されたという。
「呪い返しは副道士長がされたらしいから、隠し通せなかったんだな。副道士長の方が優れた道士だ」
「しかし普通、陛下に命じられたのなら道士長がするものだろうにな」
「怖気づいて、自分より優れた楽燿様に任せたんだろう」
「責任を押し付けるつもりかもしれないぞ」
どうあれ、やっぱり副道士長の方が優れているんだな、という声を最後に噂話は聞こえなくなった。
道士の詰め所のあちこちで、皆が何か作業をしながら小声で呪いの件を話し合っていた。
聞きかじったこと、杜霞南について、楽耀について、道士長について、自己流の考察……。
「お師様、お忙しいところお時間をいただきありがとうございます」
約束の時間に副道士長室に行くと、中は人払いされており、机についている楽耀のみだった。中に入り、戸が閉まったところで珠里は楽耀に頭を下げた。
「構わん。いい息抜きになる」
そう言う楽耀だが、彼の机の上には一度来たときより書簡が積まれていた。
そういえば、前に会ったときに疲れているように見えた理由を、最近道士長が多忙だから、代わりに引き受けている仕事があるとか言っていた。
今日道士の調査が再開されたことで、楽耀自身調査関係の仕事でも忙しいだろうに、また道士長の仕事が彼に降りかかっているのかもしれなかった。
「それで、今回は何が聞きたい?」
楽耀は、珠里と虎月を座らせ、その前に「冷めているが」とお茶を差し出してから促してきた。
「はい。今回呪いが返った道士、杜霞南についてお聞きしたく」
「そのようなところだと思っていた」
椅子の背にもたれ、茶杯につけた口で楽耀は呟いた。
こくりと茶を少し飲み、茶杯をおいたところで楽耀は語り始める。
「一言で言えば優秀、だ。蓮妃様付きの道士であるのは、女であるからと望まれた部分もあるにはある。だが、妃の専属になるには力量がなければ、たとえ女が彼女一人であったとしても任せられることはない」
つまり、蓮妃様付きの道士であることが皇宮道士の中でも優れている証である。
「道士としての素質は高く、道士資格の試験も一番で合格、道士の中の階級試験も毎回一回で突破している。素質だけでなく、技術も高い。将来性がある」
優秀。その一言で楽耀が褒めるだけある人物なのだと窺えた。
つまり、珠里では呪い返しできなくてもおかしくない実力持ち。
「呪いに関することでは、いかがですか」
その問いに、楽耀はじっと珠里を見つめた。
答えを考えているようというより……質問の意図を図ろうとしているような目だ。
少しして、楽耀はゆっくりと首を傾げた。一つに束ねられている黒髪が、さらりと揺れる。
「陛下は何をお疑いだ? それとも、単に道士の調査の他にも信頼できる者の裏どりをご所望か?」
珠里は、楽耀に陛下から信用されている道術を齧った従姉として会っている。そして、事実そうだ。天栄は、道士の調査を信用していない。
「陛下は、事実だけをご所望です」
珠里の答えに、楽耀の口元に苦笑が浮かぶ。
「呪い返しが何よりも事実だろうに」
ふう、とため息をつく音が聞こえた。
「珠里、皇宮に仕える道士は全員呪いを送ることができる」
「全員、ですか?」
楽耀が頷く。
「古来より、皇宮では人同士の呪いの送り送られが繰り返されている。だがもちろん公に呪いを送る業務はない」
ゆえに、『私的』に呪いを送ることがない限り普通道士は一生呪いなど送ったことがないまま生涯を終える。
「だが、呪い解除などの業務はあるため、そのために呪いに関する知識をつける。その中には、呪い送りも含まれる。ゆえに実際に送ったことがある者はいないはずだが、送る手順を知っており、おそらく実践すれば出来る」
杜霞南限定でなく、誰が呪いを送ったと聞いたとしても技術的には不思議ではないということだ。
「もちろん、呪い返しをされたくないとなればそうできる者は限られてくるが。呪い返しを行う道士によって、な。──あの呪い返しの符を作り、昨夜呪い返しをしたという道士はおまえだな、珠里」
「……はい」
今日呪い返しを行ったのは楽耀だ。
直接手にした呪い返しの符で珠里と分かったか。それとも現在皇帝に道士とは別に調査を命じられていると知っていることから推理したか。
「複数人が関わっている場合、無事に全員に呪いが返ればいいが、相手の方が力量が上であれば相手に呪い返しが行われたことだけが伝わり、逃げられるところだぞ」
呪い返しは、相手の力量が高ければ成功しない。しかし呪い返しが行われた、ということは相手の道士に分かってしまう。
「その通りです」
珠里は膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。
楽耀のような技量があれば、自分の力量を疑うことなく他の誰かに呪い返しをしてもらおうとはならなくて済む。
今回、呪いの鮮度が高いうちに呪い返しをしたかったからあの場で試みたが、そもそも力量があれば呪い返しの符だけ作って、後から道士に呪い返ししてもらうなど考えなくていい。犯人を取り逃してしまうかもしれない危険性を犯すこともないのだ。
楽耀が呪い返しをした結果を受け、力量が足りないと実感した。そんなことは分かっていて、それでも目的のために力を尽くすつもりがどうしようもなく悔しい。
「まあ、それはいい。過ぎたことだ。それより、つまり呪いが送られた場にいたということだな?」
「はい」
「おまえ自身は、呪いの影響は受けなかったのか」
「え?」
叱りを神妙に受け止めていた珠里は、目を丸くする。
「私、ですか?」
「そうだ」
「陛下ではなく?」
楽耀は眉をぴくりと動かした。
「強い呪いでは、対象以外にも近くにいた者にも呪いが及ぶこともある。呪いが陛下に及んでいなかったとしても、周囲には影響が及ぶこともある。駆け付けられるほど近くに控えていたのだろう?」
「はい、私も呪いの影響は受けていません。……ご心配いただき、ありがとうございます」
「何だその意外そうな顔は」
「いえ……」
なんというか、と珠里は目をさ迷わせてから、再度楽耀と視線を合わせる。
「お師様が心配してくださるとは、珍しいと言いますか。意外と言いますか」
「おまえは、私を何だと……」
楽耀は目元をひきつらせ、彼にしては盛大なため息をついた。
「……燕家で守られて過ごしていたような姫君が、事件の調査などと課されて呪いにかけられるかもしれず、命を落とすかもしれない場にいるようでは誰でも心配になるだろうさ」
黒曜石のように普段冷たささえ感じさせる黒い目は、慈愛を感じる眼差しで珠里を見た。
「道士の真似はほどほどに、と最初に言ったはずだな。私が協力してきたのは、出来るだけ早くおまえがいるべき何の危険もない邸へ戻るべきだと思ったからだ」
「色々と便宜を図ってくださったお師様には感謝しています」
「感謝はいい。ここまで来れば事件の解決はすぐそこだ。おまえが元の生活に戻る日も近いだろう。陛下も今後は道士を信用してくださればいいが」
本当に事件の解決はすぐそこだろうか?
珠里が蓮妃への呪い返しに疑問に思っていることなどつゆ知らず、話していた楽耀が、珠里が眉間にしわを寄せたことに気が付き怪訝そうにする。
「……どうかしたか?」
「え?」
ぱっと伏せていた目を上げた拍子に、珠里は自らの眉間にしわが寄っていたことを自覚した。
最近、天栄のふりをしているときの影響で眉間にしわが寄る癖がついている気がする……。
眉間を指でこすりながら、珠里は微笑む。
「私が燕家に戻れば、またお師様とはお会いしない日々になりますね」
珠里の微笑みに、怪訝そうだった楽耀が微かに目を細めたかに見えた。
「今回、久しぶりにおまえの姿が見られたことだけがいいことだったな」
心の底からの声音で言い、楽耀は口元に微笑を滲ませた。




