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5-1 呪い返し、再び






 翌日、皇帝が挑発したその日に呪いが送られたこともあって、皇宮に激震が走った。

 案の定、朝廷は荒れた。


彩凛さいりんは、決して呪いを送っておりません!」


 寝不足で重い頭に声が響き、皇帝に扮した珠里は顔をしかめかける。

 鋭い眼差しと厚みのある声で訴えかけた男の名はりゅう登刻とうこく。蓮妃・彩凛の父で、吏部の長官である。


「どうか、冷宮よりお呼び戻しになって下さい」

「しかし呪いが返ったのは確固たる証拠ではないか?」


 他の長官の言葉に、登刻がぎらりとそちらを睨む。


「先帝陛下のお妃とはいえ、冷宮送りだけ済ませるべきではありませんかと、陛下」


 現在、蓮妃は蓮華宮ではなく、冷宮に軟禁状態にある。

 呪いが返ったことを思えば、前皇帝の妃とはいえ、牢に入れられていないのは甘いくらいだ。皇帝暗殺未遂は死罪相当の罪、軽くて流罪なのだから。

 周囲はここぞとばかりに柳登刻を貶めようと、蓮妃を徹底的にまでに消し去ろうと提案する。

 それらを睨み、登刻は床に手をつき、皇帝に願う。


「呪い返しをしたという道士をお調べ願います。先帝陛下に誓って、私の娘は陛下に呪いなど送っておりません。そしてどうか治療のための道士を使わしてください……」


 呪い返しを行ったのは、現在本当は天栄の側で呪いの影響の改善に勤めている道士だということになっている。当然正規の道士で、皇帝の側に仕える者として優秀な道士だ。

 実際呪い返しを行ったのが正式な道士でないと知られれば、彼はもっと道士の過失だと声を上げるだろう。

 しかし実際呪い返しをしたのは、訴えを受けている目の前の皇帝の身代わりこと珠里である。

 珠里は蓮妃の無罪を積極的に見出そうとしているとはいえ、呪い返しした側がはめたと遠回しに言われるのは心外である。


「元より、先の時代の後宮が残っていることが疑問です。この際そろそろ解体されてはどうでしょう? 今年陛下は成人を迎えられます。妃選びをされなくては」

「陛下の暗殺未遂が行われたというのに、妃選びの話とは」

「大事な話でしょう。事の犯人は見つける者が見つけ、陛下が悉く気にされるようなことではありません」


 別の言い争いが起きる様子を、珠里は呆れた目で見て、この場でできるだけ気配を殺している人物の方に目を向ける。


「道士長」


 一言。若き皇帝の声に、ぴたりと諸長官の声が止む。

 そして全員が、皇帝の見ている方へ冷たい視線を注いだ。


「──は」


 道士長の短い返事は掠れていた。脂汗の浮く顔がみるみる内に青白くなっていく。昨日見たときよりやつれており、心労が窺える。

 ようやく終わりの見えない調査の中止を命じられ、立場的にはそれさえ胃が痛かっただろうが、翌日にまた事が起こってしまったのだ。

 次こそ犯人を突き止めなければ道士長の座を追われるかもしれない緊張と、それどころか何かの罪に問われるかもしれない恐れ。次から次へと汗が湧き、伝う表情からそれらがひしひしと伝わってきた。


「げ、現在誠心誠意調査を行っております」

「いや、調査の状況はいい」


 こちらから具体的に何か促したわけでもなく、ひとりでに報告し始めた道士長が、ひゅっと息を吸い込む音が聞こえた。


「申し訳ございません」


 床に額をつけ、謝る姿は哀れなほどだ。

 大の大人のそんな姿は目を逸らしたくなるほどで、諸長官は不快そうに目を逸らす者も少なくなかったが、珠里は注意深くその一挙一動を見ていた。

 どれほど見ても、哀れな大人でしかない。五年前の疑惑はさておき、今回に関しては何か関連があるとしてもやはりはめられた類か。


「道士長、これからおまえにすぐにやってもらうことがある」

「な、何でございましょう」


 顔を上げた道士長の前に、珠里は傍らに合図してあるものを置かせる。

 四角の箱が一つ。蓋はなく、中には一枚の符が入っていた。道士であるのなら、符に刻まれた術式と色で何か分かるはずだ。

 当然、道士長は何かを悟り、すぐさま皇帝を見上げた。


「呪い返しだ」


 周りの諸長官も、珠里の一言でそれが何かを漠然と悟った。呪いが宿った代物であると。

 道士長の最も近くにいた者は、覗き込んで乗り出していた身をのけぞらせた。


「へ、陛下! 呪い返しで、これ以上彩凛に呪いがかかってしまうのだけはご容赦を!」


 登刻が慌てた様子で、皇帝に情けを請うた。

 しかしながら、請われた内容に珠里は訝しく思う。


「おまえは呪い返しを何だと心得ているのだ。呪い返しは、呪いを送ってきた者を突き止めるだけであって同じ呪いをかけるわけではない。道士は呪術士ではないのだぞ」

「ですが……彩凛の具合が悪いと……」

「少なくとも呪い返しによって呪いがかかったわけではない。──蓮妃のもとに医者と道士を送るように手配を」


 傍らの琅軌に言いつけると、琅軌は目礼して了解の意を示した。


「話を戻す」


 湧いた話題を淡々と終わらせると、登刻が恐縮したように深く頭を下げ、おとなしく引き下がった。


「道士長、それは昨夜呪い返しを行った者が呪いの一部を封じ込めた呪い返しの符だ。それ以外の仕掛けがされているかいないかは分かるな?」

「はい」

「一刻以内にその符の精査を行う他、呪い返しの準備を整えよ」


 昨夜呪い返しをした者を疑う者がいるならば、符の精査をすればいい。符に問題ありとなれば、内部の者の過失になるとはいえ、道士長は今よりましだと見逃さないだろう。


「──承りましてございます」


 道士長が頭を下げた拍子に、その顔から汗が滴り落ちた。



 そして、一刻後。

 呪い返しの準備が整ったと聞き、珠里は皇宮前の広場に赴いた。

 皇宮から広場へ降りる長い階段下のすぐ側に道士長がおり、その背後に、複雑に配置された符に形作られた正式な儀式の形をとった呪い返しの場が見えた。


「道士長、始めよ」

「はい。……陛下、此度の呪い返しはこの者が行います」


 声かけを受け、顔を上げた道士長が自らの後ろに控えている者を示した。


「おまえがするのではないのか?」


 道士長が、とわざわざ指定を行わなかったが、立場的に道士長がするほかないだろうと思っていた珠里は内心の驚きを顔には出さず、尋ねる。

 道士長はぴくりと表情を引きつらせながらも、答える。


「呪いに関しては、この者の方が見聞があります。呪いを払うために各地を回っていたときもあり、現在対呪術の研究の責任者でもあります」

「ほう」

「副道士長の朔楽燿です」


 皇帝の身代わりとして表情を常に意識して引き締めていなければ、危なかった。驚きに満ちた顔をしてしまっただろう。

 そのとき初めて目を向けた、道士長の後ろに立っている人物。

 皇帝に声かけされていないために顔を伏せたままで顔はまだ見えなかったが、艶やかなまっすぐな黒い髪。すらりとした立ち姿は、間違いなく楽燿だった。

 皇帝として会う道士はもっぱら道士長のみで、今まで楽燿とは皇帝に扮して会ったことはなかった。

 珠里としての顔なじみは全員今回の事情を知っているため、(というより、他には燕家の者しかいない)顔見知りと不意に会うことになった事態に珠里は心の中でわずかに動揺する。

 何とかして顔を合わせない手はないか……と、一瞬で考えたりもしたが、すぐに覚悟を決めた。

 ──私は今、天栄だ。側近にお墨付きを得ているくらいなのだから、ばれるものか


「朔楽燿」


 『皇帝』の声はいつも通り、冷淡だった。


「は」


 黒い髪が揺れ、楽燿が顔を上げる。その黒い瞳が一瞬、皇帝の視線と交わった。

 ──この人は、副道士長としてこのような顔で皇帝を見るのか。

 笑みがない真顔は、元の顔立ちにより冷たい印象を受ける、視線も冷たくも感情の読めないものだった。

 目が合ったのはその一時のみ。楽燿の目はすぐに微妙に伏せられ、合わなくなった。


「呪い返しを始めよ」

「はい」


 交わした言葉もそれのみ。

 楽燿は一礼し、後ろに下がり、呪い返しの舞台に立った。

 珠里含め、その場全ての者が注視する中、楽燿が袖の中から呪い返しの符を取り出した。符が衣服に擦れる微かな音が聞こえるほど、静まり返っていた。

 楽燿の手が、符に『気』を流し込む。


「『その呪いに繋がる全てを示せ』」


 朗々と、低い声が広場に通る。

 符が宙に放られ、周囲の目も宙へ動く。


「『還れ』」


 呪い返しの符が弾けた。

 黒い線がある方向へ飛んでいく。


「あの方角は……」

「蓮妃様がいらっしゃる冷宮がありますね」


 目を細めて行方を追う珠里の傍らから、琅軌が言葉を継ぐ。


「やはり、蓮妃にしか返らないか……」


 登刻に疑われたときには心外だと思ったものの、自分の腕が未熟だったのだと知らしめられても一向に構わないので、異なる結果が示されることを期待していた部分があった。

 そのため、珠里は多少がっかりしたのだが。


「──陛下」


 虎月の急かす響きの声に、もう片方の傍らの護衛を見上げようとしたときだった。

 視界の端を、黒い線が横切った。

 まさか。珠里は弾かれたように空を見上げた。

 昨日の雨があがり薄い雲がかかった空に、一筋、冷宮とは明らかに異なる方向へ黒い線が飛び、見えなくなるところだった。


「二つに、分かれた」


 珠里は呪いが見えなくなった空から地上へ視線を戻し、呪い返しを行った楽燿を見た。

 楽燿は、淡々と仕事を果たし、皇帝の方に頭を下げ立礼を取っていた。







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