表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/26

4-8 不可思議な事実




 虎月は、意味を図りかねたように表情に困惑を滲ませた。


「……蓮妃様から、邪気が……?」


 普通、邪気が出ているというのが目に見えて分かるのは、怪のみだ。

 人にも邪気という概念はあるが目に見えず、見えるとすれば呪いと化したものが道士の術によって見えるようにされるだけというのが常識だ。

 だから今、虎月が珠里の言葉に無意識に蓮妃の方を見ようと、怯えた蓮妃と女官たちの様子しか目に見えない。


「それは、どういう」


 珠里はどう言ったものかと一瞬迷ったが、ここまで来たらと虎月を部屋の隅に連れていき、真っ直ぐに虎月を見つめて口を開く。


「虎月様、実は私は、人の些細な邪気まで見ることが出来るのです。普段は──この護符でその大部分の力を封じていますが」


 言いながら、二つ身に付けている内の片方の護符を衣服の内側から引っ張り出した。

 一つは皇帝専用の護符だが、引っ張り出した方は燕家から持ってきてつけている方だった。


「こうして外せば」


 結ばれている紐を解き、蓮妃の方を見ると……黒い靄が見えた。しかし目を凝らしてよく見てみると、悪意ある人間に見るようなものとは異なる部分があると分かった。

 やはり、彼女は……。


「今、彼女の周りに邪気が見えますが、返された呪いが纏わりついているだけで彼女自身から出ているものではありません」


 全身から出ていない。顔の呪い返しの証を中心に漂っているように見える。


「邪気とは、負の感情から生まれるものです。そして呪いはそれが強く、そして歪んだものです。あの強さの呪いを生んだにしては、見える邪気が薄すぎるのです」


 珠里はさっと紐を結び直し、虎月を見上げる。


「信じるか信じないかは虎月様にお任せしますが」


 早口で言い切り、口を閉じて、そのときになって珠里は緊張で口の中が乾いていると自覚した。初めて自分から人に話したのだ。

 虎月は考えの読めない表情で、じっと珠里を見つめていた。


「今日より前に蓮妃様にお会いしたとき、その状態でご覧になったことはありますか?」

「──え」


 珠里は、思わず呆けた。

 ぽかんと呆けたまま虎月を見つめる珠里に、虎月は不思議そうに首を傾げる。


「朱里様?」

「え、あ。えっと……以前お見舞いにいらっしゃったときには彼女から邪気は出ていませんでした」


 珠里は我に返って、慌てて質問に答えた。


「一切?」

「はい。それは陛下に悪い感情を抱いていないという証なので……」


 だから彼女は呪いの元にはなり得ない。道士の才があったとしても呪いの送り主になるとも思えない。


「それで、『蓮妃様を信じています』と。あの場しのぎの言葉に聞こえなかったのは、この状況で何か理由があるのかとは思っていましたが」

「あの、虎月様」

「はい」


 顎に触れ、考え込むようだった虎月が、珠里に意識を向ける。

 全く疑う様子のない彼に、珠里はおずおずと尋ねる。


「……信じて、くださるのですか?」


 この目が邪気を見ると。

 世には、道士を騙り人の邪気が見えると法螺を吹いて、人からお金を巻き上げる者もいると聞くのに。

 虎月の問いは、珠里の言っていることが本当であるという前提のもので、あまりにすんなりと話が進むものだから思わず確認してしまう。

 けれどやはり虎月はあっさり言う。


「信じますよ、あなたの言葉です」


 それは天栄を通した言葉ではなく、珠里に直接向けられたと分かる言葉で、珠里はどうしようもなくくすぐったい心地を抱いた。


「それに道士は『気』の流れを感じる素質を持っていますよね。人の呪いは道士の専門です。そういう目を持っていたとしてもおかしくないと思います」


 欠片の疑いも混ざらない目が珠里を映していた。

 しかし刹那、その目は微かに歪む。


「ですが、珠里様」


 一転、表情も厳しいものになり、虎月は蓮妃の方に視線を流した。


「呪いが返ったという事実は、今、ひっくり返りません」


 珠里も改めて見た方──蓮妃の白い肌には呪い返しの証がある。何度見ても存在している。


「はい。それは、その通りです」


 蓮華宮に不審な人物なし。呪いは蓮妃に返った。その事実はひっくり返らない。





 一旦蓮華宮の外に出た珠里と虎月はこれからのことについて話していたが、虎月が何かに気がついた様子で外の暗闇を見たため、口を閉ざした。

 雨がしとしとと降る暗闇から、灯りが一つゆらゆらと揺れて近づいてきた。


「おはようございます、と言うにはまだ夜が更けすぎていますでしょうか?」


 足音も微かに現れた琅軌は、蓮華宮にて出迎えた珠里と虎月に、冗談めかした口調とは裏腹に笑みのない目を向けた。

 呪い返しの先を突き止めた珠里と虎月は、呪い返し先の人物がいたからにはそのまま放って戻るわけにはいかず、応援の到着を待っていた。

 そこで呼んだのが、琅軌である。

 大事にする前に珠里は離れておいた方が良いので、これから蓮華宮を取り押さえる指揮を彼に頼むためだ。


「琅軌様、お早かったですね。もしかして、起きていらっしゃったのですか?」


 琅軌に連絡をやったのは、呪い返しの先が蓮妃だと確かめたあとだ。

 それから呼ばれて来たにしては、着替えていたとは思えない時間だ。しかしながら慌てて来たようでもなく、琅軌の衣服は昼間と同じく一分の隙もなく完璧だ。

 傘から雫を落とす琅軌が微苦笑を浮かべた。


「ええ、……最近の日課の日記のようなものを書いておりましたので、まだ起きていました」

「日記」


 日記を書くような性分だったのか。付き合いが浅すぎるなりに珠里は何となく意外感を覚えた。

 それを振り払うように、琅軌がそれよりもと話を促す。


「半刻ほど前、『陛下』に呪いが送られて来た。呪い返しをした結果、蓮妃様に返った」


 虎月が簡潔に、事の経緯を説明した。

 琅軌には呪いが送られて来た旨だけは先に伝えさせていた。その上で蓮華宮に呼ばれたのだ。薄々予想はしていたのだろう。琅軌は片眉を上げるだけの反応を示した。


「ほう、では蓮妃様が陛下暗殺未遂の犯人か」

「……そう決めつけるのは、早いかもしれない」


 弟の不穏な呟きに、琅軌が怪訝そうにする。


「何か疑問点が?」

「蓮妃様ははめられたかもしれない」

「呪いは蓮妃様に返ったのだろう?」


 琅軌を待つ間、虎月と話した。

 虎月に明かしたことを、琅軌にも言うかどうか。

 虎月は、兄は完全に信じるかどうかは分からないと言った。珠里の言葉を疑いはしないだろうが、信じるかどうかは琅軌にとってはまた別なのだという。

 虎月は、言うか言わないかは珠里に任せると言った。はぐらかそうとしたら、彼はそれとなく話を合わせてくれる。

 けれど、疑わず、今後の判断に含めてくれるのならそうするべきだ。でなければ蓮妃はこのまま罪を背負わされるだろう。呪いは彼女に返った。呪い返しは確固たる証拠になる。


「……琅軌様」


 珠里が慎重な声音で名前を呼ぶと、琅軌は弟から珠里へと視線を下ろした。

 そして珠里が、これまでとはまた少し異なる真剣な顔つきだと気がついたようだ。


「これから言うことを信じるか信じないかはお任せします」

「怪談話のような前置きですね」

「兄上」


 茶化すなと、すかさず虎月が釘を刺す。

 失敬、と琅軌が短く詫び、口を閉ざした。

 珠里が無意識に虎月を見ると、虎月も珠里を見た。彼の微かな頷きを受けて、珠里は意を決する。


 そうして、琅軌にも同じことを話した。

 珠里の目が、人の些細な邪気まで見ることが出来ること。

 普段は護符でその大部分の力を封じているが、以前に蓮妃が見舞いに来たときにこっそり外して見ていたこと。

 そのときは邪気は見えず、今日さっき見たときに彼女の周りに邪気が見えたが、それは返された呪いだろうということ。


 ほとんど一息に言い切ると、珠里が息を吐いた瞬間に沈黙が落ちた。

 瞬きもせず、琅軌は静止したまま何も言わない。

 まるで石像にでもなってしまったようで、あまりに動かないため虎月の様子を窺ったが、虎月は少しも気にした様子がなかった。

 彼には兄がどのような状態にあるのか理解できているのだろうか?

 珠里の視線に虎月が気がつき、珠里が琅軌の様子に戸惑っていると読み取ったらしい。虎月は少し苦笑した。


「心配いりません。考えているだけですよ。普段はここまで長い時間はかからないので分かりにくいですが、兄は集中して考え事をしているときには瞬き含めて一切身動きしません」


 そのうち戻ります、と虎月がちょうど言ったときだった。


「──と、失礼致しました」


 ぱちり、とようやく琅軌が瞬きした。


「少し、どう考えるべきか、考えていました」


 珍しくも、中々迷走した言葉の使い方と、一瞬空をさ迷った視線が琅軌の困惑を表していた。

 虎月の反応の方がいかに当たり前でなかったか分かる。


「普通、」


 ため息混じりの声で、琅軌が再びの沈黙を破った。


「怪の邪気は常人にも見えるものですが、人のそれは聞きません。道士の術で符に宿せばとは聞きますが」

「そうですね」

「ですが……まあ……あなたは確か、道士の素養があるとか。では『気』を操り、人の呪いの専門家である道士ならそのような目を持つ者がいてもおかしくはないのかもしれません。私が存じ上げないだけで、そのような道士はそこそこいるのでしょうか?」

「いえ、私が知る限りでは」

「そうでしょうね」


 額に手を当て、琅軌が一つため息をついた。どうしたものかとでも言いたげな様子だ。


「結構」


 その顔から手が離れると同時。声が、ぴしりといつもの声音に戻った。


「巷には人の邪気が見えると詐欺を働く輩もいると聞きますが、陛下から全てを託されたあなたが、陛下の暗殺未遂においてでたらめを言う必要性も感じません。蓮妃様が誰かに嵌められただけであるという可能性を考えましょう」


 琅軌は信じるとは言わなかった。

 虎月の言った通りだ。琅軌は、嘘や幻覚だのと疑いはしないが、真実だとは断じない。

 それで十分だった。珠里は黙って頷いて見せた。


「それを踏まえてお聞きしますが、呪いがあたかも蓮妃様から産み出されたように偽装することは可能なのですか?」

「聞いたことはありません」

「それは困りましたね」


 顎に手を当て思案する琅軌と、珠里も同じ感想だった。眉を下げて、困った顔になる。

 呪い返しは確固たる証拠だ。共犯者がいるとは考えられても、犯人であることからは現状逃れられない。


「少なくとも蓮妃様が呪いを送っていないとなれば、呪いを送った実行犯が捕まれば光明が見えるかもしれません。──呪いの元と呪いを送った者が別の場合、呪い返しではどちらにも呪いが返るのですか?」

「呪い返しの仕組みとしては返ります」

「例外が?」

「はい。呪い返しを行った者よりも、相手の力量が高ければ呪い返しが通じない例があると言います。今回呪い返しを行ったのは私ですが、正式な道士ではない私より力量が上の道士はいるでしょう」


 なので、と珠里は胸元からすっと一枚の符を取り出す。


「あと一枚残っているこの呪い返しの符で、最も腕の良い道士に呪い返しを行ってもらおうと思います」


 呪いの一部を宿らせた呪い返しの符。

 それを目にした琅軌は目を細めた。


「道士長、になりますか」

「道士たちの話によると、楽燿様の腕の方がいいという評判であったり、その楽燿様によれば腕だけが良いだけなら他にいるかもしれない口振りでしたが。明日、道士長に呪い返しをしてもらいましょう」


 明日、今日止めたばかりの道士の調査も再開させる方針を確認し、蓮華宮は琅軌に任せて珠里と虎月は戻ることにした。


 小雨が降る中、琅軌が傘をさしていくようにと言ったので、傘を借りて虎月とぬかるんだ道を歩く。


「──様、珠里様」


 地面を見つめて歩いていた珠里は、背後から抱き締めるように腕が回されて我に返った。

 空を仰ぐようにして背後を見上げると、虎月の顔がすぐ近くにあって驚いた。顔を合わせた虎月の方も驚いた顔をして、さっと腕を解いて離れた。


「失礼しました、手が塞がっていたので」


 珠里をその場に押し止めていたのは、琅軌から借りた傘を持っている方の腕で、もう片方の手には灯りがある。

 どうやら、どちらも手で止めるわけにはいかないと思ったらしい。


「そこに水溜まりがあります」


 視線で示された前方を見ると、暗い中で見えにくいが灯りがぎりぎり届く距離に小さな水溜まりがあった。

 気をつけてください、と虎月にさりげなく誘導されて、珠里は水溜まりを避けていく。


「すみません、考え事をしていました。それにしてもよく見えますね──って、虎月様」


 考え事をしていなくても、直前まで気がついたかどうか。よく見えたものだと何気なく隣を見上げると、彼の目が金色の光を帯びたままだとふと気がついたのだ。


「もう仙獣の力はよろしいのでは?」


 ずっと力を解放していて彼が疲れるのかどうかは分からないが、少なくとも今怪も何も脅威がない。

 けれど、どうやら虎月も意図してずっとそのままでいたのではなかったようだ。


「無意識でした」


 虎月の目の色がふっといつもの色に戻る。黒色に青が混じる色は、今は見えないけれどよく晴れた夜空の色のようだと思う。


「……この目にも、人間の邪気が見えればいいのですが」


 ぽつり、と本音が溢れたような響きの呟きだった。


「見えたら見えたで、中々邪魔ですよ」


 珠里の苦笑に、自らが呟きを溢したと自覚したのか。虎月がはっとして、「無神経なことを言いました」と詫びた。


「どうして、見えればいいのにと思うのですか?」


 純粋に疑問で、珠珠は尋ねた。

 虎月は「そうですね……」と暗い目をした。


「悪意のある者が分かれば、守りたいものを守ることに繋がると思います」


 珠里は頷いて同意した。

 今、この目を持っていて良かったと思う。

 捕まえたと思ったら冤罪でした、知らない間に真犯人はのうのうと生きています、になっては敵わない。

 皇帝の暗殺未遂ともなれば死罪になってもおかしくない。無実の人間に取り返しがつかないことがあってはならない。


「その目は、生まれつきなのですか?」


 その問いに、珠里は迷った。

 事実は生まれつきではない、だ。けれど生まれつきと言う方が、途中からと言うよりは自然に聞こえるだろうと分かっていた。

 しかし不意に、幼い頃に共に過ごした少年の顔が虎月に重なり、鮮やかな景色しか目にしなかった昔が思い出された。それは、珠里の口を鈍らせた。


「いいえ」


 結局、正直に珠里は答えた。


「五年前からです」


 虎月が、はっと息を飲んだ。

 五年前、燕珠里の本当の両親が死んでいることを思い浮かべたのか、どうか。


「もうこの場所での悲劇は懲り懲りなので、絶対に逃がしてやらないんですよ」


 俯かないように珠里は空を見上げた。

 空は雨雲に覆われ、呪いの靄のように真っ暗だった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ