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4-5 餌






 執務室の外で用事を済ませてきた琅軌が、戻ってきたと思ったら面白そうな笑みを浮かべていた。


「皇帝陛下が自棄やけになったと噂が広がっておりますよ」

「兄上、笑う話か?」

「いや、自棄になっただのご乱心だのとあまりの言われようだったものでな」


 虎月に咎められても、懲りずに琅軌は笑う。


「まあ、呪えるなら呪ってみろなんて、自棄になったか死にたがりにしか見えないでしょうね」

「珠里様も、他人ごとではないのですから」


 珠里が無理もないと思いつつ言うと、琅軌と同じように虎月に窘められてしまった。

 笑わずに真剣に言ったのだが、自分のことなのだからという問題だろう。

 先ほど話はついたものの、やってしまったものは仕方がなく、珠里の思いからその行動に理解を示してくれただけであって、虎月からしてみれば本来なら出来るだけ避けるべき方法という認識に違いないのだ。

 珠里は反省して、心持ち体を縮こまらせた。


「まんべんなく噂が広がっている様子ですか?」

「そのようです。後宮はどうかは分かりませんが、文官から武官、道士までもう広まっているようです」


 珠里は内心「う」と唸った。狙い通りだったが、今更ながら、あることに思い立ったのだ。

 先ほどの会議の場には、実は燕赤座がいた。彼は軍部の総帥だ。その彼から耳に入れられるまでもなく、あの場にはいなかった長兄・暁雲の耳に入ったことを察した。

 これは、手紙が来るか、直接来るか……。


「道士長は首を切られるかと戦々恐々しているようですよ。道士の詰所を覗いてきたのですが、荒れていました」

「道士長が……」


 長兄対策に頭を悩ませていた珠里は、ふっと意識を引き戻された。


「今回の皇帝暗殺未遂の犯人に関しては、さっき餌をばらまいたから数日様子を見るとして……その間に五年前の事件で、道士長が何を隠そうとしていたのか、死んだ道士たちは何を知っていたのか知らないと」

「それが何より珠里様の気にかかることだと思いますが」


 虎月の強い調子の声が、食い気味に珠里の思考を断ち切った。


「な、何でしょう、虎月様」


 思わず、珠里は姿勢を正した。虎月の視線が鋭かったのだ。


「『餌』になさっているのはあなたの命です。さっきの話から少ししか経っていませんが、ないがしろにしないように検討はしてくださっていますね?」

「はい、もちろんです」

「それなら呪いを仕掛けられた場合の策は当然あるものと思ってもいいのですね? ……ご自分の命を懸けた作戦を様子見の一言で片づけるくらいです」


 どうやら虎月は、五年前の件の調査を続ける前に、餌にした自分の命を守る策くらいは当然あって軽く流したのだろう、と確認したいようだった。

 うっすらと怒りを感じて、虎月様、怒っていますか?と聞きたかったが、聞ける雰囲気ではない。

 しかし彼の言葉を全然まともに受け止めていないように見えていたと焦る一方、鋭い視線の意味が分かって珠里は安心した。


「あります。さすがに、絶対に呪いをまともに受けてしまうような方法はとりません」

「では」

「護符をつけ、護符の効力を超える呪物が身の回りに置かれないように、部屋の点検を毎日欠かしていません」


 珠里の答えに、和らぎかけていた虎月の目が再び厳しくなる。


「陛下の暗殺未遂の一件、道士の調査では護符に欠陥はなく、呪物も部屋から見つからなかったと言います。それに呪いは離れたところからも送ることができると聞きます」

「その通りです」


 ならば、呪いを弾けないかもしれないのでは。そう虎月が言いたがっていることが分かったから、珠里は微笑んでみせる。


「護符が万が一効かないとしても私が起きている間は呪いが送ってこられても私が対処できますし、寝ている間に関しては部屋に細工をしてあります」

「部屋に、細工?」

「はい、良ければ後でお見せします」


 珠里があまりにも堂々と言うので、虎月は「分かりました」と頷いた。


「さてと」


 呪いでの暗殺未遂の件は置いておいて、五年前の件と怪が皇宮に侵入した件について調査方針を決めなければ。

 どうにかして、皇葬儀式までに全てを終わらせ、天栄にすっきりした皇宮を返すのだ。

 まずはやはり道士長の件だ。

 死んだ道士たちが調査した場所と当時の記録を照らし合わせ、さらに同じ場所を調査していた道士に話を聞こうか……。


「陛下、燕将軍がお越しです」

「……燕将軍……」


 燕将軍とは、長兄のこと……。

 珠里はあっと声を上げそうになった。長兄対策を考えるのをすっかり忘れていた。

 勢いよく顔を上げて虎月を見ると、彼もあっと気が付いた顔になっていた。たぶん、先ほどの会議で『皇帝』もとい珠里がした発言と暁雲を結び付けたのだろう。


「そういえば、燕将軍は過保護だとか?」


 ただ一人実感の湧いていない琅軌が、軽く首をかしげていた。



 面会を断る方法はあったのだが、こちらが予想している話で来たとは限らない。

 結局追い払うわけにもいかず長兄と会うと、案の定小声で怒られた。それはもう怒られた。悲しそうな顔もされて、虎月と話をつけるより苦労した。


「これで安心しましたか?」


 夜、寝所の隣の部屋で珠里は虎月に笑いかけた。

 寝ているとき用に呪い対策している部屋の様子を虎月と琅軌に見せたところだった。


「そう、ですね」

「まだどこか気になりますか?」


 虎月が歯切れ悪い返事をするので、珠里は首をかしげる。


「いえ、これはどうしようもない気持ちなので、決して珠里様の腕を疑っているだとかいうものではありません」

「はい」


 そのどうしようもない不安というのは?

 珠里が見つめると、虎月はややあって躊躇いを見せながら口を開いた。


「今回全ての経路が不完全なので、万が一を考えてしまうんです」


 だから、珠里であろうと、国一腕のいい道士が対策していたとしても関係ないのだと虎月は説明した。

 それは確かにどうしようもない。珠里は眉を下げてしまう。


「まあ、呪いにしろ怪にしろ、その穢れが定着する前であれば虎月が斬ってしまえばいい話です。どうせ夜も離れないのです。珠里様は呪いでなく刺客が仕掛けられても虎月がいれば安心してお眠りになればよろしいし、虎月は心配なら自分が側にいればいい。解決です」

「えっ。虎月様、夜も護衛するのですか?」


 本来、虎月の護衛の任務は夜だけ寝所付きの他の武官に任せられる。さすがに一日中隙なく勤務というのは人権的にも体力的にもあり得ない。

 なので、今日も当然日中珠里の側にいた虎月が夜も護衛と聞いて、珠里は目を丸くする。


「それは、今日からまた狙われる可能性が──」

「はは、珠里様、何を今更。今までだっぐ」


 心底可笑しそうに笑う琅軌は、直後にうめき声を上げることになった。乾いた音を立てて、虎月の手が琅軌の口に叩きつけられたのだ。

 目の前で行われた行動に、珠里はますます目を丸くする。え、虎月様? 叩いた? いや口を塞いだ? それにしてもどうしてそんなに勢いよく? 琅軌様は痛くないの?


「失礼いたしました、珠里様。驚かせてしまいました。兄上の顔に虫がとまったので」


 「兄上は虫が苦手なので、見つける前に癖で……」と微笑む虎月に、珠里は琅軌の意外な弱点に「へええ」となるばかりだった。


「兄上も、失礼。『気を付けたほうがいい』」


 ──その目が、珠里が瞬きする瞬間、鋭く兄を見据えた


「ほほう?」


 珠里が目を開いたときには、兄弟間に妙な空気が漂っており、珠里は「?」と二人を交互に見ることしかできない。

 虎月は真顔で、琅軌はにやにやと笑っている。

 しかし、その雰囲気もすぐに霧散する。


「こちらも失礼した、『護衛殿』。では私はこれにて」


 琅軌が一礼し、珠里と虎月を残して去っていった。


「……琅軌様、どうしてあんなに笑ってらっしゃったんですか?」

「兄の笑いのつぼなんて俺は理解したくないです」


 虎月は何やら苦い顔をしていた。


「あ、それより。護衛の件です」

「ああ、『今日から』夜も護衛をする理由は、今日からまた狙われる可能性が高いからです」

「う。……ですが」


 うめきが隠し切れなかった。狙われる可能性が高いというのは、今日の珠里の発言によるものに違いないからだ。


「俺の仕事です」

「その仕事は、日中だけのはずですが」


 呪いに関しては対策しているし、寝所の周りには武官がいるのだ。珠珠が負けじと言い返すが、虎月は何でもないように即答する。


「仕事以上に、俺がしたいのでするだけです」


 その手が珠里の方に伸ばされ、肩にかけていた上衣を引き上げた。片方がずれていたらしい。


「さあ、眠ってください」


 虎月もそう言って部屋を出ていこうとした。その背中に、珠里はとっさに声をかける。


「昼間、怒ってらっしゃいましたか?」


 振り返った虎月は、「昼間」と呟いてから「ああ……」と珠里を見た。珠里が皇帝として、暗殺未遂犯を焚き付けた後の自らの様子を思い出したのだろう。表情に苦笑が滲んでいた。


「怒っているように見えましたか」

「少し」


 珠里は、肩からかけている上衣をきゅっと握る。


「怒ってはいませんでしたよ。心配なだけです。──ですが、そう見えるのにも心当たりはあります」


 わずかに。ほんのわずかにだけ、自嘲が混ざった笑い方で彼は微笑んだ。


「心配で、不安で、俺には余裕がないから」


 何に対する心配か。不安か。言わず、虎月は今度こそ出て行った。


 虎月がいなくなった室内で、しばらく珠里は虎月の言葉の意味について考えていたが、虎月が去った方に背を向けた。

 寝所で寝台に横になり、目を閉じるとさっき見た微笑みを思い出しそうになって、慌てて振り払う。

 今、少しも余計なことを考えている暇はないのだ。

 とにかく、皇帝暗殺未遂については、今日のところは呪いは送って来ないだろう。何しろ、今日挑発したばかりだ。

 問題は、明日から如何にして他の件を解決に至らせられるか。

 周りの人が心配してくれている。長兄も、次兄も、母からも手紙が来る。蝶翠も側でずっと心配そうにしている。そして、虎月も。

 早く動ける明日になれと逸る気持ちを抑え、そのために眠らなければと目を瞑る。

 そんな珠里の考えを、あざ笑うかのような。


 ぞぞぞぞぞぞ


 嫌な感覚が、珠里の体を駆け巡った。







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