4-4 仕掛ける
さて、虎月曰く、道士長は『ぴりぴり』していたらしい。足取り荒く、周囲の少しの失敗や行動に目くじらを立てて怒っていたとか。
毎日の会議で他の高官から責め立てられ、最近起こっている事件すべてが彼の管轄であり責任になっているのだ。その反動が出てもおかしくはない。
とはいえ確かに領分は道士のもので、その長が彼なので責任の追及を逃れるには、周囲が納得できる証拠をみつけるか、対策方法を提示する他ないだろう。
ただ、五年前の件について現状ではほぼ黒の道士長が、今回皇帝の暗殺をする利点がない。
彼の動機として考えられるのは前道士長を嵌めることで、それが叶えられている今、自らの立場を揺るがす事を起こす理由がなさすぎるのだ。誰かに恨まれ、はめられようとしているのかもしれない。
つまり、五年前と今回の皇帝暗殺未遂の関連性がない可能性が高くなってきて、今回の暗殺未遂に関して新たな手がかりはなし。
このままでは、五年前の暗殺事件が先に片付いてしまうかもしれない。珠里は危機感を感じていた。
◆
「まだ怪が入り込んだ原因は分からないのか、道士長」
「何度も申し上げるようですが、結界は正常に動作しておりました。毎朝確認し、その日の朝にも問題なしと確認されていました」
「その確認の後に誰かが細工でもしたのではないのか」
「その後の調査で細工された形跡も異常も見られませんでした。ご存じの通り、新たに仙石は個人で用意できるものではなく、余剰はありません」
会議の場で、他の高官から道士長が調査の進展のなさを責められていた。
このやり取りは多少言い方が変わっても、毎日繰り返されている。
怪しい者しかいない場には、空気の淀みが目に見える。幾年も最も陰謀が集まってきた場には、滅多なことがない限り怪の邪気は届かなくても、人の呪いが染みついている。
楽燿は、一人の調査が道士の調査に勝ることはないと言った。
その理由は理解できる。数はもちろんのこと、正式な道士ではない珠里とは違って、皇宮に仕える道士は狭き門を突破した優秀な者ばかりだ。
けれど彼らの調査が頭打ちなのだから、任せて去ることなどできない。
それに加えて、五年前の犯人が分かったとしたら天栄は──。
今もなお命を削られているだろう彼を思い、珠里は唇の内側を噛む。調査に進展のない道士組織にも、天栄に呼ばれて暗殺未遂の手がかりを一つも掴めていない自分にも腹が立った。
毎日毎日毎日繰り返される道士長のやり取りが時間の無駄に思えて仕方がなかった。
──ならば、この辺りで仕掛けよう。
会議の様子を眺めていた珠里は、おもむろに口を開いた。
「もういい」
低い声に、言い争いにまで至りそうだったやり取りが止まり、全員が皇帝の方を見た。
丞相と護衛も例外ではなかった。彼らは、この状況で何を言い始めるのかと内心気が気ではなかったかもしれない。
普段、皇帝に扮しているときの珠里は会議では発言を最小限にして、必要なときにしか話さないのだ。
「毎日毎日同じ問答はもういい。──道士長」
「はい」
やはり皇帝の前では小さくなろうとしているように見える道士長は、小さな返事をした。
「現状で調査できる事項はまだあるのか」
「……」
「正直に言うがいい。それ以外は求めない」
「恐れながら…………ございません」
道士長が頭を深々と下げて言った直後、また場が紛糾する気配を感じ、珠里は無意識にため息をつきながら椅子のひじ掛けを指の関節で叩いた。
大した音は出なかったにも関わらず、こん、という音に、爆発しかけた空気がたちまち静まった。
「ならば、現状の調査を打ち切ることを命じる」
「な、陛下、このままではこの皇宮の安全はどうなるのですか! いえ、皇都の結界の安全性さえ怪しい状態では」
「私は調査を打ち切れと言ったのだ。これ以上疑うべきところがないと言うのだ、結界に異常がない、だが結界が怪しい。怪に効かないのかどうか試すなり、効かない怪がいるのならその怪に対してどうするのか考えるのが優先だと言っている。ほかに優先するべきことがあるというなら、その理由と述べよ」
高官たちは、こっそりしているつもりなのか周りと視線を交わし合っていた。普段は険悪なやり取りをしている相手とも、目を交わし合っているのが珠里にはいっそ滑稽に見えた。
「陛下、恐れながら……」
「申してみよ」
「は。公になっておらぬことに口を出すことをお許しください。陛下に呪いを送った者の調査は続けるべきではないでしょうか?」
「理由は?」
「犯人を野放しにしておけば、また陛下のお命を狙う可能性がございます」
恭しく首を垂れて進言する高官に、珠里は──『皇帝』は唇を歪めた。その笑みは、大の大人を気圧す雰囲気を帯び、そして冷たかった。
──その傍らで、護衛が息を飲んだ。『皇帝』が見えない位置で彼は口を開きかけたが、丞相が強い視線でそれを押し留めた。
「いい」
『皇帝』の一言に、進言していた長官が大いに戸惑いを浮かべる。
「いい、とは……」
「その調査も頭打ちだろう。ならばそれも停止することを許す。また呪いを送ってきたなら送ってきただ。そのときにまた調査すればいい」
「ですが、それでは陛下のお命が」
「構わないと言っている。呪えるものなら、呪ってみるがいい」
『皇帝』が言い放った言葉に、その場にいる者が全員何を言われたのか理解できていない表情をしていた。
それらの者を眼下に、『皇帝』は笑う。
「どうせ、先日のように私を呪い殺すことなど到底できないのだから」
自信満々で、堂々とした態度に、それ以上は誰も言わなかったという。
会議が終わり、執務室に戻るや、「珠里様」と低い声に呼ばれた。
「なぜ、あのようなことを……!」
虎月は、相手が相手であれば胸倉でも掴んでいそうな雰囲気だった。
「琅軌様、虎月様、あの場で止めないでくれてありがとうございます」
「兄に止められたからです。──兄上、なぜ兄上は止めようとしなかった!」
今まで見たこともないくらいの険悪な突っかかりように、琅軌の方は一切動じなかった。すっと冷めた表情で、冷静な目で虎月を射抜く。
「私の役目は止めることではないからだ。丞相として、皇帝の不在が勘づかれないように補佐することだ。虎月、お前の役目は何だ。護衛だ。守ることだ」
弟の答えを待たずして、淡々と琅軌は続けた。
「それは分かっている。だが、」
「だが、何だ。陛下は珠里様に全てを任された。ならばその判断によって危険な状況が出来上がったとしても守るのが役目だ。自信がないか? ならばちょうどいいことに珠里様の兄君はお前より優れた仙獣戦士だ。変われるように陛下に許可を取ってきてやろう」
おそらく、暁雲に変わったらもっと心配して言ってくると思ったが、珠里が口を挟める雰囲気ではなかった。
「自信がない? 挑発するにしてももっとましなことを言ったらどうだ、兄上。俺ほど彼女を守りたいと思っている人間はいないと思っているし、絶対に守り切れる。覚悟だけがあるんじゃない、守る力がある。──大体、燕将軍と交代しても燕家で見た限りでは、珠里様をここから出さないくらいのことをやるぞ」
代わりに虎月が言ってくれたが、珠里は途中の言葉に気を取られていた。『俺ほど彼女を守りたいと思っている人間はいないと思っている』とはどういう意味を持つのだろうか?
「燕将軍が? それは初耳だ……とりあえずそれだけ言うのなら、珠里様の意思を尊重できるな?」
虎月は返事しなかったので、琅軌が片眉を動かして「どういう態度だ?」とでも聞こえてきそうな視線を虎月に投げた。
今度は虎月がその強い視線に動じず、無視して、珠里の方に向き直った。
「……珠里様」
「時間がありません」
珠里の簡潔な答えに、虎月は「そうですね」とどうしようもない答えだと理解を示した。
「ですが、なぜ自分を囮にするようなことを。焦らないでくださいと言いました。それに、道士長が怪しいという証言は出ました」
「そうですね。けれど、それは五年前の件だけの話です。例えば今日、道士長が五年前の事件の犯人だという証拠が出たとしたら、陛下はそれでよしとすると思います。彼は、自分の暗殺未遂事件が解決していなくても、そっちはおまけみたいにしか思ってないと思います」
虎月は反論しなかった。彼もそう感じるところがあったということか。
そして、虎月は珠里の言葉から一つの真実を得たようだった。抑えた声で、彼は囁くように言う。
「……陛下は、五年前の件を明らかにすることを何よりお望みなのですね」
「その通りです」
珠里は頷いた。また、珠里自身もそうではあるのだ。
虎月は、もどかしく感じているように唇を噛んだ。
「その身が立ち行かなくなれば元も子もないとも言ったはずです。あなたもあなたで、陛下と同じように犯人が分かれば自分の身は二の次に考えていませんか?」
「そうかもしれません。だって、私は、五年前の事件だけが解決しても満足出来ません。帰れません。彼を置いて行けません。──それで後で彼が呪いを送られて死んだら、私は後悔するだけじゃ済まない。きっと、私も死にたくなる」
虎月は、最後の言葉に辛そうにした。
「……一人で、無茶はしないと約束してください。俺自身のことを信じるのはまだ難しいかもしれません。陛下の信頼を得ているからでもいいです。だから、信用して頼ってくれませんか。あなただけで全てを背負おうとしないでください」
絞り出したような声が、切実に珠里に語りかける。
虎月のその言葉に、珠里はこの人は本当に優しすぎると思いながら、あることをまだ伝えていないのだと気づかされた。
「……信用、しています」
ぽつりと、呟きは短かった。けれど、虎月の表情を驚きに染めるには十分だったらしい。
珠里は、微笑みを虎月に向けた。
初めは、虎月自身を知らないから天栄の信用を信用していると言った。でも、とうに信用していた。短い期間だとは言えるだろう、けれど、信用してもいいのだと珠里自身が分かるくらいには共にいたと思う。言葉を交わした。
「でも、信用しているのと相手に勝手に望むのとはまた別の話だと思っています」
「それで言えば、俺は、あなたに望みを言いすぎていますが」
「個人の感覚です。なので、私も今望みを言おうと思います。あなたの言葉に甘えて」
珠里は、虎月を真っ直ぐに見上げた。強い意志を隠そうともせず、射るような視線で。
「私の勝手に、付き合ってくださいますか?」
心配させてしまった。怒らせてしまった。失望させたかもしれない。それでも、まだ振り回されてくれる気はあるだろうか。
「緊張されていますね」
虎月が口を開いたかと思えば、返事が返されたのではなかった。
図星で、珠里はぎくりとする。先ほどこの場に戻ってきてからの短時間で見た虎月の露な感情を思い出し、珠里は緊張していた。
「分かりますか」
「表情が不安そうなので。どうして、自分が陛下の代わりに命を狙われるかもしれず、怪に襲われても不安そうな顔はされないのに、今俺に望みを言ってそんな顔をされるのですか」
「……虎月様は、守るという役割を果たしてくれるでしょう。ですが、我が儘に付き合う義理はありません」
虎月は一瞬目を丸くしたあと、ふっとため息をついた。
「我が儘だと、あなたの思いを知っていて言う者などいませんよ。俺も、当然そうです。信用してくださるなら、そこも信用してください」
少しだけ呆れたように微笑んで、虎月の手が伸ばされる。
「どんな道を選ばれようと、守り通しましょう」
珠里の手に、一回り大きな手が重なった。
「ご存分に、思うままになさってください。陛下も、あなたも」
「そこまで言っても、いいのですか?」
「珠里様、ここまで来れば今さらです。存分に、甘えてくださって構いません」
珠里の言葉になぞらえて言い、虎月は断言した。
この上なく、頼もしい響きで。
「だから、命は賭けても、決して死んでもいいとは思わないでください」
懇願に、珠里は一度頷いた。